東方ルアー開発秘話(19)外の世界

 

外の世界、白神山地白神平、博麗神社跡
*作者注
ここでは白神平は、白神山地奥部の無人地帯とされていますが、現実には登山道の入り口辺りで、普通に人が居ます。

白神山地は事前に聞かされていた通り、険しい山と冷涼な気候の場所だった。日本の街並みをそっくり再現した訓練キャンプを出た後、何週間も白頭山(ペクトウサン)金剛山(クムガンサン)を連れまわされ、山岳行動訓練と寒冷地耐久訓練ばかりさせられていたからてっきり北海道でヒグマと同居でもさせられるのかと心配していたが、この様子なら意外に楽そうだ。

現に、今は気楽な夏山登山と言っても良いほど快適で有り、心配事と言えば違法な登山者か、密漁者と勘違いされる事ぐらいか。

消された本名の代わりに付けられた日本人の偽名と日本語にもすぐに慣れたし、大学から委託を受けて無線電波の調査をしている電信会社社員という仮の肩書きもある。

グレーの作業着と登山装備、その他電子機器は日本の民生品を装ってあるので外見からばれる可能性も皆無と言える。

今背負っている荷物、内容物は食料、医薬品などの補給品と自己位置標定装置の電源、これを届けて保守キャンプの写真を何枚か撮ってGPSのログを添付した報告書を書くだけの簡単な仕事だ。しくじる筈など無い。

しかし、それだけでは済みそうにない、ちょっと面倒な物を持たされた。

「こんな物は見つかったら面倒なだけだ、置いて行きたい」

と、申し出たが、同志から「良いから持って行け、不要だったらずっと隠しておけばいい

」と言われ、スコーピオンマシンピストルを持たされた。

まあ、上が考える任務の重要性から推し量れば止むを得ないか。

この山地に隠してある特別な自己位置評定装置、これは一旦事あれば、我が国を守るための切り札となるほどの重要な物だ。

世界中で何でもかんでもアウトソーシングが流行ったおかげで、我が国の息の掛かった関連企業も日本の国防産業にかなり浸透する事に成功している。

その中でもとりわけ大きな成果がGPS衛星の開発段階からそのプログラム作成に関与できるようになった事だ。

白神山地に隠してある特別な自己位置標定装置は、日本の新型通信衛星からそのデータを頂戴できるばかりか、そのデータを利用して弾道ミサイルの誘導にも使えるように作られている。

湾岸戦争で、そのあまりの当たらなさを露呈してしまった改良型スカッドミサイル、その派生形である労働(ノドン)ミサイルは、このシステムによって敵の目と心臓を一撃で射抜く事が出来る名射手に生まれ変わるというわけだ。

今回山を登る同務は俺以外に二人、前を歩く前衛の川島は民生品のGPSを頼りに登山道を進む、迷う心配は無い。

後衛の川口は時折立ち止まって追跡者が居ないか数分間監視してから急ぎ足で後を追うという面倒な仕事を買って出てくれた。かなり足に自信が有るのだろう、ここまで愚痴一つ言わず、まるで健脚を誇示するかのように山を走り続けた。

博麗神社跡の鳥居が見えたのは日暮れ前頃であろうか?

川島と川口にナイトウオッチを仕掛けさせた直後にそれは起きた。

「蜂谷さん、ナイトウオッチに何か掛かったよ」

川島がナイトウオッチの受信機を耳に当てながら小声で報告してきた。

多分、鹿か何かの野生動物だろう。足音が聞こえないか聞き耳を立ててみた。

音は確かに聞こえてきた。しかし、それは足音どころではなく、木の枝を掻き分けたり、大木に何かがぶつかる様な騒々しい音だった。

人数が多いのか?あまり考えたくは無いが、自分達を探す者が後を追ってきたか、自分達とは関わりのない誰かを捜索する為の山狩りかもしれない。

大事を取って移動する事にした。

「川島、川口、スターライトスコープを付けて先を急ごう!」

三名は星明かりほどの微光を増幅して視界を得る事の出来る、スターライトスコープを頭に装着して先を急いだ。

スターライトスコープの写し出す緑色に霞んだ狭い視野を頼りに山を登る。博麗神社跡からは登山道が伸びているから迷う心配もない。少し先まで急いで移動し、視界の利く場所で追手が有るかどうか確かめようと思う。

突然、前衛の川島がおかしな事を言いだした。

「登山道が…無くなっている!」

そんな馬鹿な事が有るか?現にこうして俺達は石畳の道を

…石畳だと!?

俺達は今、ゴツゴツとした岩と木の根が剥き出しになっている登山道に居る筈であった。しかし、今、足元に有るのは平らな石畳だ。あまりの事にスターライトスコープを外す。

「神…社…だと?…」

そこは神社跡などではなく、ちゃんと、現に今建っている神社そのものになっていた。

背後を振り向くと、鳥居の向こうには月の光を反射して輝く湖と、遠くに高く聳える山が見えた。俺たちの足元に有った筈の白神山地はどこかへ消え失せていた。

最後の最後まで使うなと念を押されていた受信機を使わざるを得なくなってしまった。荷物の中から八木アンテナと受信機を取り出して全周囲を探る。

一番反応が強かったのは、あの一際高い山の麓だ。信じ難い事だが、確かにあの山の麓に目的の自己位置標定装置が有るようだ。今はとりあえずそっちへ行ってみるしかなかった。

何も信じられなくなってしまった。

地図も、コンパスも、GPSと、同行している同務たちの言葉ですら。

GPSに至っては、衛星との通信が途絶してしまったらしく、ずっと画面はエラー表示のままだった。

今、自分達を正しく導いてくれるのは時折電波を発信する自己位置標定装置の位置を指し示す、細いアンテナと受信機だけであるように思われた。

“作戦行動中にパニックになって自分の居場所が分からなくなる事は、よくある事だからそう心配するな”と、訓練中何度も言われた。まさか、その時がこれほど早く来ようとは。しかも、事も有ろうに初仕事でだ。

川島には受信機を持たせてあるからもう迷うまい、再びスターライトスコープを装着して森の中を西へ進んだ。

「蜂谷さん、またあいつが追ってくるよ!何度も木にぶつかるヘマな奴だから間違いない!」

川口が急ぎ足で追いついて来て、こう告げた。

道に迷った上に追手か…

「よし、隠れてやり過ごそう、何度も木にぶつかっているようだから、使っているのはアクティブじゃない方の暗視装置だ、茂みの陰に隠れてじっとしていれば分かるまい」

更に、一応、最悪の事態に備えるため、付け加えよう。

「川島、川口、スコーピオンに消音気を付けて備えろ、殺される直前まで撃ったらダメだからな」

俺達は森の小道を外れ、藪の中で追跡者が通り過ぎるのを待った。

追手は僅か数分で現れた。確かにそいつは数メートル先まで来たが…

何と言ったらいいのか分からないが、そこに居る筈なのに姿が見えない。

真黒い直径3mぐらいの闇が…闇が来たとしか言いようがない。

闇は俺達の目の前で大木にぶつかり、そして消えた。

スターライトスコープで闇が消えた辺りを見る。

…なんてことだ、今日は変な事ばかり続くが、ようやくその原因が分かった。恐らく極度の緊張と疲労で正常な判断が出来なくなっているだけだ。

目前に見えている金髪の少女も、無視していればそのうち視界から消えるに違いない。こんな山奥にリボンでおめかしした少女など居る筈が有るだろうか?

「あんたたち、外の人間かぁ?」

少女が問いかけてきた。まさか?そんな事など有る筈がない。

一同、空耳ではないかと顔を見合わせる。しかし、全員が全員同じタイミングで顔を見合わせたという事は…少女の声は全員に聞こえた事になる。

念のため、少女をスコーピオンでポイントするよう川島に目配せしてから、恐る恐る少女に話しかけてみた。

「外の…いやいや、外と言えば外かな?僕達は東京から来たんだ」

「トウキョウって幻想郷の中なのかぁ?」

ゲンソウキョウ…初めて聞く地名だ。ここは東京から来たと言い張ってやり過ごそう。所詮相手は子供だ、適当に話をはぐらかせばよかろう。

「いや、ゲンソウキョウではないよ、東京、ここから遠く…何百Kmも離れている、ここからは見えもしないほど遠くさ」

少女はそれを聞いて、ニンマリと微笑んだ。

何だか嬉しそうに。

少し…気が触れているのか?

こんな夜、猿と鹿、月の輪熊しか居ないような山奥で何をしているのか?

正直、少し怖くなってきた。

ふと、以前受けたパニックテストの事を思い出す。

実戦と偽って工作員を航空機に乗せ、演習場に降下させて偽作戦を実行させて実力を見るテストだが、あれにもこんな突拍子もない状況が出された。

あの時は降下場所を間違ってカップルだらけの公園にパラシュート降下してしまうというものだった。

これも…もしかしたらその類かもしれない。

白神山地で命じられたこの作戦全てが、単なる演習である可能性も…有るかも知れないと思った。ここは無難な模範回答でやり過ごそう。こんな小娘に何時までも構っているのも馬鹿馬鹿しい。それが実戦で有るにせよ、演習であるにせよ。

「そうそう、東京から来たんだ、東京から…」

それを聞いた少女は目を大きく見開いた。心なしか、その瞳は赤く光っているように見える。なんて気味の悪い奴なんだ…

「へぇ〜そうなのか〜」

少女がそう言うと、再び少女の周囲に黒い霧が立ち込め、闇の球が現れた。こんな悪夢のような奴に構っていたら碌な事は無い、川島と川口をうながして早々に立ち去ろうと思った矢先、闇の中から巨大な鳥の足が伸びてきて、川口を鷲掴みにして闇の中に引き込んでしまった。

闇の中で銃口炎が瞬き、タイプライターを打つような発射音が鳴り響く。

「まずい!川口を助けて退却するぞ!」

闇に中へ手を突っ込もうとした瞬間、今度は闇の中から血まみれの嘴が突きだしてきて、肩をかすめた。再び闇が消える。

そこには頭の無くなった人間の死体を横咥えにしている巨大な鳥が居た。

その目にはスコーピオンの弾が当たったのであろう、片方の目を堅く閉じ、瞼の間からは血が滲みだしていた。


作者注
ルーミアの正体について、原作に記述は有りません、この部分はここだけの設定です。

撃てば殺せるかもしれない。

しかし、1秒とちょっとで全弾を撃ち尽くしてしまうこの銃をヘタに使ってチャンスをフイにしてしまう恐れから、簡単には踏み切れなかった。

なにしろ、こいつは頭部の、しかも目に命中弾を受けているにも拘らず、全く戦意を喪失しているように見えない。

「そこのあなた!」

また別の少女の声がした。

「闇にまぎれてコッソリ摘み食いをしているのは誰かしら?しかも、正体まで現して、レディーにあるまじき、はしたない姿ね?」

今度現れた少女は口調からして話が通じそうな相手に思えたが、果たしてどうだろうか?今、目の前で起きている事は、とても現実とは思えない。

とにかく、無視して逃げる他は無いと思われ、怪鳥の注意が少女に移る事を期待しつつ、じりじりと後退を試みる。

新しく現れた少女の様子はよく分からない、ただ、闇に中に白っぽいドレスが見えるだけだった。少女は俺達には構わず、怪鳥に向かって話し続けているようだ。

「いいことルーミア、この事は他の皆には黙っておいてあげるから、この場は引いてもらうわよ?いいわね!?」

あんな化け物に高圧的な態度を取れるとは?怪鳥と少女はいかなる関係に有るのか?分からない事だらけだが、怪鳥は悔しげに足を何度か踏み鳴らしてから森の奥へ去って行った。

「そこのあなた!」

無視して走った。

しかし、声は恐るべき速さで追いつき、事も有ろうに俺達の頭上を通り過ぎて目前へ降り立った。

「助かったとお思いでしょうが、残念ながらそうじゃないわ」

間近で見るそいつは思いのほか小さかった。しかし、蝙蝠(こうもり)を思わせる翼を広げ、怪鳥に対するのと同じ高圧的な態度で話し掛けて来る。

小さな顔の面積の半分は占めていると思われるほどに見開かれた目は、血の玉のように赤く、それはそいつの凶暴性を体現しているようだ。

「貴方達、ここで死ぬから逃げなさい、ほどほどの速さでね」

怪鳥が立ち去った方向にだが、構わず走って逃げた。蝙蝠少女が誰かを呼ぶ声がする。

「フラーン!そっち行ったから逃がすんじゃないよー!」

直後に、ブシャッ!という何かが潰れる音がして、それっきり川島の声も足音も聞こえなくなる。

「なーにやってんだい!慌てるんじゃないよ、もう一匹いるから今度はちゃんとやんな!」

逃げようとした先に七色に輝く水晶のような物が横一線に並んでいるのが見えた。スコーピオンを向けて引き金を引くと、そのいくつかが割れ、その他に砂袋に着弾したような音も聞こえた。

銃口炎の瞬きの中に、一瞬相手の姿が見える。蝙蝠少女の同類のようだ。

死んだはず…だが…何か言った!?

「こいつ…よくも…ひねりつぶしてやる…」

確かに弾は当たった筈だ、小さな8mm弾であるとは言え、近距離なら一発で人間を殺せる威力がある。それを10発近くは食らっているというのに倒れる気配すらない。

直後に右肩に激痛が走った。

その場に倒れ、銃はどこかに弾き飛ばされた。

「フラン!弱らせてやったから、今度は能力を使わずにやんな!」

ここまでか…

川口は怪鳥に首を食いちぎられ、川島は蝙蝠少女に捻り潰されてしまった、次は俺の番か。

「おまちなさい!あなた達、そこで何をしているの!?」

また別の少女の声だ。

今日はどうかしている。

この悪夢のような仕事に出る前に、“今日の占い”でもチェックしてくれば良かった。きっと女難の相が出ているに違いない。

心が折れ、全てを諦めてしまった自分の頭の中にはそんな下らない事しか思い浮かばなかった。そして、状況打破に役立ちそうな知恵は、もう何一つとして浮かび上がってこなかった。

「ちっ!霊夢か!フラン!邪魔が入ったから今夜は引き揚げるよ!」

「えー!まだ吸ってないじゃーん!お腹すくよー!」

「いいから帰るの!帰ったらカステラあげるから!」

信じ難い事に蝙蝠少女達は逃げるように引き上げて行った。

考える前に足が動く、“機会は二度来ない、直ちに決断して行動せよ”訓練所で叩き込まれた工作員心得が俺の脚を自動的に動かし続けた。

毒棘のある植物の蔓を素手で引きちぎり、激しい咳を引き起こす胞子を放出する黴の絨毯を走り抜け、無茶苦茶に森の奥へ奥へと走りぬけて行くと、足を踏み外し、どうやら川に落ちた。遠くで少女が俺を呼び止めようとする声が聞こえたが、構わず水に潜って水の流れを利用して一気に下流へ向かって泳ぎ下る。

その夜の出来事で、記憶に有るのはそこまでだった。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(20)水面下

 

幻想郷の中でも最古参の妖怪、八雲(やくも)(ゆかり)は外の世界での活動資金獲得と肩書きを得る為に、外の世界で幾つかの仕事を持っていた。

内容はその時々でまちまちだが、ここのところ一番本腰を入れてやっているのがフリージャーナリストの仕事である。

空間に隙間を作って何でも覗き見出来る紫には、楽な割には身入りの良い仕事であったが、それ以外にも、最近外の世界で気になる事件が有り、それは幻想郷を守っている博麗大結界を弱めてしまいかねない危険な事に思えたからだ。

紫は外の世界で隠れ家に使っているマンションの一室で仕事の段取りをする。

見下ろしたパソコンの画面には、紫が今追っている事件のファイルを盗撮した画像が出ている。「大蛇(おろち)作戦(さくせん)」これが今回のターゲットだ。

紫は自衛隊支給品とそっくり同じデザインをしたブラウスの袖に手を通し、アキバのコスプレ仲間から入手した防衛大臣直轄部隊の徽章(きしょう)が縫いつけられたブレザーを羽織った。略帽として使われる緑のベレーをかぶり、鏡の前で入念に仕上がりを確かめた。

外観からばれる心配はなさそうだ。

しかも、これらの衣服の幾つかには防衛省需品課のマークが入った本物だ。どうやらどこかに横流しのルートが存在するらしい。

自室の壁を指でなぞり、目的地近くに小さな隙間を作って向こうの様子を窺って見る。

誰も気に掛けない場所に隙間を作るのは訳もなく簡単な事だが、注意深く見守られていたり、監視の目が厳しい場所にそれを作るのは極端に難しい事だった。

防衛省はそのような場所であり、取り分け「大蛇作戦」のような業務を取り扱う部署は最も難しいといえた。

 

幻想郷内、魔法の森奥地、アリスマーガトロイド自宅

魔理沙と霖之助、河童のにとりが家を訪ねてきてから随分と日にちが過ぎていた。

あれから自宅を訪ねる者は無く、人形制作の方は何かが吹っ切れたように快調に進んでいた。本体はあらかた完成し、後は服を合わせて細かな調整をする段階を迎えている。

さて、どうしたものか?あれと同じ服はどうやったら手に入るだろうか?

里の仕立屋に発注するのが最も手っ取り早いのであろうが、それをするとアリスが魔理沙の3サイズをはじめとする詳細な諸源データを持っている事が知られて、やや恥ずかしい気もする。

魔理沙が座る椅子に目盛りを刻みつけておいて、椅子を勧めながら素早くそれを見て記録を付けたり、ドアの柱に髪の毛を張りめぐらせて、それが切れた高さを記録したりして苦労して手に入れたデータだ。簡単に他人に知られるのも癪に障る。

取り分け苦労したのが体重のデータだ。

彼女はあんな性格だから体重なんか気にしちゃいない。

「高い所が怖いから上に掛けてある絵を下に掛け直してくれないかしら」と頼んで、さりげなく差し出した踏み台に仕込んであった体重計で実測した。

しかし、これは装備重量であるから実際の体重ではない。そのうち、魔理沙の持ち物、着衣を一つ一つ計測して正しいデータを得なければならない。

もうそろそろ昼時だ。家の中で仕事をしている人形達は全部キッチンに集まって作業をしている。

ここのところ暑くなり始めていたから、昼食はサッパリした物が良かろうと思い、ハムとチーズ、レタスの入ったサンドイッチを作らせている。

これを摘まみながら人形の出来をチェックすれば、作業中に気付かなかった幾つかの改善点を発見できるだろう。

アリスは外の風を室内に入れようと思い、作業部屋の窓を開いた。

(もみ)()が生い茂る森は今日も静かで、吹き渡る風は瑞々しい木々の息吹を運んできた。気付かなかったが、昨夜から早朝にかけて少し雨が降ったようだった。

水を含んで生き生きと輝く森の葉陰に一点、何か灰色をした物が見える。

いつか風で飛ばされた毛布が今頃見つかったのだろうと思った。

よく見ると、それは赤茶けた泥にまみれ、どうもこの近くで汚れた物ではないらしい事に気付く。家の周囲の土は黒土で、この近くに赤土など無かったからだ。

もしやと思って外に出てみる。

それは殆ど誰も通らない、アリスの家へと向かう小路に倒れていた。

「大変よ!みんな早く来て手伝って!」

アリスは慌てて人形達を呼び寄せた。

 

外の世界、防衛省 統合幕僚本部 作戦課 会議室

紫は苦労して防衛省の敷地に入りはしたが、会議室には入る事が出来なかった。

隙間を作って覗き見しようにも、監視装置が多すぎてそれもままならない。

紫は防衛省内の中心部へ向け、監視の薄い場所から薄い場所へと隙間を作りながら用心して進み、どうにかこうにか統合幕僚本部作戦課会議室の声だけは聞こえる場所に潜りこむ事が出来た。

息を殺して会議室の声に聞き耳を立てる。

会議は既に本題へと入っているようだ。

「5月20日から連続で27日まで行われる大規模合同演習、チームスピリット白神には別の作戦が含まれている事はご存知の事と思われます」

「チームスピリット白神は日韓米の合同で行われ、白神山地に潜む敵ゲリラをサーチアンドデストロイで掃討して行き、白神山地中央部、白神平制圧を持って完了する構想であります」

「青森側から陸上自衛隊一個師団、秋田県側から韓国海兵二個大隊が白神平方面へ向かって前進し、アメリカ空軍の警戒管制機が主に敵通信の傍受と電子戦を担当します」

「含まれている方の作戦は演習ではありません、実戦です」

ここで声が一回止まった。

様子を見る事は出来なかったが、少なくとも、ここで一気に空気が張り詰めた事は窺い知れる。

「作戦名は大蛇(おろち)作戦(さくせん)、白神平地区に潜伏し、大掛かりな通信機器を使用し、軍用GPS回線のハッキングを継続中と思われる敵ゲリラを掃討します」

「敵の潜伏場所を特定する目的で過去、三回に亘ってゲリラ追跡を試みたものの、三回とも追跡に当たった隊員が全員行方不明になって失敗しています」

「そこで今回は合同演習を口実に大部隊で白神平を包囲、追跡に当たった隊員との連絡が途絶え、GPSの反応もなくなったここ、白神平地区博麗神社跡を捜索し、敵の拠点を掃討、合わせて行方不明隊員の消息の手掛かりを得ます」

「今回韓国軍が参加している理由は他でもなく、潜伏している敵が極東人民共和国軍の特派工作員で有る可能性が濃厚であるからであります」

「本日、この場に極東人民軍特派工作員の解説をお願いする為に、韓国大使館駐在武官である(パク)新朝(シンジョ)少佐に来てもらっています、では朴少佐、解説をお願いします」

なにやら話が大掛かりになってきた。結界を維持する事に失敗すれば外の世界の軍隊、しかも三か国を一度に相手しなければならない事になる。

「ご紹介に与りました、大韓民国大使館駐在の朴新朝です、初めにお断りしておかねばならない事が二つ有ります」

ここでまた、言葉が一回区切られた。軍人の習慣なのだろうか?これが出た後は特に重要な話になるらしい。

「第一に、これは日本一国の脅威を排除する為ではなく、韓国、そしてアメリカの運命まで掛かった重要な作戦である事を承知していただきたい、弾道ミサイルは言うに及ばず、火砲の精密射撃、潜水艦の誘導、テロ実行部隊への指令に至るまでGPS衛星のデータが使われ、世界中がその脅威に晒される事を承知していただきたい」

「第二に、極東人民軍の特派工作員を人間と同じに考えるのは止めていただきたい」

「彼らの死体が見つからなければ、それは生きているとお考え下さい、追いつめた筈の工作員を見失ったら、直ちに逃げられたと報告してください」

「彼らはネズミよりもすばしこく、蛇よりもしぶとい、訓練所にオリンピック選手レベルの人材を集め、野獣さながらに鍛え上げた彼らこそが弾道ミサイル以上の脅威だと肝に銘じていただきたい」

ここで又言葉が区切られた。

「さもなければ、我々は間違いなく敗北します」

紫の気になる言葉がいくつも出てきた。

白神平地区博麗神社跡。

通信機器によるハッキング。

追跡中の隊員が行方不明に。

事も有ろうにその場所は、博麗神社跡。

これは、外の世界から武装した人間が度々迷いこんでくる事と関連が有りそうだ。紫はそれを確かめる為に幻想郷に戻ってみる事にした。

正直な話し、もう少し聞いていたかったが、潜伏場所である天井の板が体重で曲がり始め、そろそろ下に落ちそうになっていたから仕方がない。

 

幻想郷内、魔法の森奥地、アリスマーガトロイド自宅

アリスは家の前に倒れていたグレーの作業服姿の男を見付けると、人形達と苦労して家の中へと運びこんだ。

右肩に酷い打撲傷を負っているうえ、体中毒草の棘で引っ掻いた傷だらけであり、その上毒の胞子も沢山吸いこんでいるようだった。

これはすぐに永琳の所へ連れて行くべきかと思った。

しかし、どうも、この男は外の世界から来たばかりであるらしい。

こういった外の世界からの迷い人は、往々にして向こうに居る事が不可能になったか、或いは危険になったからこちらに命辛々(いのちからがら)逃れて来た場合が多い。

永琳の所に治療に行けばすぐにそれは霊夢に知られ、彼女が外へすぐに連れ帰ってしまうかもしれない。

幻想郷の(ことわり)からすればそうするのが正しいのであろうが、この遭難者にとってそれが必ずしも良い事とは限らない、場合によっては命の危険にさらされるか…自ら命を絶ってしまう可能性も大いに有る。

その上、うわ言で度々ルーミアや吸血鬼達に追われているような事も口走っていた。事情を聴きだせるまで…それがいつになるかは分からないが、ここで様子を見た方がいいように思える。

男は蜂谷(はちや)(まもる)と名乗ったが、それを聴き出すのにすら数日掛かった。

事情を聴きだせるかどうかは分からなかったが、それでもアリスは無理に聴き出そうとはしなかった。多分、言いたくないか、言えない事情が有るのだろう。

かく言うアリスも、自分が幻想郷に来た理由を誰にも言いたくはなかった。

*作者注
アリスの素生に関する部分は、原作に一切記述は無く、東方求聞史記(書籍)に辛うじて「外の世界から来たのではないか?」と書かれている程度です。ここではそれを適当に膨らませてみました。完全にここだけの設定です。

それは株価大暴落に端を発する、世界大恐慌時代の田舎町での出来事。

アリスはそれまでの裕福な暮らしを突然奪われた。

それだけならどうという事は無い。

しかし、恐慌は経済だけに止まらず、人々の心の中にあらゆる形のパニックを引き起こした。

不安を背景とする暗い世相は、俄か者の霊能力者、予知能力者、偽聖者や自称エクソシストを多数生みだす事となり、彼らの言動はパニックを鎮めるどころかそれを救い難いものへと増幅させた。

彼らの法螺(ほら)により、不景気はしばしば魔女や悪魔のせいにされ、彼らの指導のもと、インチキな魔女裁判や悪魔払いが執り行われるようになってきた。

人形と対話しながら空想にふける事が多くなっていたアリスを、そんな彼らが見逃がす筈もない。

正常な判断が出来なくなっていた街の人々や、アリスの両親までもが悪魔払いに熱心になり、とうとう十字架の下、それは執り行われた。

アリスの記憶には十字架の下で焼かれる人形の姿しか残っていない。

そこから先を思い出そうとすると急に全身に悪寒が走り、吐き気と眩暈(めまい)で立っている事が出来なくなる。途中の記憶はプッツリと飛んでおり、その先は博麗神社の鳥居の下から始まっていた。

そのような辛い記憶を持っているかもしれないこの遭難者を、すぐに外へ帰してしまうのは危険な事だと思える。仮にそれが杞憂であるにせよ、それを確認できるまでは様子を見るべきだと思った。

外の世界の人間にとって、魔力や妖力、神通力の類は、その存在自体が一種の脅威になる物だから、自分が魔力を持っている事は伏せておいた方がいい。

しかも、最近、彼が少し動けるようになると、持っていた小さな聖書を音読する事が有り、自分が魔女である事を知られるのは益々マズイと思えた。

最初のうち、聖書の文言は耳に痛く、とても近くで聞いている事は出来なかったが、何度目かでフッと肩が軽くなるような、何かが蒸発して行くような感覚がしてからは平気になった。

今日は病室として使っているゲストルームから彼を連れだし、食堂で朝食を取らせてみようと思う。合わせて家の中を案内して少しでも気晴らしをしてもらおうと思った。

 

アリスマーガトロイド自宅内、ゲストルーム

この家に担ぎこまれてから何日が過ぎたであろうか?

怪鳥や蝙蝠(こうもり)少女に襲われて重傷を負ってから最初の2〜3日は任務の事ばかり考えていたが、それも馬鹿馬鹿しくなってすぐにやめた。

化け物が支配するこの幻想郷とか言う世界に閉じ込められ、重傷を負っている自分にはどうする事も出来ない、考えるだけ無駄だ。

あちらからこちらへ持ってきた物は全て失われてしまった。

補給物資も、標定装置を見付けるのに必要な受信機も、武器も、仲間すらも。

今手元に有るのは「信仰が有れば地元の教会を隠れ家に使う事が出来る」というので持たされたポケットサイズの聖書だけだ。

国民の信仰は厳しく制限されていたが、工作員は大目に見られていた。亡命者達は訓練所の中に常設されている教会に普通に通っていた。

今できる事と言えば、これを読んで傷が早く治るように祈り、この未知の土地で生き延びられるように神頼みする事ぐらいしかない。

傷が回復したら出来るだけ早くアリスに恩返しせねば。

どうやら彼女は森の奥地に有るこの家に一人で住んでいるらしいから、色々と手伝える事も有るだろう。

母親のように献身的に…まあ、自分には父も母も居なかったから、想像するより他にないのだが、とにかく、献身的に世話をしてくれた彼女のおかげで自分は生きながらえる事が出来たと言っていいだろう。

全てを奪われ、全てから隔絶された自分にとって、今やアリスとこの家が世界の全てとなった。

外の世界に居る時、時折見る事を許された映画や小説の中だけの事で有る筈だった温かい家庭生活を送れているのが、この幻想郷とか言う異世界に閉じ込められたおかげというのも何とも皮肉な話であったが、とにかく全ての宿命から解放された今は幸せであると言える。

ドアがノックされた。

「どうぞ」

朝食を持ってくる時間だと思ったが、アリスは何も持たずにドアを開けてこの部屋に入ってきた。彼女は枕元に置いてある聖書に目を止め、それを話しの取っ掛かりに選んだようだ。

「朝から熱心に聖書を読んでいるのね?信心深いのかしら?」

「いや、これはここに来るまではお守り代わりに持っていただけさ、読みはじめたのはここに来てからだよ」

「そうね、でも、その内に何か御利益が有って良い事が有るかも知れないわよ?今日は食堂に朝食を用意したんだけど、歩けるかしら?」

「それは良い知らせだ、早速ご利益が有ったかな…」

立ち上がろうとしたら足の関節に痛みが走り、思わず中腰のまま止まってしまった。森の中を痛みと疲労を無視して歩き続けたツケが、どうやら回ってきたらしい。

アリスが慌てて手を貸してくれた。

「無理言ってごめんなさい!すぐにこっちに持ってくるから休んでいて!」

「いや…大丈夫、大丈夫、ちょっと立ち上がる所だけ手伝ってくれれば大丈夫だよ」

よろよろとベッドの上に膝で立ち、アリスの右肩に手を置いてそれを支えにして一気に床の上に立ちあがった。

「どうしたの?びっくりしたような顔をして?」

彼女が語りかけてきて、はっと我に帰った。

立ち上がって見るとアリスの背丈は思いの外低く、初めて彼女を見下ろすような視点で見た。横になっている時は、もっと彼女を大きく感じていたのだ。

「いや…ごめん、こんな小さいのにどうやって俺を家の中まで運んだのかな?と思ったものだから」取りあえず咄嗟に浮かんだ言葉で誤魔化した。

「あっ…あれよ!火事場のなんとかって言うじゃない?あの時は必死だったのよ!」

 

アリスは蜂谷の手を引いて食堂まで案内した。

“学食じゃないか?”と言われるほど大きな食堂をちょっと自慢し、食後は作業部屋を見せて“自分は人形作りを生業としている”と、人形の数々を見せながら蜂谷に説明した。

制作中である等身大の大作も自慢しようと思い、蜂谷にそれを見せて感想を聞こうとしたが、何やら人形の方をあまりよく見ず、歯切れのよい答えも返ってこなかったので、つい

「ほーら!もっと見てちょうだい!これ!中々の物でしょ?」

と、コメントを催促したら

「いや…その…服が…」

アリスはここで初めて人形に何も着せていない事に気付いた。

慌てて人形に布を掛けようとしたが、手近に大きな布が無かったので、焦って自分のスカートを広げて人形を隠してしまった。

その様子を見て蜂谷は初めて声を上げて笑った。

アリスも顔を真っ赤にしながら笑って場を取り繕う。

蜂谷をあまり歩きまわらせると傷に障るだろうと思ったから、再び手を引いて蜂谷をゲストルームに連れて行き、ベッドに寝かせると部屋を出た。

昼食の用意をさせようと思い、人形を呼び寄せる。

・・・来ない。

また呼び寄せる。

・・・やっぱり来ない。

人形を座らせてあるリビングのソファの前まで行き、人形を直視しながら念を送ると、それは漸く(ようやく)フラフラと飛び立ち、すぐ近くでポトンと落ちた。

「魔力が弱くなってる!」

この事はアリスにとって少なからずショッキングな出来事であったが、同時にそれは忘れかけていた夢の幾つかを取り戻せる可能性を秘めている事に気付いた。

「あの人となら戻れるかもしれない…」

「人の暮らしに!」

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(21)異変

5月20日、チームスピリット白神は予定通り決行された。

青森側から進む師団主力は三個連隊を並列、白神平を太平洋側から包囲し、この地区の全ての脱出経路を封鎖。

日本海側から韓国海兵二個大隊がゲリラ出没想定地域に向かって前進し、白神平方面に向かってゲリラを追い上げ、白神平で網に掛かった敵を予備に拘置していた自衛隊一個連隊が空中機動作戦にて掃討する構想である。

チームスピリット白神自体は演習で有ったが、その真っ只中、白神平地区博麗神社跡では別の作戦、「大蛇(おろち)作戦(さくせん)」が密かに実行されようとしていた。

 

白神山地内 渓谷上空

白神平地区博麗神社跡を直接の目標とする為に、特別に編成された(つるぎ)中隊120名を乗せた多目的ヘリコプターUH−60の列は緑の渓谷を縫うように低く飛び、目的地へと急いだ。

その少し上空では攻撃ヘリAH−1が警戒して護衛にあたり、その遥か上空で米軍の警戒管制機が隊列の動きを監視し続けていた。

前三回の追跡で失われた3個チーム27名の(かたき)を今度こそ取らねばなるまい。

レンジャー過程から選抜された選り抜きの隊員と、海外での極秘行動に幾度も参加したベテラン幹部達が行方をくらまし、今の今まで何の連絡もないという事は、即ち彼らが死んだという事を意味している。

今回ばかりは失敗する事が出来ない。

剣中隊長志村一佐は、博麗神社跡に最初に踏み入り、現場確保に当たる西本一尉に一声掛けておこうと思って無線機のヘッドセットを取った。事によってはこれが彼との最後の会話になるかも知れない。

志村一佐はUH−60 のガスタービンエンジンとローターの立てる騒々しい音にかき消されないように努めて高い声が出るよう気を付けて話し始めた。

「Σ9、Σ9、こちら(つるぎ)ロ、あと30分で降下だが、そちらの状態を送れ」

すぐにマシンノイズでざらついた応答が返ってきた。

「剣ゼロ、ΣチームはΣ2が二日酔いでテンション低い以外はすべて順調、送れ」

「また下平か、まあいい、今度こそ極東人民軍の奴らに大和魂を叩き込んでやれ、しかし無理は禁物だぞ、スケジュールの遅れは気にするな、必ずその命持って帰ってこい、送れ」

「剣ゼロ、心配してくれているんですか?それとも私達の実力を疑っているんですか?送れ」

「そんな事はどっちでもいい、兎に角お前らが帰ってこないと何時まで経っても危険手当と特別勤務手当を銀行に振り込み続けなきゃならん、今はそれが気がかりだ、送れ」

「分かりました、必ず帰ると約束します、送れ」

「ああ、頼むぞ、くれぐれも敵を侮るな、敵はどんな姿でどんな罠を仕掛けてくるかも分からない未知の相手だ、危険が迫ったら迷わず行動に移せ、責任は俺が取る、送れ」

「Σ9了解、送れ」

「剣ゼロ通信を終える」

博麗神社跡が敵の拠点であるとしたら、Σチームの中から少なくとも3人の犠牲者が出ると事前に試算されている。


仮にΣチームが全滅したとしても、予備に拘置しているαとβチームをフォローに回せばどうにでもなる。彼らは戦う為に居る兵隊。あまり考えたくはないが、彼らは兵隊蟻のように有事には生存確率ゼロの戦いに参出来るように訓練されている。

非人道的との誹りを免れぬことぐらい承知の上だ。

しかし、この犠牲が無ければ極東人民共和国に何基あるか知れない戦術弾道ミサイルによってあらゆる外交交渉が向こうの言いなりになりかねない。

それはすぐに周囲の国々に波及し、どうかすれば、日本の友好国が次々に手のひら返しで極東人民共和国に接近を試みかねない。

かつては想定の一つでしかなかったこの状況は、アメリカの影響力低下により今や現実のものとなりつつあった。

事態が進行すれば、資源が少なく、それを輸入して製品に加工して国民を養っているこの国が、飢餓と貧困の国へと転落してしまう危機に直面する事になる。

その為の犠牲・・・人柱という言葉が志村の脳裏によぎったが、今はそれを考えるべき時ではないと思った。

博麗神社跡は白神平から更に山奥へと向かう登山道の途上にある小高い丘だ。

目標を事前に包囲する為に10機が先に剣中隊員を降下させ、黒々とした機体を翻して帰って行った。

西本一尉のΣチームを乗せたヘリと、全般を上空から監視する司令部ヘリだけが博麗神社跡上空に残った。

司令部ヘリは先に降下した隊員が設置した各種監視装置、赤外線モーションキャプチャーや対人レーダー、音源票定装置や化学物質探知機の捕えたデータをキャッチできるので、地上で鼠一匹が動いてもそれを見逃す事は無い。

それは上空を旋回する警戒管制機にリアルタイムで送られ、更に詳細な分析が為され、地上に居る実働部隊に送られる。

今度こそ“行方不明”等という馬鹿げた幕切れは有り得ない筈だ。

西本一尉は降下前の最終確認をする為に、エンジン音と風の音に満たされたヘリに搭乗している隊員に無線で呼びかけた。

「Σ9より各隊員、状況を送れ」

Σ8準備よし!Σ7準備よし!Σ6準備よし!Σ5準備よし!Σ4準備よし!Σ3準備よし!…Σ2…準備よし…Σ1準備よし!」

一部不安が有ったが、まあ、大丈夫であろう。

最後の命令下達は儀式のような物だったから省いても良かったのだが、気合を入れる意味でやる事になっている。今回もそれに倣う事にしよう。

Σ9より各隊員へ、Σチームはこれよりラぺリングで博麗神社跡参道へ降下!参道を東へ進み、博麗神社跡を確保し、後続の部隊を誘導する!全員弾倉付け!」

9名の隊員が一斉に30連箱型弾倉を89式小銃に叩き込む籠った音がした。

「装填!」

銃の右側面に付いているチャージングハンドルを一杯まで後ろに引き、手を離すと幾つもの鋭い金属音と共に弾倉内の弾薬は銃身に収まり、全員の射撃準備が整った。

「安全装置!」

ファイアリングセレクターを安全を意味する(ア)の位置に全員が合わせる。

いよいよこれから27名の命を飲み込んだオロチの口の中へと飛び込んで行く。

下に見える緑の木の葉一枚一枚が敵を隠すための巧妙な仕掛けに見え、その間に開いている小さな黒い隙間の一つ一つが正体不明の怪物に情報を送る為の不気味な目に思えた。

志願してこの役目を引き受けたとはいえ、それを目前にした今、やはり、後悔しなかったと言えば嘘になる。

西本一尉は今、正直そう思っていた。

他の連中も同じだろう。

使い古された手ではあるが、隊員達に一声掛けて景気付けをしようかと思う。

「Σ9より各隊員へ!中隊長から“その命絶対に持ち帰れ”との有難い言葉をいただいた!絶対に死なないと約束しろ!帰ったら吉原へ連れて行ってやるぞ!俺の奢りだ!」

西本一尉は事前の行動計画を“間違えて”敢えて自分のカラビナリングを一番先に降下ロープに掛けた。

 

幻想郷内 博麗神社境内

ここのところ曇りや雨の日が多くなり始めた。

幻想郷も梅雨を迎えようとしている。

博麗神社に入り浸っていた連中も流石に天気の悪さからその足も遠退きがちであるようだ。

博麗の巫女こと博麗霊夢も、神社の掃除を済ませた後は「はて?香霖堂へ行ったものだろうか?それともここで待つべきだろうか」と度々考える事が有るようになった。

茶も茶菓子もなければ迷わず香霖堂へと飛ぶのであるが、それが有る今、選択は二つになり、以前に比べればささやかながら贅沢な悩みが出来た事になる。

今日は待つ事にしよう。

香霖堂へは天気の崩れが無い事を確認してから行けばよかろう。

霊夢は箒を片付け、台所へ行って湯を沸かし始めた。

炭に火が回るまで時間が掛かる。湯が沸くまでの間、縁側に戻っている事にしよう。座布団に座って待っていれば誰かが来るかもしれない。

しっとりとした朝の風景を座布団の上でボーッと眺めてみる。

異変が何も起こらなければ、この幻想郷も平和を通り越して退屈なものだ。

猫が来た。

外の世界から流れてきたらしい猫で、名前はまだ無い。

薄墨色のような、青いような、不思議な色をした子猫だ。

人間の里で、鬼娘の萃香とジュリアナ東方へ行った帰りに拾った。

ペットは飼い主に似ると言うが…この猫は霊夢に何か一声掛けるとか、承諾を得るとかの手続き一切を省き、それがさも自然の摂理であるかの如き迷いの無さで霊夢の膝の上に乗り、大あくびを一回してから丸くなって眠ってしまった。

霊夢は猫の背中を優しく撫でながら、誰言うともなく呟いてみる。

「今日の相手は猫さんだけね」

と、言うが早いか…

「そうでもないよ」

と、何もない空間から声がした。

ふっと気付いて顔を上げてみると、目前の空間に暗紫色の隙間が現れ、その中から見慣れた人物が見慣れぬ服装で現れた。

「ゆ…紫?…だよね?なにその格好!ボーイスカウトのインストラクターにでもなるつもり!?」

空間に隙間を作って出入りできるのは、幻想郷広しと言えども、幻想郷最古の妖怪である八雲紫しか居ないので、彼女である事には間違いないのだが。

しかし、着ている物が変だ。

しかも、蜘蛛の巣や埃の塊が頭のてっぺんから足の先まで、あちこちに点々と付いているのも不審極まる。まるでどこかの大掃除でもしてきたか泥棒にでも入ったかのように。

紫は霊夢の指摘を受けるまで妙な格好をしているのをすっかり忘れていたようだった。慌ててばつが悪そうに取り繕う。

「こっ!これは外の世界の軍隊の制服さ!それより大変だよ!」

霊夢は更に不審げな表情を露わにし、横目に紫を見ながら疑いの言葉を掛ける。

「ふ〜ん…外の世界の軍隊って、意外とお洒落な格好で(いくさ)をするのね?」

「いや!ちが!これは事務仕事をする時だけさ!月の兎じゃあるまいし、これで戦いはしないよ!」

霊夢はまあ、その事はちょっと横に置いておいて先の話を聞く為に、紫の妙な格好の事は一旦容認する事にした。

「それ聞いて安心したわよ、あたしはてっきり、紫がお金に困ってとうとう“ボーイスカウトパブ”でも始めたのかと思ったわよ、ダメよ?未成年の男の子を夜の店で働かせたりしちゃ?」

「はぁ〜っ…な〜にを言っているんだいこの娘は…それより大変だよ!」

「なにが大変なのよ?」

「外の世界から武装した人間が何度もやってくる原因、それが分かった」

「やったじゃないの!で、どんな原因だった?」

「どうやら外の世界の通信機…隠密が仕掛けた通信機がこっちに落ちてきてしまったらしい、その電波を辿って外の世界から人間がやって来るようになったのさ、通信機を取り戻したい隠密達と、それを無き物にしたい隠密の敵兵の両方がね」

「じゃ、その通信機を見付ければ解決という訳ね?」

「それはそうなんだが…その通信機は月の高さに有る人工の星と通信する為の特殊な機械で、送信場所、受信場所共に特定しにくい特別な波長で交信しているらしい、どうやら八坂神奈子が河童の技術者にそれを探させているらしいんだが、未だに見つかっていない」

「機械の事で河童に出来ない事は、あたし達には到底手に負えないわね、他に解決手段は無いの?」

「有るとすれば、人口の星の方を壊すしか無かろう」

「出来るの!?そんな事!?」

「難しいが…理論上不可能ではないよ」

「理論上ねぇ…で、それはどんな理論なの?」

「それは!…今から考えるさ」

「それは、理論上何も手段が無いっていう事なんじゃないのかしら?」

「霊夢、あんたも言うようになったねー、で、そう言うそっちはどうなの?迷いこんできた人間と接触は出来たの?」

「残念ながら惜しい所で逃げられたわ、でも、多分もう生きてはいないわね、魔法の森で毒黴の中へ飛び込んだ直後に玄武の沢へ落ちて行ったわ、そのうち死体が揚がるんじゃないかと思うけど」

「う〜ん、死体か…何かに食われなければ…見つかるかもしれない程度の話だね」

「他にも人間は二人居たようなんだけど、一人はルーミアに食われて、もう一人はフランドールが能力でペシャンコにしてしまったわ」

「あいつらまた人間狩りを…で、その時あいつらからなにか聞き出せたかい?」

「やっぱり逃げられたわ、生きている方の人間を追っている内に何処かへ行ってしまったのよ」

「奴らを締め上げて聴き出すか…しかし、紅魔館を攻略している余裕は無いから精々ルーミアから聴ける程度だね」

「そんなに急ぐ話なの?」

「ああ、数日以内に外の世界の軍隊が山狩りをするんだ、通信機と、隠密と、食われた仲間を探し出す為にね」

「大変じゃないの!あたしはどうすればいいのよ?軍隊なんかと戦うのは無理よ?」

「出来る事と言ったら…次に迷いこんできた人間を見付けて事情を話し、山狩りを待ってもらうしかない、他の妖怪や天狗よりも先に人間を見付けてね」

「そんな事出来るかしら?外の世界と繋がり易い場所は、ここ以外にも無縁塚とか、何箇所かあるのよ?」

「まあ…その前に人工の星の方を何とかするさ、壊せなくったって、地上と通信できないように細工できるかも知れないよ」

「お願いよ紫、寝ずの巡回なんか何時までも出来るものじゃないわ」

「ああ、出来るだけ早く何とかするよ、何機か有る内のどの星が隠密と通信しているのかさえ分かれば、何とかなるよ」

そこまで言うと、紫は再び空間に隙間を開いて何処かへ行ってしまった、恐らく外の世界かルーミアの所であろう。霊夢も急いで支度をする。

支度といっても火の始末と「猫の世話をお願いします」という書置きをするぐらいのものだが。

霊夢は座布団の上で丸くなっていた猫を抱きあげ、その鼻先に向かって話しかける。

「いい子にして待っているのよ?魔理沙や萃香の言う事をちゃんと聞いてね?」

飛ぶようにしてというか、実際に縁側から飛び上がって霊夢は気になる場所の見回りへと向かった。

背後で猫が「にゃ〜〜〜ん!」と呼びかける。行ってらっしゃいという意味であろうか?それとも気を付けてという意味だろうか?とにかく、今まで聞いた事も無いような長く引く声で猫は霊夢を見送った。

 

妖怪の山の麓 間欠泉地下センター 中央指令室

妖怪の山の麓にぽっかりと巨大な穴が開いている事は知られていたが、中で何が行われているかは秘密にされ、知る者は少なかった。

ただ、そこは守矢神社の二柱の神、八坂神奈子と洩矢諏訪子によって管理されている事は知れ渡っていた。

八坂神奈子は地下センターの中心部、中央指令室の大画面モニターを見上げながら難しい顔で考え事を続けていた。

そこには幻想郷内で見付かった外の世界の兵隊が残して行った痕跡を示す点が、地図上に点々と表示されている。

しばらくそうしていたが、少し困った顔で隣に座っている洩矢諏訪子の方に視線を落とした。

「ねえ、諏訪子よ?外の世界から来た兵隊達、ありゃ、博麗神社の辺りから幻想郷に入りこんでいると思うんだけど、あなたどう思う?」

諏訪子は河童が持ってきた書類を自分の目で読みつつ、麦藁帽子の方に付いている目を神奈子の方にキョロリと向けながら答える。

「うん、確かに博麗神社は怪しいよ?でも、それ以外に無縁塚や魔法の森周辺も気になるよ、特に…」

「魔法の森かい?」

「うん、あそこだけポッカリと何の痕跡も見つかっていないのは逆に怪しいよ」

「単に天狗が入って調査できないから見付からないだけなんじゃないのかい?」

「そこなんだよ、人間も毒で入れない筈の森の周囲に点々と外の世界の兵隊が残した痕跡が残っているっていう事は…」

「この外周を回って安全な経路を探していたか…」

「森の中から外へ出ようとした時に襲われた可能性もあるよ」

「ふ〜ん…森の反対側から向こう側へ行こうと毒を避けて歩く内に結果的に森の外周を回ったかだねぇ…」

「それより神奈子、最近外の世界から電波を送って来る変な星、あれの活動がやたら活発になって来てるんだよ」

「どこで受信しているのか突き止められたかい?」

「それが、全然だよ、すごく波長が長い上に強力で、幻想郷の中の何処かとしか言いようがないんだ」

「同じ波長の電波を当てての妨害は、上手く行っているのかい?」

「向こうの電波の強さと、こっちの発電容量次第だね、あんまり星の方にばかり構っていると、今度はケータイの方が外と繋がっちゃうから、正直だんだん無理が出てきているよ」

「いいかげん…なんとかしないとダメかねぇ…」

神奈子は外の世界の兵隊との接触は出来るだけ避けたかったが、こうなっては仕方なく思えた。次に外の世界の兵隊が迷い込んできたら捕まえて彼らから対策を聴き出そう。

なあに、妖怪に食われる前にこっちが捕まえるだけの事だ、彼らを外の世界へ帰す必要は無かろう、幻想郷の中に住まわせればよいだけの話だ。

それをやっている間、地下核融合炉はフル稼働となるだろう。

「諏訪子よ?最近地下核融合炉の調子は?」

「機械的には絶好調なんだけど、ちょっと最近、心理的に不安定になりかけているよ」

「あんまり働かせすぎかねぇ?疲れが出てきたんじゃないのかい?」

「う〜ん…体力的にも精神的にもまだまだ余裕は有るんだけどね?最近、自分の仕事に疑問を持ち始めているようなんだよ」

「そろそろ本当の事を教えておいた方がいいだろうか?」

「それは…博打(ばくち)ね!上手くいった以上出力バンバン発電ど、失敗発電って…」

「幻想郷中に散らばっている外の世界の通信機が外と繋がる?」

「そうなったらここは最早幻想郷じゃなくなるよ、結界が無くなってしまうんだ」

「仕方ないねぇ、お空(おくう)当分っていよう

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(22)お空

地獄(じごく)(がらす)(れい)()()(うつほ)は今日も言われるままに“幻想郷を守る”為の仕事に就いていた。

名は読み方が難解である為に“れいうじうつほ”と正しく呼ばれる事は無く、“お空(おくう)”と呼ばれている。

当の本人も“れいうじうつほさん”と呼ばれても、もはや自分の事だとは気付かなくなりつつあった。

お空は間欠泉地下センターの最深部に位置するこの機械、今日もこれに両足を突っ込んでじっとしているという退屈な仕事を続けている。

この暇な仕事にどんな意味が有るのか、訊いた事が有る様な気がするし…

まだ一回も訊いた事が無い様な気もする。



いずれにせよ、分からないのだから訊いてスッキリしようか?もしかしたら本当に初めて訊くのかもしれないし、もしそうだったら怪訝な顔をされた上、馬鹿にした態度であしらわれる恐れは無い事になる。

考えてみる。

訊いた事が有るのか?

訊いた事が無いのか?

答えは二つしかない。

二つしかないという事は100の内50の確率で訊いても馬鹿にされない事になる。

50%は、多分、キッチリ半分の事であるから、二分の一ぐらいであろうか?

なら、確率的には悪くないと思える。

お空が仕事をしている間は胸の中央に有る赤い珠玉が発光している。

お空は考え事をしている間に無意識のうちにその珠玉の前に腕を組み、黒い翼は更にそれを覆うように広げていたから、赤い光はお空の顔を下から強く照らしていた。

難しい考え事であるから、無論表情は険しい。

「訊くべきか…訊かざるべきか…あたしって、もしかしたら物凄く高度な哲学的問題について考えているんじゃないのかな?」

これは中々にシリアスで知的な姿なんじゃないかと思った。

右腕に装着されている巨大な六角柱の重さで腕が震え始めてきた、折角だから、まだしばらくはこのままでいようと思う。

このシリアスでカッコいい姿で質問を発すれば、それはかなり知的な質問に聞こえるに違いない。

早く…誰か来ないだろうか?

そろそろ六角柱が重い。

この六角柱は何だっけ?…えっと…そうだ!第三の足だ。

この第三の足にはその他に“制御の足”という名前も有った。

左足は分解の足、右足は融合の足だった…よしよし!覚えてる覚えてる!!

「ちょっとお空、何をニヤニヤしているの?ニヤケ顔が下から照らされてムッチャ怖いわよ?」

不意に河童の技師から声を掛けられたのでちょっと驚いた。


「あ!…みとりさんじゃない!おはよう!」

*作者注
原作に登場させる事が検討された、にとりの姉「みとり」というキャラは、諸事情により結局ボツになってしまった幻のキャラだとの事です。
ここではその名前と設定の一部を拝借して適当に膨らませてみました。


(後日、ニコニコ動画から発生した派生キャラである事が判明しました)

河童の技師は、やれやれといった感じで答える。

「もうお早うって時間でもないんだけどね、で、何が有ったの?嬉しそうにニヤニヤしたりして?」

みとりは眼鏡をつん!と人差し指で持ち上げながらお空に質問した、首をかしげると長い髪はその方向になびく。

「あ!そうそう!今日こそ訊こうと思っていたんだけどね!」

「はい、はい、はい、“あたしは何故この機械に足を突っ込んでじっとしているのか?”でしょ?」

「よくわかったね!みとりさん、人の心が読める程度の能力?」

「程度って…ええ、確かに最近“お空がその日最初にする質問を言い当てる程度の能力”は付いたかしら?」

「すっごいじゃない!もしかして明日する質問も分かるの!?」

「ええ、今日と全く同じですよ」

「ええ?そんな、あたし、そんなに何度も訊かないよ!」

「ま〜あ…そうかもしれないわね?あなたがここに来て、はじめてこの仕事に就いてから毎日欠かさずしている質問の答えを覚えてくれれば、明日の質問は変わるかもね?」

しまった!と、お空は思った。

またやってしまったらしい。

この質問はどうやら、毎日この河童の技師にしていたらしい。お空は申し訳なさそうに力無く詫びる。

「ごめんなさい、あたし、またやっちゃったのね」

みとりも“しまった!”と思った。この地下核融合炉から一歩出て、間欠泉地下センター内に入れば、そこは記録装置さながらの記憶力を持つ者ばかりが居るから、ついついお空だけは特別である事を忘れてしまう。

それは記憶にとどめる事が出来ないとか、記憶を取り出す事が出来なかったとか言う意味ではなく、その注意を意識下に置いておく事が出来なかったという意味での事だ

「ああっ!いや!そんなにすまながる事は無いのよ!大事な事だから何度訊いて確認してもいいのよ!」

みとりはいつものようにお空に仕事の内容を聞かせてやる事にした、毎日そうしているように。

「いいことお空?あなたはこの地下核融合炉に火を入れる役目をしているの、あなた以外の誰にも出来ない、とても重要な仕事なのよ?」

「本当に?本当にそうなの?こんな風にじっとしているだけで?」

「そうよ、あなたがここに居てくれれば、この核融合炉は必要な出力を得て反応を続ける事が出来るわ」

「なんか信じられないな〜、ねえ?もし、これ止めちゃったらどうなるの?」

「そんな恐ろしい事言わないでちょうだい、そんなことしたら2〜3時間で核融合反応が止んで結界を守っている電波の発信も止まってしまうわ」

「みとりさん、もしかして、あたしに気を使って嘘言ってない?あたしがここに閉じ込められているだけなのを隠す為にそんな事を言ってるんじゃないの?」

「なんでそんな事を言うの!?」

「だって、霊夢に懲らしめられた時、危険な奴だから退治してやるとか言われたわ」

「危険だからここに居るんじゃないわよ、そんな事、絶対、ありません!」

「う〜ん…そう?でも幻想郷を守る仕事って言ったら、霊夢がやってるような派手な戦いでしょ?普通?それに、結界を守るのだったら博麗の巫女の仕事じゃない?」

「外の世界の道具…通信機が多くこっちに落ちてき過ぎるのよ、人間の科学技術で作った物は、博麗の巫女の力じゃどうにもならないわ」

「でもねえ、あたし、みとりさんに色々世話になってるじゃない?この仕事の内容って誰にも秘密なんでしょ?もっと表に出していい派手な活躍を見せて、みとりさんに恩返ししたいよ」

「ありがとうお空、でもね?ここに居てあなたにしか出来ないこの仕事を続けてくれるのが一番の一番の恩返しだわ」

「ところで、みとりさん?」

「なあに?お空?」

「これ、いつまでやってないといけないの?」

「そうね、星から飛んでくる強力な電波を止める事が出来たら、地熱発電だけで足りるから、星の電波を止められるまでね」

「う〜ん、いつになるか分からないのね?」

「今、諏訪子様が止める方法を探して下さっているわ、だからもうしばらく待っていてくださいね」

みとりは、お空の質問がそろそろ核心部分に達しつつあるのではないかと不安になってきた。融合の足に核融合反応を起こさせる為には、危険極まる分解の足で核分裂反応を起こさなければならない。それを心もとない制御の足でコントロールしている。

お空が各足の働きと、そこに潜む危険性について説明を求めて来る日も近いのではないかと思った。

鳥頭のお空の事であるから理解するのには多分相当の時間が掛かり、更にそれを覚えるのにはその何倍もの時間が掛かるだろうから当分心配は無いが、お空を騙し続ける事にだんだん心苦しくなってきた。

この融合炉はもしもの時は数百トンの鉛で封鎖され、その時にはこの部屋に液体窒素が満たされる事になっている。もしもの時にお空が助かるという可能性は、このシステムが出来た当初から想定にすら入っていない。

お空は単なる(からす)として生まれ、地底世界で地霊殿の主“古明路さとり”のペットとして長い事過ごしていた。

お空には人の心の動きが読めるような気がしてならない。

動物は言葉を使う事が出来ない代わりに、相手の匂いや小さなしぐさから相手の心の動きを読み取る能力を持つという。

妖怪化して言葉を得た今でも、お空にはその能力が残っているような気がしてならない。でなければ、“世話になっているから活躍で恩返ししたい”などと言うであろうか?

みとりが日々抱き続けている心の痛みはお空にも伝わっている可能性がある。

「みとりさん?」

「な…なに?お空?」

「あたし、鳥頭だからこんな仕事しか出来なくってごめんね」

「何を言っているのよ、これは…」

さすがにここで言葉が詰まった。

確かに分解の足は特別に精神力の強い者にしか扱えない。

制御の足が有る為に右手が使えなくなる事も容認する心の広さも不可欠だ。

その為にお空が選ばれたと言い切る事は出来る。

しかし、正直なところお空の記憶力障害を保険として利用した側面は否めない。

お空にならバレないと誰もが思ったのだ。

みとりは言葉を続けようとて口を開いてみたが、それはこの鴉を騙し続ける為の言葉として効果が有るかどうか疑問としか言いようのない内容になってしまった。これしかこの場で口に出来なかったのだ。

「これは!この幻想郷内であなたにしか出来ない仕事なのよ!博麗の巫女と同じであなたにしか無い能力で私達を守っているの!」

最後の方は後ろ手に扉を閉めながらだったのでお空に伝わっているかどうか分からなかった。

 

間欠泉地下センター 中央指令室

「掛かりました!センサーが外の世界からの侵入を検知しました!」

河童のオペレーターの声で司令室内の空気が一気に張り詰めた。

それを聞いた八坂神奈子は急いで河童の横からコンピューターの画面を覗き見る。

下からヒョッコリと諏訪子の麦藁帽子が飛び出て来て、帽子に付いている方の目で画面を見た、どうやら必ずしも本人の目で見る必要は無いらしい。

「どこだい!?どっちに向かっている!?」

「博麗神社の鳥居の下に9人!西へ…魔法の森へ移動しようとしているようです!」

「やったよ神奈子!きっと受信機は魔法の森のどこかだよ!」

諏訪子の言うとおりかもしれない、ならば事は急を要する。

充分な数のガスマスクを持たない白狼中隊での追跡は無理が有る、先回りさせて待ち伏せで捕まえよう。

「諏訪子よ!白狼中隊を奴らの行く手に配置して待ち伏せさせよう、急いでね!」

「わかったよ!烏天狗にも上空から情報を集めさせる!」

「何としても他の妖怪に食われる前に全員捕まえるんだ!生かして返したりしたら結界の内側の事を報告しかねない!」

「うん!彼らがこっちでの出来事を夢か幻覚だと思っている内に手を打つよ!」

何しろ急がねばならない。

白狼中隊150名全員に非常呼集を掛けるのに1時間、配置完了に更に1時間、その間、人間はウロウロと道に迷うような動きを見せてから森を西へ進みはじめた。

「やりました!烏天狗が人間の隠れ家の一つを見付けました!」

「どこだ!?」

「魔法の森の中心近くに有る魔法使いの家、この画像を見てください!」

河童が引きのばして見せた航空写真には、家の物干しに干されている灰色の作業着が写っていた。外の世界の服だ!

「アリスの家か…」

「諏訪子よ、工兵に命じてアリスの家まで毒を除染した道を作らせろ、そこに恐らく星の電波を受信する機械が有る」

「大急ぎでやらせるよ!博麗神社はどうする?」

「烏天狗に封鎖させよう、今、博麗の巫女は?」

「無縁塚へ向かっているとの知らせが入りました!」

「よ〜し!紫の手の者の先手を取ったぞ!」
目次に戻る


東方ルアー開発秘話(23)妖と人

 

僕は河童の河城にとりと共に妖怪の川を遡り続けていた。ルアーの材料となる透明の合成樹脂、その代替品として最適とされる蜘蛛の糸の原液を貰いに行く為である。

しかし、蜘蛛の糸の原液は山の上に有るわけでなく、原液を貰う為にはその逆方向、妖怪の山の麓に有る地底世界の入り口まで戻らなければならない。

で、なぜこのような回り道をしなければならないかというと、それはこの原液が物凄く貰い難い物であるからに他ならない。

なにしろ土蜘蛛の黒谷ヤマメがお尻から出すというのである。

僕が一人で“尻から出る原液くれ”なんて言ったらセクハラ道具屋として蜘蛛の巣に吊るされてしまう事は確実であろう。

ここは河童のにとりに頼もうと思って同行をお願いしたのであるが、にとりは二人だけではまだ不確実と考えているようで、助っ人として流し雛の鍵山雛も呼ぶつもりである。その為に僕達は山を登り、鍵山雛の居る妖怪の川最上流部付近へと進んでいる。

最初の頃こそ道筋はハッキリ地面に刻みつけられていたが、やがて岩盤や沢筋を通る内にそれはどんどん細くなり続け、とうとう単なる山の“比較的歩きやすそうな部分”となって消えた。

こんな奥地に隠れ住むという事は、流し雛の鍵山雛がその身に蓄積しているという厄は相当の危険性を持っているのだろうか?

渓谷の歩きやすそうな場所には木漏れ日を受けて淡い紫に輝くシャガの花が一面に咲いており、それは以前ここが道であった頃に人が通行していたであろう筋にずっと続いている。

それは踏まれた様子も掻き分けられた様子もなく、少なくともここ数日は誰も通っていない事を証明していた。

「ちょっと…にとりさん?にとりさーん!?」

「なーによ香霖堂さん、もうへばったような声出して」

「いや…いやいや…まだへばってなんかいないですよ!」

「ふ〜ん、で、どうしたの?」

「この道、何日も人が通っていないように見えるんですけど?」

「ああ、誰も通らないのよこんな所」

「えっ!…じゃ、どうやってここから雛さんの所へ?道、知ってるの?」

「あーあ、あたしはね、普通川の中を泳いで行くからね、ここは長いこと通ってないよ」

「いつ頃から通ってないの?」

「うーん…子供の頃からだから…40…50年ぐらいかな!」

「って!待った!ご!50年!?」

「あ〜あ、そんなに心配する事無いよ、子供の頃はかなり頻繁に使っていた道だから迷いやしないって!」

「本当?」

「ホント、ホント、いざとなったら川の中泳いで行きゃいいのよ!」

「またまた、水着なんか持ってきていませんよ?僕は?」

「いらない、いらない、そんなの、トレードマークの(ふんどし)でいいじゃん」

やはり…こうきたか!

僕は人間としての生活が長かったせいか、妖怪や魔法使い達の感覚には付いていけなくなる事が度々ある。

前に霊夢が妖怪の川を遡って行った時の事を聞いていたから、もっと簡単に行けるのだとばかり思っていた。よく考えたら、彼女は風に乗って飛ぶ事が出来るのだ。

「ところでにとりさん?」

「今度は何?」

「あと、どれくらい歩けば着くの?」

「うーん、あと半日ぐらい?」

「げっ!今日中に着かないの!?」

「うん、でも泳げば三時間ぐらいだよ」

川の中を泳ぐ?三十分ならともかく、三時間は明らかに無理だ。力尽きて溺れる。しかも、その三時間は河童が泳いだ場合の事だ。僕が真似したら歩いて登るより遅くなるだろう。

「ちょっと!僕は泊まりなんて聞いてないですよ!?どこに泊まんの!?」

「テキトーにその辺の岩の窪みとか、あと、木の枝集めて屋根にしたりとか」

そうか、そうか、はいはい、わかりました、わかりました、人間の尺度で考えていた僕が浅はかでした。妖怪は妖力で自分の姿を変えられるから、いつも小奇麗に見えたりお洒落に見えたりする。その外見から、ついつい粗い事とは無縁だろうと思い込んでしまうのだが、実態はこんなものである。

僕は再び顎を突き出して、げんなりとした顔をしながら日の傾きかける山の中を歩き続けた。

 

博麗神社の西 魔法の森外周付近

(もみじ)、手柄上げるチャンスなんだから気合入れて行きなよ」

(あや)様〜、こんなに広い範囲に布陣しているんだから、あたし達の受け持ち場所に来るとは限らないですよ」

「なーに言ってるんだい、このスクープハンター(しゃ)(めい)丸文(まるあや)がここが一番怪しいと睨んで、無理言ってここに椛組を配置してもらったんだから、絶対来るって!」

「本当ですか?」

「なんなのよ?疑ってるわけ?」

「いや、そんなんじゃないですよ」

「じゃ、なんなの?」

「文さま、最近、自演の記事が多いじゃないですか」

「やっぱ疑ってんじゃん!」

「ぁ…ばれちゃいました?」

「もみじ〜、今はそんな事を言ってる場合じゃないでしょ?たとえマグレに頼るしかないとしても、外から来た兵隊を捕まえて大手柄と大スクープ一挙両得のチャンスなんだから、こっち来なかったら探しに行くぐらいの気概でやらないと!」

「ちょ、文様、そんな無断で持ち場を離れるとか」

「しいっ!誰か来るよ!」

ブナの森は湿った落ち葉や苔が厚く積もっているのであまり足音が立たない。どうやらお喋りが過ぎたようだ、小さな枯枝を踏み折るプツプツという小さな足音は、射命丸が気付いた時にはすぐ近くまで来てしまっていた。

木の葉の間にチラチラと動く人影が見える。

3〜4人だろうか?

柿色とも緑色ともつかぬ(おぼろ)な模様の服を身に纏い、武器を持っている。

見た事もないゴツゴツとした鉄砲だ。

頭にはお椀みたいな堅そうな帽子を被り、顔には狩猟民族が昔していたように岩絵の具のような顔料を塗りたくって擬装している。

こんな変な奴は見た事がない。こいつらが外から来た兵隊だろう。

よ〜し、先手を取ってやろうと思って椛が木の陰から一歩踏み出そうとしたその時、第一声は思わぬところから放たれた。

「君達は立ち入り禁止の山の中で何をしているんだ?ここでは山伏の修行も許可されていない筈だが?」

椛と文は声のした方に振り向いてみた。

そこには今見付けた人間と同じ装束の人間が三人立っていた。椛は心臓が潰れるのではないかと思うほど驚いたが、考えてみれば相手は人間、恐れる必要などない。

「椛組のみんな!出てきな!外の兵隊を包囲するんだ!」

椛の言葉で周囲に隠れていた白狼天狗が飛び出してきた、その一人が手筈通りに竹笛を鳴らすと、他の組の白狼天狗達も茂みを掻き分けて集まって来る。

人間はこの騒ぎにちょっと驚いたようだったが、すぐに平静を装いそのリーダー格らしき奴が椛に向かって話しかけてきた。

「分かっていると思うが、ここに許可なく入るのは違法行為だぞ?俺達はここで行われている不法行為の数々を調査に来た、自衛隊法に基づき、君達を不法侵入と武器所持集合の現行犯で逮捕する、手にしている武器を置き、直ちに集合するように仲間に伝えなさい」

椛はその言葉にかなりカチンと来た。

人間の里へ行くと、椛はしばしば子供扱いを受け、不当に軽く扱われる事が有る。外見上十代の少女に見えるからであろうが、それでも椛は文句ひとつ言わずに我慢し続けてきた。

“里は人のものだから、妖怪がそこで大きな顔をするな”と厳しく言い付けられていたからだ。

しかし、ここは妖怪の山の麓。里のルールは通用せず、神々の掟と妖怪達の自治が支配する場所だ。こいつには、ちょっと灸を据えてやらねばなるまいと思った。

「何言ってるんだい!言っとくけど、あたしはあんたの曾爺さんよりも年上なんだからね!それに、ここは人間のルールが通用する場所じゃないんだよ!あんた達こそ武器を置いて大人しく付いてこないと痛い目を見るよ!」

椛は背負っている剣に手を掛けると、それを一息に引き抜いた、鞘から抜く時に鋼がしなる金属音で耳鳴りがするほどの勢いで。

そのまま八相の構えで相手を睨みつける。

「全周囲警戒!」

リーダーらしき男が声を掛けると、外の世界の兵隊達は円陣となり、一斉に外側へ向かって銃を構えた。

椛は、こいつは馬鹿なのだろうと思った。

妖怪相手の戦いで、こんな近距離で銃を使ったりしたら万に一つも勝ち目はない。

一発か二発食らった程度では致命傷にならないのだから、そのまま迷わず切りつければ肉を切らせて骨を断つ結果となる事など明白だ。

まさか、このまま普通に撃って来る事は無いと思えた。

しかし、馬鹿に付ける薬は無いとも言う。こいつらの身を案じて手加減してやったばかりにこっちが少々痛い目を見る可能性もある、事実、こいつは部下に次のように命じた。

「Σ2!この女を照準し、抵抗したら撃て!」

「撃てって!こんな女の子をですか!?」

「忘れたのか?帰らなかった27名の事を?それに、このお嬢さんに、これは遊びじゃないと教えてやらにゃならん」

遊びじゃないと?教える?だと?またナメられたものだと思い、椛は更に頭に来た。

このまま人間風情に何時までも手を焼いていたなどと知れ渡ったら天狗の沽券にかかわる。

ここはビビらせてどっちが優位かハッキリ見せつけてやるべきかと思った。

「警告はしたからねっ!」

そう言いながら椛は剣を上段に振り上げた、切っ先が発する衝撃波で落ち葉が粉砕されながら舞い飛び、風圧を受けて兵隊達の服が一瞬“バン!”と強く鳴った。

「Σ2!撃て!」

「うっ!…怨むなよ!ナマンダブ!」

89式小銃の引き金が引かれると、その引き金室内で逆爪に掛かっていた撃鉄が解放された。

撃鉄はバネの力で撃針を打った。

撃針は薬室内に装填されていた弾薬底部の雷管を突き、点火薬が燃焼を開始した。

点火されたその火は弾薬内の発射薬へと引火し、弾薬内の圧力が限界に達した所で弾頭を銃身の中へと押し出し始める。

慈悲の心を持たぬ銅と鉛で出来た工業製品は、銃身内部に切られた螺旋に沿って回転しながら進む。

それは銃口を出ると、背後に黄色い燃焼ガスの輝きを従えながら空中を進んだ。

弾はそこで射手の発した言霊と出会った。

回転する弾頭は簡単な“なまんだぶ”という言葉を巻き込みながら引き伸ばし、本来の経文の長さへと展開しながら椛の腹部へ向かって進む。

椛は鞭の強打のような5.56mm小銃弾の音にも銃口制退器から出た銃口炎にも驚かなかったが、人間の発した言霊と、その言葉を乗せて光る緑色の弾道軌跡には心底驚いた。

緑色の光の矢は稲妻の速さで椛の腹部を貫き、何事も無かったかのようにそのまま一直線に何処か遠くへ向かって飛んで行ってしまった。

椛は剣を振り上げたままその場に両膝をついた。

顔からすうっと血の気が引き、目は虚空を見上げ、紫色の唇は何事かを言おうとしているのか、小刻みに震え続ける。

椛は腹部の傷口に視線を落とした。

赤い染みが広がり続けている服の下で無数の梵字が緑色に光っている。

光り輝く文字はすぐに溶け始め、虫の形に姿を変えると列をなして椛の傷口から中へ中へと這いこみ続けていく。

椛は再び空を仰ぐと、そのまま眠るような表情を浮かべてその場に倒れた。

黙っていた天狗達がざわめき始める。

「言霊だ…」

「言霊で撃ってきた…」

「禁じ手だ…」

「人間は禁を破った…」

「椛?…まさかっ?ねえ椛?…もみじーっ!!」

射命丸は倒れる椛を二〜三秒の間茫然と見つめ続けてからキッと人間を睨みつけ言い放つ。

「何やってるんだい!掟破りの人間を逃がすんじゃないよ!もう死んだって構やしないから!こっちもどんどん撃ちな!」

直後に天狗達の発する妖弾と人間の銃火が激しく交錯した。

人間達は森の奥の方へと逃げて行ったが、今はそれどころではない。

今は一刻も早く椛を治療せねば。

人間達はどうせ毒草の出す瘴気で遠からず行動不能になるか、他の妖怪に捕まって食われるだろう。

それよりも椛が先だ。

射命丸は椛を抱え上げると、黒い翼を広げて飛び立った、急がねば毒が全身に回って手遅れになってしまう。

「しっかりおしよ椛!すぐに永琳の所へ連れて行くから!死んだら承知しないからね!」

*作者注
念仏による攻撃がタブーとされているとの記述は原作には有りません。
ここだけの二次設定です。また、その攻撃効果もここだけの設定です。

言霊による攻撃を受けた天狗が永琳の所へ運び込まれたという噂は、その日の内に幻想郷中に瞬く間に広まった。

正式な発表が無かったから噂は憶測が加わりながら大きくなり続け、妖怪達の間ではとうとう「里の人間達が妖怪を滅ぼす為に外の世界の傭兵を雇った」とまで言われるようになった。

人間の里の方でも「妖怪の軍隊を討伐する為に神兵が天下り、魔法の森で妖怪達と交戦中」などという瓦版が刷られ、大量に撒かれていた。

里では僧達が集まり、24時間交代で休まず経を読み続ける無期限大法要が開始され、里に居た妖怪達はたまらず逃げだしてきた。

 

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(24)遡行

 

博麗の巫女こと、博麗霊夢は、騒ぎを聞きつけて人間と天狗達が戦ったという場所まで急いで行ってみた。

しかし、既にそこには既に何も無く、天狗の見張りが居るだけだった。

仕方なくそこは諦めて見張の目を盗んで森の奥へと続く人間達の足跡を追った。

どこまで辿れるかは分からない。しかし、森の毒に弱い天狗は地上に降りて追って来る事は無いから、空中を飛んで探すよりはずっと妨害にあわずに済む筈だ。

あまり森の奥へ進んで火山ガスや有毒植物の毒をまともに浴びてしまったりしたら霊夢とて命の危険に晒される。そこまでにならなくとも、有毒植物の幻覚作用によって帰り道を見失ってしまう可能性も少なからず有る。

広葉樹林帯から完全に出てしまわない限り多分、大丈夫だとは思う。人間達の向かった方向が分かれば、目的地の見当もつく事だろうと思う。

霊夢は眼を皿にして薄暗い森の地面に付いている足跡を追い続けた。それは水苔や新しく積もったばかりの落ち葉の上では極端に薄くなり、何度も見失いかけた。

下草を掻き分けながら地面を見ていると、不意に男の声がした。

「君はこんな所で何をしているんだね?この白神平にはもう神社は無い筈だが?」

後ろを振り向くと、そこには妙な(まだら)彩り(いろどり)をした服を着た男が一人で立っていた。手には鉄砲を持っている、これが外の世界の兵隊に違いない。

霊夢はこの人間に詳しく事情を話してやりたいのは山々であったが、今はそんな事を言っている場合ではない。彼らを一刻も早く帰さなければ、天狗は彼らを捕まえて逃がさず、その為、外の人間達の新たな捜索の手が伸びて来る事は明らかだ。

「白神平にはもう無いでしょうが、ここには神社が有るの、細かい事は良いから、とにかくあたしに付いてきて!」

「俺をどこへ連れて行こうっていうんだ?」

「どこって外の世界よ!あなた達は大変な事をしてしまったのよ!天狗を言霊で撃ったりしたから、天狗達は必ず仕返しに来るわ!」

「君がその天狗の仲間でない保証がない、それに、こっちにはGPSが有るから迷う心配もないよ」

「GPS?外の機械ね?それだったら役に立たない筈よ」

「どうしてそんな事が分かる?」

「だって、あなた達、火山の毒ガスや毒草ばかりが有る魔法の森の奥へ進んでいるもの、あそこにはあなた達の探し物は無いと思うわ」

「俺達が何を探しているというんだい?」

「外の世界の通信機でしょ?月の高さに有る人工の星と通信する為の特別な奴ね?」

「GPSの事を言っているのか?」

「そう、それがGPSという物なの、じゃ、あなたの言うGPSが使われている場所まで案内するわ、とにかくあたしと来て!」

「GPSが使われている場所って?」

「じれったいわね!外の世界、そのGPSとかいう物が使える場所よ!」

外の世界の兵隊は少しの間、耳元に付いている耳当てみたいな物をいじくりながらブツブツ呟きながら考え事をしていたが、急に周りに向かって話しかけ始めた。毒草の影響で、ちょっとアレなのか?と思った。

「…みんな出てきてくれ、どうやらこの巫女さんから情報を得た方がいいと思うんだが、どうだろうか!?」

急に霊夢の周りの叢がガサガサと動き出し、その時になって初めて霊夢は自分が人間の仕掛けた罠の中に居たという事に気付いた。こんなに手の込んだ戦い方をする者を見た事がない。

人間達の意見はこうだ

「怪しい、あの天狗みたいな連中の仲間に違いないから、縛り上げてこの場に置いて行こう」

「いやいや、GPSは実際使えないし、この巫女は一人でやってきた、何かの罠で有ったら、もう既に何事かを仕掛けてきている筈だ、取りあえずGPSの使える所までは行ってみてはどうか?」

「天狗は多分、宗教団体か何かであろう、この巫女が天狗とどういう関係に有るかは分からないが、とにかく、天狗と会ってもう一回話しをするべきではないだろうか?」

等など。

様々な意見が出されたが、霊夢に話しかけてきたリーダー格らしい男が意見をまとめた。

「疑わしい点は色々あるが、とにかく俺達はGPSも役に立たず、地図にも載っていない未知の場所に迷いこんでしまった事は確かだ、この場合、本隊との連絡が最優先となるから、俺は巫女さんに付いて行くのがいいと思う」

リーダー以外の8人は互いの顔を見て頷き合い、意見は統一された。

 

夕刻 妖怪の川上流部

 

僕と河童の河城にとりは、流し雛の鍵山雛が住んでいる妖怪の川上流を目指して歩き続けていたが、とうとう目的地を見る前に夕方になってしまった。

歩いている最中の話で、にとりは“岩の窪みとか、木の枝をテキトーに集めて屋根にしたりとか”という極めてサバイバリスト的な場所に野宿すると言いだした。

かくして、それは確かにオーバーハング状になっている岩の窪みの下に作られ、僕は今、為す術もなくそれを見ている。

もう、この期に及んで“野宿?冗談でしょ?”とか、“じゃ、今日は諦めて後日”とか言える段階を遥かに超えてしまっているらしい。

諦めて薪でも拾う事にしよう。

夜に火を絶やしたりしたら狼たちが近付いてくるかもしれないから、かなり怖い。僕はそのように意見して、薪拾いを最優先すべきだと主張しようと思ったが、やっぱり止めた。

言ってもどうせ“狼?あんなもん、水の中に飛び込めば追ってこないからどうって事ないって!”と、屈託ない笑顔で言われるに決まっているからだ。

幸い川岸には沢山の流木が落ちており、集めるのにさほど苦労は無い。

遠くに純白の翼を夕日に染め、家路を急ぐ鷺の姿が見えた。川面には同じく夕日を受け、キラキラと茜色に輝く蜻蛉の羽が無数に踊っている。大小の魚がそれを追って水面に波紋を広げていた。

これがもし近場で有ったのならば、単に優雅なレジャーの一幕なのであろうが、こう山奥ではそう気楽な物でもない。

大雨が来れば、おそらくこの岩の窪みもすぐに水面下になってしまうに違いない。他にゆっくり横になれそうな場所は少なく、しかもここ以外は全て雨露をしのげそうにない場所であった。

まあ、こうなったら最善を求めて行動するしかない、幸いにも流木の他にも幸運な事が一つある。この夕日、これが見えるという事は、今夜雨に降られる可能性は低いという事を意味している。

もうひとつ有った。同行していた河童は釣りが上手く、僕が薪を集め終わる前に充分な数の魚を釣り上げて戻って来ていた。

ひゅるひゅると小鳥のような声で鳴く河鹿蛙の声が聞こえ続ける夜、熾き火(おきび)になった火の周りにぐるりと立てられた岩魚や山女魚の焼け具合を見ながら僕はぼんやりとしていた。

ああ、そうだ、流し雛の厄を防ぐのに新月の翌日が良いんだったら、それはもう過ぎて行こうとしているんじゃあないだろうか?鍵山雛は、こうしている間に新しい厄を蓄積してしまっているんじゃあないかと、ふと気になった。

火の向かい側に居るにとりに訊いてみよう。

「ねえ、にとりさん?」

「なあに?香霖堂さん?」

「流し雛の厄が最小になるのって、新月の翌日だから、今日の日中ですよね?」

「うん、そうだけど?」

「明日になったら、厄、溜まってるんじゃないの?」

「うん、そうかもね?」

そうかもね?と、にとりは表情一つ変えずに言った。

ちょっと不安になる、いや…かなり不安になってきた。

大体、にとりがこの日が良いと言ってきたから今朝出発したのだ、それをそんなに適当に“今日が良いけど、明日でもいいかも”的な返事をされると、どうしたらいいのか分からず不安になる。

「ちょっと!じゃ、もっと早く来ればよかったじゃん!」

ちょっと僕の語気が荒くなったからか、にとりは、何かに気が付いたような表情をしてから、また元のやや物憂げな表情に戻ってちょっと分かり難い事を言い出した。

「ああ、厄ね?あんなものはね?本当は気分の持ち方や出来事の解釈だから、別に多かろうが少なかろうが結果は同じなのよ」

厄は多くても?少なくても?結果的に同じ?じゃ、厄は不幸を表す表現としては使えないという事なのだろうか?厄を受けて、不幸が訪れる訳であるから、常識で考えて厄の量が多いほどそれに比例して不幸は多く訪れる事になる筈なのだが。

「ちょっと、ちょっと、にとりさん、それどういう事?」

「う〜ん…一言で言うのは難しいねえ〜…ちょっと話長くなるけど、いい?」

どうやら長話になる様だ、魚を裏返す以外に特にやる事も無く、耳には川のせせらぎと蛙の声が届くだけだから、長話はむしろ有り難い。

「いいですよ、どうせ魚はすぐに焼けないし、待つ間丁度いいじゃないですか」

にとりは何かを思い出すかのように虚ろな目で火を見つめながら、ぽつりぽつりと話し始めた。目には炎の揺らめきが写り込み、それは催眠術のように僕を話しの中へと誘う。

「あれはねえ、あたしが子供の頃の事だったのよ、ウチのオヤジは腕のいい船大工だったからね?稼ぎは良かったんだけど、仕事が途切れると何日も帰って来ない事が度々有ったのよ」

「で、さあ、そうなると母さん心配してアチコチ探しまわるのよ、“うちの亭主知りませんか?どこ行ったかご存じないですか?”ってね?」

「で、あるとき一週間も帰らない事が有ってさあ、ヒョッコリ帰ってきたと思ったら、驚いた事に河童の女の子連れてるのよ!で、いけしゃあしゃあと“にとりの姉さんだよ”とか言い出すもんだから、もう母さんは大泣きするは、子供らは目が点になって棒立ちするわで大変な騒ぎになったのよ!」

「もう、しばらくの間は家の中の空気がギスギスしてさあ、もー!そりゃ生きた心地がしなかったわよ!」

「それが嫌になってさあ、あたし、家出したんだよ」

「家出したのは良いんだけど、別にどこも行く当てなんかないじゃない?だから、テキトーに山奥に掛かっていた虹の(たもと)に行こうとしたのよ」

「虹の架け橋とか言うじゃない?昔から山の奥に有る妖怪の川の源流は異世界と繋がっているとか言われていて、行っちゃ駄目だって言われてたからさあ、どうせだったら虹の橋でも渡って異世界へ行ってやろうと思ったのよ」

「で、何日か掛けて…その時期は確か夏だったわね、夕立が降った後は大抵虹が掛かったのよ、だからそっちの方へ向かってどんどん川を遡って行ったのよ」

「そーしたら何日目かで見つけたのよ!」

「あ、虹の始まる場所なんかじゃなくてね?流し雛の鍵山雛が大きな川石の上に座ってじーっと川の水面を見ている姿を見付けたのよ!」

「あたしは、一目見て分かったのよ!“あーっ!こいつが厄を貯め込んで妖怪化した流し雛なんだなー”ってね?」

「で、怖くなったからさあ、雛に気付かれる前に逃げようと思ったのよ」

「そしたら、ぐーぜん!目の前に大きな(まむし)がポトン!と落ちてきたのよ!」

「多分、(たか)(とび)が落として行ったんだろうね?

「思わず、キャーッ!て言って逃げようとしたわよ!早速流し雛の厄を受けて不幸が訪れたと思ったし!」

「そしたら雛と目が合ってさあ!雛がこっち見ながら“行かないで!”って言うのよ!」

「な〜んか逃げられなくなっちゃってさあ、だって、なんかお願いするみたいな表情でこっち見てるじゃない?」

「まあ、あたしも不幸続きだったから、もう、この際あとちょっとぐらいいいかなーっと思って、雛と何日か過ごしてみたのよ」

「最初の内はね?やっぱ、不幸は有ったのよ、何かあると“あ〜っ!やっぱり厄受けちゃったか!”って思うんだけど、その度ごとに雛が“ごめんね、あたしのせいでごめんね”なんて言うもんだからさあ、なんか、もう、余計に逃げられなくなっちゃってさあ」

「雛が、あんまり真剣に謝るもんだから、あたし、ある時言ってやったのよ!」

「あなたに初めて会った時にもあったでしょ?あの時あそこであなたを見て足を止めていなければ、落ちてきた蝮が直撃して絶対に咬まれていたわ、蝮に驚いた事はちょっとした不幸だったけど、でも、そのお陰であたしは何日も寝込まずに済んだのよ?」

「って言ってやったのよ!」

「そーしたら、あたしね、ハッ!と気付いたのよ!」

「そりゃ、確かに雛と出会ってから小さな不幸は沢山あったけど、それは出会う以前と変わるのかな?ってね?」

「さっき言ったみたいに不幸が来た時に“厄だ!不幸だ!”っていちいち数え上げていたらさあ、そりゃ、厄も不幸も多くなっていくわよ」

「雛と何日かを過ごしてさあ、もう平気だって分かったから“ここに住んでもいいかなー”と思った矢先!なんと!驚いた事に父さんが来たのよ!母さんの手を引いて!」

「もー母さんカンカンでさあ、“あんたみたいな子は狼に食われておしまいっ!”って散々ひっぱたかれたわよ!」

「しかも、河童の村に帰ったら帰ったで、水源に行こうとした掟破りの家出少女扱い!」

「みんなは口々に“にとりは流し雛の厄を受けて不幸になった”とか言ったけど、あたしはなんか逆に嬉しかったのよ」

「父さんと母さんもいつの間にか仲が良くなったし、“家出少女にとり”がクローズアップされたお陰で“オヤジの連れ子みとり”の方は何となくウヤムヤの内に不問にされてさあ」「その時を境に、家の中の空気がね?なんか、開き直り気味にパーッ!と明るくなったのよ!」

「ねえ?聞いてる?香霖堂さん?」

僕はにとりの話に聞き入る内に、その場面の一つ一つを頭の中に思い浮かべてぼーっとしてしまっていたようだ。

「ぁ…うん、聞いてますよ、つまり、厄は本人の気の持ちようで防げもするし、増えもすると…」

「そうそう!だから厄除けのアイテムっていうのは持ってる本人が、“これが一番!”と思うものが他のどんな物より一番効果があるのよ、日取りも同じ事ね、“この日が厄少なくて最良!”って、思う日に厄が少なくなる道理なのよ」

なるほど、なるほど、ならば厄除けの為にわざわざ長くて重い長剣を持って来ずとも気の持ちようで何とかなった事になる。

しかし、僕にとっては世界で最も強い厄除け効果を持つのがこの草薙の剣であった訳だから、これを持ってきた事は最良の選択であったとの解釈もできる。

にとりの話を聞いて“なあんだ、騙されて重い物持たされて大損だった”と、思うか“重かろうが信じられるものが一番”と思うかによってこの剣の価値も変わる事になる。

魚が焼けたようだ。

僕は里で買えば多分七文ぐらいであろう山女魚の串焼きを手に取り、口に運んだ。

口の中でほろほろと広がる魚の味が消えない内に、里で十一文出して買った安酒を口に流し込む。

今、ここには食べ物と酒はこれしかないのだから、これは現在、僕達にとって疑い無く最上級の美酒と美食であると言い切れる。

川のせせらぎに耳を傾けながら空を見上げる。

気温が下がってきたからであろう、いつしか河鹿蛙の声は止み、澄み切った空には生まれたばかりの月が輝いている。

天の川は漆黒の闇に銀砂をばら撒いたように横たわり、妖怪の山を黒々としたシルエットに浮かびあがらせている。

もしかしたら、僕達はあまりにもアレコレと無い物ねだりを続ける内に、今そこに有る幸せに気付かなくなってしまったのかと思い始めた。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(25)博麗神社爆破さる

 

魔法の森で外の世界から迷い込んできた外の世界の兵隊と合流する事に成功した霊夢は、彼らを一刻も早く幻想郷の外へ帰さなければならなくなった。

何故なら外の兵隊は天狗と小競り合いの末、言霊を乗せた弾で天狗を撃ってしまった。

幻想郷内ではそもそも鉄砲を武器として使う事自体が掟破りな事であり、更にタブーとされている妖怪への言霊を込めた直接攻撃をしてしまった。

これは人間が妖怪に対して、通常してはならない事とされており、掟破りの攻撃を仕掛けて来る妖怪に対してだけしか使ってはいけない禁じ手であった。

これは、外の世界の基準から言えば毒ガスによる無差別攻撃にも匹敵するほどの事だ。

天狗達に見つかる前に外の世界の兵隊達を帰してしまわなければ、面倒な事になるのは明白だった。幻想郷内で彼らに裁きを受けさせたりすれば、それは即ちここで起こった事が夢でも幻でも無い事を彼らの意識内に植え付けてしまう結果となり、彼らを二度と外の世界へ帰す事が出来なくなる。

9人の人間は幸いリーダーらしき男がまとめているので彼に話を付ける事が出来た。今、彼らを引き連れ、霊夢は魔法の森からもうすぐ出られる所まで来ていた。

「巫女さん、目的地は近いのかい?」

「もうすぐよ、森を出て石段を登ったらその先」

「巫女さんの名前を聞いてなかったね、なんとい・・・」

「教えられないわ、ここでの出来事は全て幻、外へ出たらそう確信するのよ」

「確信?」

「そう、ここで起きた事は全て信じる事が出来ないの、外へ出たらそう確信するわ」

「外って・・・ここは中なのかい?」

「そう、夢の中、参道を通って石段を上り、鳥居を抜ければ夢を終わらせる事が出来るわ」

「夢?今のこの話も全て?」

「余計な事は聞かないで!とにかくあの鳥居を!・・・神奈子!?」

石段の下まで来た霊夢達は、見上げた石段の上に鳥居を占領する形で待ち構えている守矢神社の神、八坂神奈子と、その配下の天狗達が大勢待っているのに気がついた。

神奈子の手には、外の世界から流れ落ちてきた兵隊の銃が握られている。

「おやぁ?博麗の巫女が待ち人を連れて来てくれたよ、こりゃ、礼を言わなきゃならんかねぇ?」

神奈子は石段の下に居る霊夢と兵隊達を見下ろしながら、銃の上面に有る取っ手みたいな物に手を掛け、それを後ろに一杯に引いてから手を離した。

鋭い金属音を残してその取っ手は元に戻る。


兵隊のリーダーはそれを見て構えの号令を発した。兵隊達は一斉に敵方へと銃を構える、後ろに向けて構えている者も居た。いつの間にか天狗に包囲されていたのだ。

まだ何とかなる、神奈子は話の分かる相手だから落ち着いて話せば分かってもらえるに違いない。

「待って神奈子!この者達は間違って入ってきただけ!すぐに帰すべきよ、お願い!」

神奈子は霊夢を見下ろしたまま黙っていた。何か考えているのかもしれない。

霊夢は更に懇願し、神奈子の心変わりを期待した。

「お願い!早く帰せばこっちの世界がそれだけ安全になるのよ!」

まだ加奈子の表情は険しいままだ、その表情のまま霊夢を圧するように神奈子は言葉を発した。

「その人間達は禁を破って言霊で天狗を撃った、本来なら生かしておく道理も無い、全員この場に置いて死んでもらうべき者達だが、奴らをこの私に引き渡すというのなら命だけは助けてやろう」

「彼らは行方不明になった仲間を探してここへ迷い込んだの!彼らを帰さなければ、また次の捜索の為に外の兵隊が派遣されるわ!」

「まあ、そういった目的もあろう、しかし、その者達は別の物も探していた筈だ、大きな通信機をな、その通信機を引き渡せば帰らせてやらぬ事は無い」

ここで人間の兵隊が話の中に入ってきた。

「待ってくれ!俺達もまだそれがどこに有るか分からないんだ!本隊と連絡…」

神奈子の方は人間の話を聞く気はさらさら無いようだった、人間の言葉を遮り、怒りの言葉を浴びせかける。

「黙れ罪人!お前らは天狗を一人倒して得意になっているようだが、お前らに出来て我らに出来ぬ事など何一つ無い!」

言い放つと神奈子は一枚の(スペル)(カード)を空へ投じた。

術符は青く光ると、青い光を放ちながら神奈子の前にその姿を拡大投影した。

神奈子は手にしていた銃で光の術符越しに灯篭の一つを狙い撃つ。

銃弾は投影されている術符を巻き込みながら青い稲妻に姿を変え、灯篭はその稲妻の一撃を受けて一瞬で粉砕された。

数秒間、耳鳴りで何も聞こえない。

あまりの事に霊夢は言葉を失う。

粉砕された灯篭の破片が降り終わる頃に漸く神奈子の言葉が耳に届いてきた。

「分かったか人間ども、大人しく通信機の在り処を白状すれば帰してやろう、さもなくばここに住み、通信機探しに協力しろ、どちらも断るというのなら…」

神奈子は人間のリーダーに銃を向けた。

「お前らをこの場で罪人として処刑する!」

断りようが無い様な条件だ。現時点で人間達をそのまま帰す方法は皆無に思えた。

勝利を確信したのであろう、神奈子は次のように命じてきた。

「博麗の巫女霊夢に命じる、人間達の答えはお前が伝えるのだ、罪人が直接神に話しかける事を禁ずる」

霊夢は兵隊達と神との交渉を仲介しなければならなくなった。巫女本来の役割であると言えば、その通りであるのだが、この場は神奈子の策に嵌り完全に彼女の意図するように動いている。

形上、霊夢は交渉の仲介者となっているが、神奈子は気に入らない答えや提案を全て撥ねつけるに決まっている。

実質的には霊夢は神奈子の気に入るような答えを持ってゆくしか無く、それは仲介役というよりは単なる説得役であると言える。

霊夢の耳に外の世界の兵隊達のささやき声が聞こえてきた、意思決定をしているのだろうか?

「無線が…通じます」

「GPSも座標を示しています」

「一発撃ち上げてその隙に逃げるか」

霊夢は耳を疑った、この期に及んで抵抗などすれば、すぐに神奈子と天狗達の集中攻撃を受け、一瞬で敗北を見る事は明白だ。

「ちょっと!あなた達何をする気なの!?」

それでも尚兵隊達はヒソヒソ話を続けている、霊夢を無視して。

「重迫を一発お見舞いして混乱させよう、上手く行ったら花火大会を開いてその隙に脱出だ」

「待ちなさい、あなた達、ここで犠牲を出したりしたらいよいよ取り返しのつかない事に!」

霊夢が遮ろうとしたが、人間達は手際よく通信を終えてしまった後だった。

「重迫中隊、Σ9、目標博麗神社跡中央、試射送れ」

直後に東の空に太鼓を打つような音が一回した。

神奈子の傍にいた鴉天狗が何かを見たようだ。

「何か飛んできます!」

神奈子には見えなかったようだ。動体視力の良い鴉天狗にしか見えなかったそれは、衣擦れのような音を立てながら空を裂き、神奈子の後ろ、博麗神社敷地の中央に落ちて爆発した。

水柱のように空高く土砂を噴き上げたそれは周囲に無数の鉄の破片を突き刺した。砲弾の破片だ。

破片を受けた天狗達は慌てふためき、パニック状態になった。

この砲弾にも言霊が込められていると思い込み、体内深くに刺さった砲弾の破片を取り出そうと傷口に指を突っ込み、苦痛とも悲鳴とも取れる叫び声を上げ続けている。

神奈子は背負っている注連縄(しめなわ)に刺さっていた破片を引き抜いてみた。ガラス片のように黒光りするそれを一目見て、それを地面に叩きつける。

「こんな物にうろたえるな!タダの鉄の破片ではないか!ぐずぐずしていないであの者達を捕えよ!」

霊夢はどうしていいのか分からなくなってその場に立ち尽くしていた。

人間を逃がすべきか?

そもそも天狗の包囲下に有る今、それは可能なのか?

神奈子に話を付けて何とか場を収められないか?

そうだ!今はそれしかない!

霊夢は人間の方に振り向いたが、霊夢が動揺している間に人間は次の通信を終えてしまっていた。

「目標同じ!増せ50!北へ30!効力射送れ!」

直後に東の空は祭り太鼓の乱れ打ちのような発射音で満たされた。博麗神社に砲弾の雨が降り注ぐ。

霊夢は為す術無くパニックに落ち行く天狗達と、それを必死に落ち着かせようとする神奈子の姿を見続けた。

その向こうでは、見慣れた博麗神社の一部が宙を舞い続けている。

 

ああ、そう言えばあの瓦はこないだ雨漏りを直した時のね、まだ色あせてないから分かるわ。

 

ああ、そうそう、白蟻に食われている部分が有ったのよ、それもその内処置しなきゃ…あ、いま飛んだからもういいわね。浮いたお金で屋根瓦直さなきゃね?

 

今夜の夕食何にしようかしら?

 

なんか、疲れて考えるのも面倒になっちゃった。

 

ああ、御釜が割れて飛んで行くわね、なら今日はご飯は炊かずに素麺にでもしようかしら?夏先取りって感じでちょっと良くない?

 

神奈子はどうするのかしら?

 

もうすぐ夕方だけど、帰るのかしら?

 

夕食ぐらいは出してもいいけど、タクアンの残りが少ないのよね…

 

あ、鴉天狗が飛んできて何か伝えているわ、あら!それ聞いて大急ぎで帰って行くわね。

“天狗GJ!”って感じじゃない?

 

なら人数は…

 

「霊夢!」

 

霊夢?誰よ?そんな奴ここに来ていたかしら?

 

ここに居るのは神奈子が連れてきた天狗達と外の世界の人間だけじゃない?

 

ああ、天狗達は何を浮かれているのかしら、さっきまで人間を捕まえようと身構えてたのに、今は酔っ払いみたいに陽気に笑ってない?

 

戦闘中に宴会って、天狗って宴会好きなのね?

 

「おいおい!どうしたんだよ!」

 

どうもこうもないわよ、今は人間が天狗とひと悶着起こして…

 

あ、人間達は逃げて行くわ、なら夕飯の人数に入れなくって大丈夫よね?

 

「しっかりしなよ霊夢!」

 

だから!さっきから何なのよもー!…あれ?あなた、魔理沙じゃない?何しに来たのよこんな時に?

 

「あら、魔理沙じゃないの、今日夕飯食べて行く?どうする?」


いつの間にか魔理沙が箒に乗ってやって来ていた。箒には一抱えもある大きな茸を沢山ぶら下げている、こんな物食えるのだろうか?

「なーに言ってるんだ霊夢!しかっりしろ…あっ!これのせいか!」

魔理沙は何事かに気付くと、箒に縛り付けてきた茸の紐をほどき、全て天狗の方に放りやった。

「お前らはこれでも抱いてゆっくりしてな!」

天狗達はその胞子の影響で幻覚を見ているのか、子供のような笑顔を見せて走り回ったり、茸を抱えて幸せそうにそれを撫で続けたりしている。

「紫から話は聞いたぜ!人間達はあたしが安全な場所まで案内するから!霊夢は騒ぎが大きくならないように何とかしてくれ!」

そう言うと魔理沙は霊夢の答えを待たずに急いで人間を追って行った。

「ちょっと魔理沙!騒ぎが大きくならないようにって、どうすればいいのよー!」

とにかく、この場に居ても仕方が無い、砲撃のショックと茸の幻覚から立ち直りはしたが、霊夢には何も思い付かなかった。

紫に会ってみよう、今できる事はそれだけに思えた。

 

妖怪の山の麓 地底世界へと降りて行く洞窟内

土蜘蛛の黒谷ヤマメは地上の騒ぎを偶然この洞窟に舞いこんできた天狗の新聞を見て知った。

洞窟の中は蛍火とそれをレンズ状の細胞で増幅させるヒカリゴケの出す明かりで暗闇にはなっていないが、それでもヤマメの茶色い瞳を何度も往復させて新聞の行を辿らないと細部を見落としてしまいそうだった。

どうやら大変な事になっているらしい。

なにしろ外の世界から侵入してきた兵隊が妖怪を滅ぼす為の戦争を開始し、妖怪神社として有名な博麗神社が最初の目標となって火薬で爆破されてしまったとある。

こうしてはいられない!ヤマメがすっくと立ち上がると提灯のように畳まれていたバブルスカートは、螺旋状に配置されている黄色の構造材の弾力でポン!と元の形に回復した。

「なんて…変な奴なんだ…この外の世界の兵隊ってやつは!」

ヤマメが事件の内容よりも、新聞の挿絵に描かれていた外の世界の兵隊の姿に危惧を抱いたのも無理は無い。

なにしろ、何一つとして正式発表が無い中、天狗の版画屋が又聞きと憶測を頼りに急いで刷った画だ、その姿が変になるのも止む負えない。

急ぎ過ぎたが為に発注時点で「外の世界の兵隊の画」が聞き間違えられ「外の世界の変態の画」になった可能性すらある。この絵はそれほど変だったが、ヤマメはそんな事を知る由も無い、この絵の通りだと思い込んだのだ。

まず、頭にはドンブリ鉢を被っている。

その顔は外の世界から流れ落ちてきた広告にありがちな“プライバシー保護の為に画像を加工しています”という注釈を付けられた上で、白い袋にすっぽりと包まれている。

その袋には“罪”と、大書きされていた。

神奈子の呪いでその文字は浮き上がってきたとある。

服らしい服は身に着けていない。

体の皮膚そのものが雨蛙のように周囲に合わせて色を変える能力を持つ為、敢えて服は着ないともある。

下腹部には“自主規制”と注釈が付けられた大きなバラの花を付けている。

どんな武器を使うのかまでは分からなかった。

手にしている武器の部分には何故かモザイク処理が施されている。

これほど奇妙な奴だ、きっとその武器も想像を絶する変態性ゆえにここに描く事が出来ないに違いない。攻撃方法も想像を絶する嫌らしさの、恐るべき変態攻撃に違いない。

こいつは今に、地下に攻め入って来るに違いないと思った。

なにしろ、あの異変解決の専門家である博麗の巫女こと博麗霊夢の本拠地が陥落したのだ。霊夢は今頃彼らに捕まり、想像を絶するイヤラシイ事をされているに違いない。

ヤマメは思い付く限り、最もイヤラシいセクハラ行為を思い浮かべてみた。

「まっ!まさか!?外の世界の変態でも!まさか!そんな事まで!?」

新聞を食い入るように見詰めながら顔を真っ赤にしているヤマメを、不意に誰かが呼び止めた。

「あ、ヤマメ見付けた、どうしたの?顔赤くして?」

 

しっ!…まっ!…たぁっ!!!もう攻めてきたかぁぁ…油断していたよぉぉ…

 

「きっ!亀甲は!亀甲縛りだけは勘弁してーっ!!!」

目をぎゅっと瞑ったまま思わず叫んでしまった。

普段から気に食わない奴を色々とぐるぐる巻きにしてきた報いかと思った。縛りの恐ろしさを知り尽くしているだけに、常々自分だけは縛られまいと思っていたが、とうとう年貢の納め時かもしれない。

最悪の事態を避ける為に、ここでちょっとだけ外の世界の兵隊に媚を売っておけば、少しだけ縛りが緩くなりはしないだろうか?

そうだ!憐れみを誘う作戦で行こう!思いっきりの涙目で訴え掛ければ優しくしてくれるに違いない!やるんなら今すぐにだ!手遅れになる前に勇気を持って目を開け!涙を一杯に溜めた瞳で訴え掛けるんだ!勇気を出せヤマメ!

 

「お願い!縛るなら!縛るなら優しく縛ってーっ!!」

 

・・・沈黙二十秒・・・

そこには目を点にしたお空(おくう)が立っていた。

体重がかなり後ろに掛かっており、相当に引き気味である事は見れば分かる。

一部始終を見られてしまったようだ。

何とか誤魔化さねばなるまい、何しろお空は間欠泉地下センターで重要な仕事に就いているらしいから、すぐにも向こうへ帰ってしまうだろう。

ヤマメは必死で考えた、どう言って誤魔化そう?答えは一分かそこいらで出さなければならない。

ああ…大変な事になったよ…このままお空に帰られたらあたし、Mっ娘キャラとして幻想郷中にその名を轟かせる事になっちゃうじゃん!そうなったらもうここには住んでいられない!

そうだ!地下に潜って…って、地下はここじゃん!そうだ!天に昇って!天子の所に住むしかない!

あっー!…そうだよ…天子もMっ娘キャラだった!!じゃ、あたしは誰に縛ってもらえば?って!ちっが!これは・・・

「こっ!これは!地上で起きた異変のせいだよ!お空も地上に攻め込んできた外の世界の変態に捕まった時の練習をしておかないと!捕まってからじゃ遅いんだよ!?」

お空はヤマメの言葉に聞き入ったが、誤魔化しきれたかどうかは甚だ怪しい。

「う〜ん…良く分かんないけど、ヤマメは外の世界の変態に優しく縛ってほしいのね?」

「ちょ!お空!ちが!そっ!そうだ!霊夢はもう捕まったらしいよ!外の世界の変態に!」

「えっ!あの霊夢が!?」

「ああ、今頃は大きな袋の中に詰め込まれて“ヴっへぇぇ〜抱き枕萌え〜”とか!やられてるのよ!」

「まっ!まさか!そんな!ひどい!」

「ああ、しかも、それだけじゃないね、その枕カバーにはなんと、諏訪子の絵が大きく描かれている!」

「うっわっ!キモッ!諏訪子様をそんなキモイ変態の毒牙に掛ける訳にはいかないね!」

どうやらお空の関心はMっ娘ヤマメから離れ、外の世界の変態へと移ったようだ。

「で、ヤマメ?それはどんな奴なの?」

「これを見なよ、天狗の新聞に出ていたんだ」

「どれどれ・・・うわっ!キモッ!何なのコレ?」

「ね?すごいでしょ?何しろ外の世界の変態は、幻想郷の変態とはケタが違うからね!大変態さ!」

「その大変態を退治すればいいのね?霊夢の仇を取ってやるよ!」

「やれるの?お空に?」

「ああ、もちろん、これが有るからね!」

お空は右腕部分に装着されている第三の足に着けてきた、ちょっとした火砲と言える大きさの武器をヤマメに見せる。

「すごいじゃないの!河童が作った奴?」

「うん、あたしもまだフルパワーでは試した事が無いんだけどね?こいつぁ凄いよー!何しろ節電モードで一尺ぐらいの厚さの鉄板を撃ち抜くからね!」

「ねえ、地下センターの方は大丈夫なの?離れたら大変な事になるとか言ってなかった?」

「えっと…2〜3…分?ぐらいなら大丈夫とか言ってたよ?」

「そんなまさか、2〜3分だったら、もうだめじゃん、2〜3分って事ぁないよ」

「えっと…じゃあ…2〜3…」

「2〜3日ぐらいじゃないの?」

「あ!そうそう!そうだよきっと!」

「なら安心だ!お空、2〜3日中に外の世界の変態達を退治して、幻想郷中の乙女の貞淑を守るんだ!」

 

その頃、間欠泉地下センターは大変な事になっていた。

諏訪子はとうとうあまりの忙しさに外の世界の兵隊捜索指揮を帽子に任せた。

自分は外の世界の通信機を封じる為に発信されていた妨害電波の復旧に没頭して、あらゆる電力の調達に必死だった。

神奈子の方は外の世界の軍隊が進行してくるのを迎え撃つ準備と、お空の捜索を同時に行わなければならなかった。

「みとりよ、お前の報告通りだとすれば、お空は自分が危険だからあの核融合炉に閉じ込められていると勘違いしていたのだな?」

お空の世話と核融合炉管理の責任者である河城みとりは神奈子の問い掛けに涙声で答える。

「申し訳ありません神奈子様!お空は私の心痛を察して…その本意までは分からなかったようですが、とにかく、恩返しをしたい一心で変異解決のため飛びだしてしまったのだと思います!」

「まずいな…ならばお空は敵に対して捨て身の攻撃を掛けかねないな…」

「取り返しのつかない事をしてしまいました!お空は私から聞かなければ外の世界の兵隊の事だって知らなかった筈なんです!」

「今はそんな事でクヨクヨ泣いている時ではないぞ、大元の原因は私の指示でお空に本当の事を秘密にしていた為なのだ、今はお空を連れ戻すことだけを考えろ」

「早くしないといけません、お空は技研でテスト中だったレールガンを持ち出しています」

「よりにもよってあれか…何発撃てると思う?」

「ノーマルモードで全弾15発、ハードモードで恐らく5発、ルナティックだと一発で砲がバラバラに崩壊します」

「こりゃ、何としてもお空と外の世界の兵隊を接触させちゃいかんな…」

現時点で外の世界とここを隔てている観念的結界は完全に失われてしまっている。結界を復旧する為には外の世界の通信機を完全に封じ、こちらに攻め込んできた兵隊には悪いが、結界復旧後には幻想郷内に住んでもらうしかない。

それが今考得るギリギリの解決策だ。

外の世界の人間達と和解して外との繋がりを容認する事など出来ない。

彼らは必ず幻想郷内に存在するあらゆるものの価値を数値化し、ほんの一握りのものを除いて殆ど全てを無価値にしてしまう筈だ。かつて神奈子の見守ってきた山里がそうされたように。

人々は数値をめぐって争い、争いに勝って里に残ったのは一握りの特権保持者だけになった、その勝者もやがて数値の低い山里を捨て、どうでもよさそうな物にべらぼうな数値を付ける都会へと逃げ出して行った。

低い数値の山里に対する蔑みの感情を持ったまま彼らは居なくなってしまった。

数値化が始まる前には互いの暮らしを支え、かけがえのない物として守り続けていた山河の全てを捨てて。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(26)飛来

 

その日の朝は雉の鳴く声で目が覚めた。

河童の河城にとりと妖怪の川を遡り続け、とうとう目的地を見る前に夕暮れを迎えた僕は、妖怪の山奥地の河原で夜を明かしていた。

昨日、遠くで花火が打ち上げられたような音を何度か聞いたが、下の方で起きている騒動の事など、僕達は全く知らずにいた。

昨夜は慣れぬ山歩きの疲れで食事を終えた後、すぐに眠ってしまったようである。

木の枝を集めて作った簡単な夜露避けの隙間から差し込む朝日はまだ弱く、薄暗い谷の中に朝が這い込んできたばかりであるようだった。

僕はもう起きようか?それとも、にとりが呼びに来るまで待っていようか?等と考えながらうつらうつらしていたが、焚火の煙が運んできた味噌汁の香りに負けて起き上った。

小屋の外に出てみると、三本の木の枝を組んだ物に小さな鉄鍋が吊るされ、その中で昨晩から煙に燻されていた岩魚のぶつ切りが煮えている。にとりは丁度、その中に味噌を溶いている所だった。

「お早う、にとりさん随分と早いですね」

「ああ、香霖堂さん、おはよう、随分長く寝ていたね?」

「歩き疲れていたから、もうバタンキューですよ」

僕は出来たばかりのみそ汁をよそってもらい、ふうふうと吹きながら用心してそれを口に運んだ。

日が高くなってきたのだろう、雲の間をすり抜けた朝日の幾筋かが、谷間に直接差し込んできた。

僕は昨夜まで流し雛の鍵山雛が住む山奥を不吉な場所だと思い込んでいたが、もうそんな事は無い。行く手から差し込む光明は、刻一刻と谷を明るく照らし出して行き、それはとうとう僕達の居る場所まで届いてきた。

何だか気分まで晴れやかになって来る。インドア生活ばかりで、出来れば香霖堂の外には出ずに過ごしたいと思い続けていた僕であるが、これは悪くないと思えた。

「さあ!香霖堂さん!今日も張り切って行きましょう!もう近くだから昼前には着くよ!」

にとりの号令で再び山登りが始まった。

 

白神山地内 白神平地区 統合幕僚本部直轄、剣中隊司令部

白神平地区、博麗神社跡捜索を直接の任務とする特別編成部隊、(つるぎ)中隊(ちゅうたい)は博麗神社跡を見下ろす墓地跡に司令部を構えていた。

博麗神社跡捜索に赴いた一個分隊基幹の捜索チームが行方不明になり、一旦完全に連絡と消息を絶ってから数時間後、突如分隊の現在位置を示すGPS反応が現れ、無線による連絡も回復した。

それと引き換えに白神平地区上空には突如として層雲が現れ、それが幾重にも現場を覆って視界を遮ってしまっていた。

彼らの要請に従って行った重迫による砲撃支援も確かに届き、敵に甚大な被害を与えた模様との報告も得ている。

確かに彼らはあの霧の中に居るのだ、優勢なゲリラ支配地域の真っただ中に。

現在、剣中隊は彼らの救出を実行する為の情報収集と攻撃準備を進めている。

 

剣中隊の博麗神社跡捜索が始まるかなり前から、幻想郷内に外の世界の兵隊が迷いこんでくる原因を探っていた幻想郷最古参の妖怪、八雲(やくも)(ゆかり)は剣中隊司令部天幕に置かれた大きな折り畳み机の下に小さな隙間を開いて、そこから司令部内の会話を盗み聞きしようとしていた。

バタバタと忙しく走り回る通信係の女や、時々苛立たしげに貧乏ゆすりをしながら足をパタパタ動かす将校の立てる砂埃が、隙間にも入って来てかなり不快であったが、ここは我慢だ。

もうすぐ中隊長へ状況報告をする筈である。

新たな足音が天幕に入ってきた。

全員が一斉に敬礼をした為であろうか、複数の踵が打ち合わされた衝撃で一際高く砂埃が舞い上がり、紫は思わず咳き込みそうになるのを我慢した。

「霧の中の状況に変化は?」

「昨日夕刻に重迫による支援の下、敵の包囲を脱したΣチーム9名は、深い森の中で本隊の到着を待っています、あと…少女が一人同行しているとの事です」

「誰だ?遭難者か?」

「どうもハッキリ分からないようです、地元に住んでいる者であるらしいとの事ですが」

「敵である可能性は?」

「分かりません、敵の内通者である可能性は排除できませんが…とにかく、敵の包囲から脱出するのを手助けしてくれたと言っています」

「霧の中の視界は?」

「現場からは曇り空で常時10km程度の視界が有るとの報告を受けています」

「ならばすぐに横田に有る無人偵察機グローバルホークを出してもらおう、空中偵察の結果次第ではすぐに本隊を救出に向かわせるからその準備だ、それと…」

「弾薬補給の増加要請は通ったか?」

「最初に用意した以上の数を出すには内閣総理大臣の命令が要るとの事で、難航しています」

「韓国軍は持っていたな?」

「韓国海兵隊は予備の二個中隊が装備状態で待機しています」

「いざとなったら彼らも空輸できるよう考慮してくれ」

紫は隙間を閉じた。

ここまで事態が進んでしまうと、単に結界を復旧して外の世界の人間を帰すだけでは済まされない。彼らの記憶の中にある幻想郷の風景、そこで起きた出来事全てを消してしまうか、少なくとも現実のものとして意識下に上がって来ないように処置しなければならない。

手段は限られているうえに面倒を極める。すぐに手を打たねばならない。

不本意ではあるが、結界の修復と人間達の足止めは神奈子のやりたいように任せ切りにする他ない。

紫は急いで外の世界で流布する為のガセネタを書きに行く事にした。

正式発表よりも先に、この博麗神社跡で展開されている大蛇(おろち)作戦(さくせん)をスクープし、正式な発表や記録の信憑性を貶める工作をせねばなるまい。

それが済んだ後の事になるが、取り分け急がれるのが幻想郷に落ちている隠密の通信機の位置確認と、その通信機が交信しているGPS衛星の特定だ。そのどちらかを潰してしまえば、結界だけはすぐに復旧できるだろう。

 

幻想郷内 人間の里から太陽の畑へと向かう途上

霊夢は大急ぎで紫を探して幻想郷中を飛び回った。

しかし、紫は外の世界へ行ってしまっているようで、どうしてもその姿を見付ける事が出来ないでいた。

人間達が博麗神社を砲撃し、その隙に人間達が天狗の包囲から逃げ出してからどれだけ経ったであろうか?

休みなく飛び続けたが、夕暮れになっても夜が更けても紫は見つからないばかりか、会う妖怪ことごとくが霊夢の問い掛けに対して無関心で、その態度は次第に非協力的にさえなって行った。

どうやら単独で住む妖怪達の間で「外の世界の人間が大軍で攻めてくる前に人間の里を殲滅しておくべき」との機運が起こり始め、何処かに集まってから里を襲うつもりであるらしい。

霊夢は紫に会う事も出来ず、妖怪達の集合場所を探し求めてあてども無く夜通し飛び続けるしかなかった。

溜まり行く疲労の為に集中力は度々途切れ、その度に地面に落ちそうになる。

夜空の冷気は無慈悲に霊夢の体温を奪い続け、何の成果も無いまま朝を迎えるもどかしさに涙すらこぼれて来る。

“博麗の巫女としてやらねば”と思って起こした行動のことごとく全てが頓挫したばかりか、事態は刻一刻と悪化して行き、破局へと進み続けている。

朦朧とする意識の中、人間の里上空に差し掛かり、まだ何事も起きていない事を見届けてから更に飛び続けた。

やがて朝の日光に黄色く輝く広大な窪地が見えてきた。

黄色は全て向日葵(ひまわり)の花だ。

そこは、幻想郷内でも強者として知られる妖怪、風見幽香の管理する太陽の畑だ。

その空き地になっている部分に何者かが集まっているのが見える。

居た。妖怪達はここに集まっていたのだ。

広場では(かがり)()が焚かれ、空にもうもうと煙が上がっている。それとは別にそこかしこで鉄串に刺された鹿や猪が丸焼にされ、集まった妖怪達は既にかなり酒も入っているようだった。

単独で住む妖怪であるから特に組織化もされておらず、この場でも打ち合わせをするとか段取りをするとかの素振りも見られない、時折(とき)(こえ)を上げて襲撃の機運を高めているようだった。夜が訪れるのを待っているのだろう。

霊夢は用心してその傍へ降りて行き、知った顔を見付けて声を掛けてみた。

「どうしたのルーミア!こんなに大勢集まったりして!」

霊夢の声に振り向いたルーミアの片目は、眼球自体がかなり窪んでいた。深手を負った傷跡が完治していないのだろう。

「はあ?なんだ、霊夢か、あたし達はこれから人間の里を滅ぼしに行くんだけど、霊夢はこっちに居ていいのかぁ?」

滅ぼしに行く?霊夢は我が耳を疑った。

幻想郷の(ことわり)に反するような言葉を臆面も無く発する知り合いに苛立ちが込み上げてくる。

「すぐに解散しなさい!人間の里を襲うなんて、とんでもない掟破りの行為よ!」

それを聞きつけて、周囲の妖怪達がぞろぞろと集まって来て霊夢を取り囲んだ。妖怪達は興奮しており、危険な空気が漂う。

ある者は武器を手に肩で息をしているのが見て取れるほどであり、ある者は博麗の巫女を見限る言葉を容赦なく浴びせて来る。

「掟破りは人間の方だろ?ルーミアの目を見なよ、鉄砲で撃たれたんだよ!掟もヘッタクレもあるもんかい!」

「戦いを仕掛けてきたのは人間の方が先だよ!鉄砲で武装しているから捕まえて突き出してやろうと思ったら、有無を言わさず撃ってきたんだ!」

「そうだ!掟破りの外の世界の軍勢が攻めてくる前に人間の里を襲って敵を減らせ!」

「博霊大結界が無くなった今、あんたはもう、博霊の巫女なんかじゃないんだよ!」

妖怪達は霊夢の言葉を聴き入れないばかりか、勢いに任せてこの場で霊夢に襲いかからんばかりだった。

急に妖怪達の人垣の一部が自然に開き、そこに誰かが迎え入れられる。

向日葵を思わせる黄色の日傘をさし、群衆の中でも一際目を引く鮮やかな黄色の洋服を身に纏った少女が霊夢の方へ進んできた。

妖怪のご多分にもれず、彼女もこの姿からはちょっと想像もつかない程の荒くれ者として有名であった。

この者こそ、この太陽の畑を管理する風見幽香である。

幽香は霊夢の前に立ちはだかり、穏やかではあるが威圧的な口調で会話の口火を切る。

「結界を守る事が出来なかった博麗の巫女が今頃何の用だい?折角の祭り気分を壊さないでくれるかな?」

周囲でガヤガヤ煩かった妖怪達も静かになり、急に口を挟まなくなった、どうやら彼女はここで一番強いようだ。彼女を説得できれば何とかなりそうだ。

「幽香!お願いだからみんなに解散するよう貴方からも頼んで!」

それを聞いて幽香はニンマリと微笑んだ。承諾してくれるのかも?

「言っただろ?これは祭りなんだよ、今更止められないね」

「人間と妖怪のパワーバランスが崩れたら妖怪だって今までのように平和な暮らしを出来なくなるのよ!?」

「平和…昨日まで、そんなもんが有ったらしいねぇ?でも、結界が無くなってしまった今、バランスの支点は外の方に移ったのさ、あんたにはそんな事も分からないのかい?」

「まだ結界が無くなったと決まった訳じゃないわ!」

「ふ〜ん…あんた、神社を爆破されたらしいね?外の世界から飛んできた爆弾に?」

「それは…とにかく!人間を滅ぼしたりしたら、あなた達は今の姿を保つ事が出来なくなるわ!そうなったら欲望を満たす為に永遠に争い続ける醜くて下等な何かに姿を変えてしまうのよ!?」

幽香は霊夢の言葉に微動だにしないばかりか、次のように反論してきた。

「欲望の為に終わりのない争いを続けているか…それは外の人間の事なんじゃないのかい?あいつらは全ての欲望が満たされると、新しい種類の欲望を作ってまで争うらしいじゃないか、そんな奴らにねえ…」

幽香は日傘を閉じると、それを激しく霊夢の眼前に振り下ろした。

「そんな奴らに滅ぼされるぐらいなら!醜くも下等にもなってやろうじゃないか!あたし達は人間の魂を全て滅ぼす!醜いだの美しいだのっていう基準は…」

幽香の目は真剣だった、彼女は外の世界からの侵攻を逆手にとって逆に外の世界へ攻め入り、外の世界の人間も全滅させようと考えているに違いない。

「最後に生き残った奴が決める事さ!」

幽香の言葉に周囲の妖怪は賛同し、その場は幽香を称える声で埋め尽くされる。霊夢はその称賛の声を茫然と聞いているしかなかった。

ここでも霊夢の言葉は何一つとして受け入れられず、荒ぶる妖怪達の熱意に水を差すことすらできない。

“どうして分かってくれないの?”

“なぜ誰も平穏な暮らしを取り戻したいと思わないの?”

そのやるせない思いだけが頭の中をぐるぐると回り続け、目からは再び涙が滲み出てきた。

涙を見られまいと下を向くと、それは重力に負けてポタポタと地面にしたたり落ちた。

「あれは何だい!?」

空を指さす者がいる。

皆そっちを見た。

遠くの空に黒い鳥みたいなものが飛んでいる。

鳥のような形に見えるが、それは羽ばたきもせず鳶のように空を滑空していた。

音も聞こえる。

風穴から強風が吹き抜けるような「ゴオオオオン…」という不気味な音だ。

そいつは暫く太陽の畑の上空を遠巻きに旋回していたが、次第にその旋回半径を狭めながら霊夢達の方へ迫ってきた。

蝮の鎌首のような首の下に光沢がある部分があり、それが日光を反射して光った。この悪魔的な姿をした怪鳥は、近付いてくるとかなりの大きさである事が分かる。

比較対象が無いからハッキリとは言えないが、初見の霊夢と妖怪達の目に、それは空を覆わんばかりに見えた。

そいつは一回霊夢達の真上を通過すると、向きを変えてこちらに真っ直ぐ迫ってきた。

霊夢は博麗神社が砲撃を受け、神社が僅か数分で瓦礫の山に成り果てた時の事を思い出した。

「まさか!?空からあれをやるつもりなの!?」

幽香も同じ事を思ったのかもしれない。

「アホウドリが!喧嘩売るつもりかい!上等だ!買ってやる!射程に入ったら集中攻撃だよ!みんないいね!」

 

白神山地上空高度一万メートル アメリカ空軍警戒管制機 機内

アメリカ空軍が大蛇作戦を支援する為に出した警戒管制機機内では、横田基地から飛び立った無人偵察機グローバルホークの送って来る映像を機内の画面で確認していた。

白神山地白神平地区上空が霧に包まれている事はグローバルホークに搭載されているカメラからも目視確認できる。

航法装置に異常は無く、機体に搭載されているレーダーも飛行予定空域に障害物が何もない事を示していた。

機体を失うリスクを伴うが、オペレーターは思い切ってグローバルホークを霧の中に進ませてみた。

霧は何層にもなっており、自然な感じはしなかった。霧というよりは、層雲に見える。

その霧を全て抜けると、急に視界がクリアになり、カメラは高く聳える山脈とカルデラ湖らしき湖を映し出した。

山の麓には樹海が確かにある、日本人が送ってきた情報通りだ。

樹海の上を旋回していると、発煙手榴弾の赤い煙が上がった。

日本のスペシャルフォースが居るというGPS反応の位置とも一致する。

打ち合わせ通りであったら彼らはその後、二キロほど西へ移動する事になっている。

あまりこの場で旋回を続けて敵の目を引き付けるのもまずい、早々に次の目標を探そう。

空中機動部隊を下ろす為のヘリコプター発着場所を見付けておく必要がある。山の麓を飛び続けると、ちょっとした街と言えるほどの市街地を見付けた。地図にはこんな街は無い。

更に探し続けると、広大な窪地を見付けた。ここならよさそうに思える。

市街地から離れており、仮にここに敵が住んでいるにしても到着には少々時間が掛かり、逆にこちらから住民に協力を要請に行くにしてもそれほど困難を伴わない絶妙の位置だ。

高度を下げると、そこには季節外れの向日葵の花が一面に咲いている様子が見て取れる。

拡大画像でその向日葵畑を見る。

誰か居る?

五十人から百人ぐらいだろうか?

手には長い棒のような物を持っている者も散見される。

棒が何であるか確認できなければこの場所の安全を確かめられない。更に高度を下げてみる。

女ばかりが居る?ますます分からない、何をしているのだろうか?

上空を通過してみたが、まだ棒が何であるのか判別は付きかねる、槍であったら相当近づかなければ断定できないし、ゲリラが作ったお手製の小火器やロケット発射筒であるのなら、更に接近して鮮明な画像を撮らなければ判別できないだろう。

多少危険は伴うが、後に実働部隊をここに降ろすのだ、正確な情報を得る義務がある。

機首を群衆に向け、高度を下げて行った。

高度200m、これぐらいがギリギリの線だろう。

急にカメラの拡大映像が球雷のような光の玉で一杯になった、ズームアウトして全体を見ると、群衆がその球雷のような物を撃ち上げている様子が見て取れる。

すぐに機体被弾を示す警報が鳴り響いた。

精々日本で流行っているという女子会とか云う奴だろうと思って油断していたら、痛い目を見た。彼女らは敵であるようだ。

機体の損傷は映像記録装置故障とレーダー故障、昇降舵破損と幅広い、幸いにも燃料漏出は無かった。

急いで横田エアベースにグローバルホークを帰還させる事にする。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(27)地底へ

 

妖怪の川の上流へとその流れを遡り続けて行くと、それはとうとう川というよりも沢と言った方が相応しい様相を呈するようになってきた。

鍵山雛の住むという川の上流部まではあと少しで着けるのであろう、僕の前を歩く河童のにとりも足取りを速めてきた。

もう、ここまで来ると流れを迂回して山の尾根の方に迂回するような余地も無く、時に川の中に直接立ちこみ、時に少々険しい岩場もそのまま直登しなければならなくなってきた。

谷は深く、空は遠い。両岸の絶壁から延びる木々に遮られて日光もあまり届かず、薄暗い。その為か岩の表面は苔生している部分が多く、足場を探すのにも一層の注意を要した。

時折木々の切れ間から見える空には、次第に雲が厚く掛かるようになり、今夜あたりは雨が降るかも知れないかと思う。

沢は斜度がきつくなり、度々それは滝と言っても良いほどの角度になって行く手に立ちはだかる。

そのような滝の幾つかを超え、大きな岩盤の上に顔を出すと、そこはにポッカリと空が開いており、視界は急に広くなった。

空の眩しさに目が慣れ、良く周囲を眺めてみると、そこはちょっとした広場と言えるぐらいの玉砂利の河原になっていた。

片側の岩盤に寄り添うように川の流れが打ち寄せ、そこは瑠璃色の深淵になっている。

その淵を見下ろせる大岩の上に彼女はポツンと座っていたのだ。

それは水の青と木々の緑の織りなす隆盛の中に、一点だけ秋の斜陽を見付けたように唐突な紅を発色していて、何だか現実感が薄い印象がした。実際僕は目を疑って何度か彼女の赤いドレスを凝視し直した。

着ている服は洋風であったが、やや古風だった。これがいわゆるゴスロリという奴であろうか?

「ひーなー!げんきにしてたー?」

川面に視線を落とし続けている彼女に、にとりが声を掛けると、その顔はハッと気付くようにこちらに向く。

鍵山雛は、意外に透き通った声でにとりに返事を返してきた。

「あらぁ!にとりじゃないのー!」

彼女は岩に手も付かず、岩の上をすうっと滑るように下りてきた。

そのまま歩いて近付いてくるが、こちらに近づいてくるその姿にも現実感というか、実体感が無く、ふわふわと飛んで来るように見えた。

魂の方の比重が高く、実体は薄いのではないかと思う。妖怪ではあるが、幽霊的な要素も多分に持っているのかもしれない。

その疑問の答えは、にとりの問い掛けによって偶然得られた。

「今日は軽やかじゃない?厄を渡した後でご機嫌なの?」

「ええ、全部天に還してしまったから、あんまり軽過ぎて、今朝はふわふわし過ぎて歩き難いぐらいよ」

そこで僕は鍵山雛と目が合った。

変に忌避するような反応を見せたら悪いとは思いつつも、反射的にたじろいでしまった。それが気に入らなかったのかもしれない。

鍵山雛は僕に対し、不審点を探し出すような鋭い眼差しで頭のてっぺんから足の先までを一通り吟味した。

何だろうか?やっぱり機嫌を損ねてしまったのだろうか?紅魔館の時以来の危機感を感じる。鍵山雛は依然俯き(うつむき)加減(かげん)、かつ、上目遣いのかなり鋭い視線でこちらを見続けている。

新緑のように輝き、あまりに豊か過ぎて胸の前あたりで括られている髪の毛の間から翡翠(ひすい)瞳がこちらを凝視し続けている。

こう言っちゃなんだが、かなり…怖い。何か一言言ってくれないだろうか?

そうすれば、少しは気が楽になる…気がする。更に恐ろしい事態になる気もするが。

「あなた!」

“あなた”…なんだろうか?何か意見したいようである、固唾を飲んで言葉の続きを待つ。

「すっ…ごく!いいわね!良い厄を持っているわ!質、量共に文句なし!能天気な奴が増えてきた昨今、貴方みたいにウジウジと悩み続ける人材を私は待っていたのよ!」

“ウジウジと悩み続ける人材”って誉め言葉がこの世にあるだろうか?

しかも、質量ともに流し雛のお眼鏡にかなう厄なんだそうである、それだけでも、かなりブルーに成りうるガッカリ事なんじゃあるまいか?一般的には?

そして、雛は僕の腰のあたりに目を落とし、こう言った。

「特にその剣、それは格別ね、そう…これはあたしの憶測なんだけれども、それは長い事地位の極めて高い人を守り続けていた物ね、その人はその地位ゆえに国中の対抗勢力から極めて強い妬みを常に受け続けていた筈だわ」

まずい、なんだか、この草薙の剣こと、天の叢雲の剣の素生がばれそうな気がする。しかも、僕がそれを恐れるが為に怯む姿を見て雛はやや楽しそうである。

「その剣には妬み、やっかみのパワーが恐るべき量のエネルギーとなって蓄えられているわ、持ち主を守らんがために、その剣は持ち主に向けられた呪いを一身にその身に集め…厄の持つネガティブエネルギーの重さで空間を突き破ってこちらに落ちてきたのね」

それを聞いて僕は慌てて剣の紐を解いて身から離そうとした、しかし、雛は僕の方に手をかざしてそれを制した、頬笑みさえ浮かべながら。なんだか軽くあしらわれているようである、多分、軽くからかわれているのだろうと思える。

「まあ、まあ、その剣に蓄えられているネガティブエネルギーは一国を滅ぼすほどの量だけれども、普通の手段ではその力を解放できないわ、貴方がそうして持っている限り、その剣はタダの安っぽい黄銅のコピー品程度の能力しか発揮しないから安心していいわよ」

これは喜んでいいのだろうか?それとも、怒っていいんだろうか?ここはとりあえず安心しておこうかと思う。

ホッと安心したのも束の間、雛は僕の方に“すいーっ”と滑る様に近付いてきた

「その剣が無かったとしても貴方、いい素質を持っているわ、とても厄が溜まり易い体質なのよ」

更に雛は奥まで突っ込んだ話をしてきた。

「あなた、ひょっとして、そんな大きな図体してるくせに結構弱っちいわね?」

僕は思わずぎくりとした、何を失礼な事を言い出すんだこの流し雛は?しかし、図星であるが故に、話の先が少し気になる。

「そうねえ…あなた、その弱さ故に少々甘く見られているんじゃなくて?」

またもや痛い所を突かれた。

「そして、その様子だとあまりお金にも縁がなさそうね?その割に見栄っ張りな所があるから、甘く見られない為についつい無駄にお金を使って虚栄を張る…」

何だか全て見透かされているようで恐ろしい。思い当たる節が多すぎるのだ。

「無駄にお金を使うからお金は貯まらない、貯まらないから甘く見られる、甘く見られるのが嫌だから見栄を張ってお金を使う…」

ここまで言い当てられると、逆に結論が楽しみになって来る、この流し雛はどのような結論で締めくくるのだろうか?

「素晴らしいわ!これほど完全な厄スパイラルを持っている人って、歴史上の没落者以外にちょっと思い付かないわね、しかも、貴方、その青白い顔つきから察するに、外に出て鬱憤(うっぷん)を晴らすとかも一切しないわね?」

雛は話し始めた頃の堅い口調をどんどん和らげて行き、この辺りに至っては、少々うっとりとした口調になってきた。何か少し嫌な予感…いやいや、極めて嫌な予感がする。

「あなた、ここに2〜3カ月住んで厄を落としていかない?いえ、なんならずっと住んでもいいのよ?」

まっ・・・またか・・・

僕はなんでこう“搾り取り系の女”にばかりモテるのだろうか?

レミリアには実際生き血を採られたし、良く考えたら霊夢と魔理沙にも色々搾り取られているような気がする。

たまには僕に誰か尽くしてくれはしないのだろうか?

世の中には生活費と衣食住の全てを“尽くす女”に出させている男も居ると聞く。

それを思うと、僕は現実に有るこの格差に、惨めさを越えた腹立ちさえ覚える。

ここで、にとりが思わぬ提案をしてきた。

「2〜3カ月は無理としてもさあ、折角だから香霖堂さんも厄落としていきなよ?気分が軽くなるよ!」

「えっ!落とせるの?厄?」

この展開を待ってましたとばかりに雛が食いついてきた。

「ええ、落とせるわ、香霖堂さんといったわね?取りあえず、思い付く限りの愚痴をこぼしてみて」

「そんな…いきなり愚痴こぼせ、言われても…」

「そうねぇ…いきなりじゃ、テンション上げ辛いわね、なら、最初にお題を出すわ、最初だけお題に沿って愚痴っていけばいいから、後はどんどんアドリブでやってちょうだい」

「どんなお題で行きます?」

「そうね…じゃ、とっかかりは貧乏から行きましょう、貴方を貧乏たらしめている諸々に向かって愚痴を垂れてみて」

「じゃ、お言葉に甘えて…」

僕は目を閉じて澄まし顔をしている雛に向かって、恐る恐る愚痴を垂れてみる。

「まず、お客、最近値切り過ぎ、あなた達物の希少価値ってものが分かってない」

「はいはい、どんどんどうぞ?」

「それだけならまだしも、霊夢が横から口出しして来てやり難いったらありゃしない!」

「うんうん、どんな風にやり難いの?」

「こっちが一生懸命苦心して何とか値を付けようと苦心している横でお茶なんか啜って!その揚句“どうせ、そんなもんタダで拾ってきたんでしょ?”とか言うし!」

「調子出てきたんじゃない?そろそろ回るわよ?」

そう言うと、あまりの軽さで吹けば飛びそうだった雛の体は、僕の愚痴を受けてゆっくりと回り始めた。何が始まるのかは分からないが、とにかく面白そうなので続けてみよう。

「あと!魔理沙!あんた、一回ぐらいお金払って行きなさいよ!払う可能性が無い代金をツケとは言わない!」

更に回転に勢いがついてきた、僕もだんだん乗ってきたようだ。

「そして、た…ま…っに!差し入れ持ってきたと思ったら毒茸とか!僕にどうしろって言うのよこれ!しかも、すきっ腹鳴らしている僕の横に七輪持ち出して来て美味そうに焼いて食うとか!そういうのは差し入れとは言わない!昼飯の場所借りに来ただけじゃん!」

回るスピードは益々速くなり、つむじ風さえ起き始めてきた。

「そうだ!すきっ腹と言えば腋巫女!あんた、最近狙ったように昼飯の支度時に現れるのやめなさい!」

「で、昼飯でも作ってくれたりするのかな…と!思ったら!開口一問“御茶漬でいいわよ、鮒のなれ寿司があるでしょ?床下収納に隠してある奴”とか、いきなり注文入れて来るな!しかも、高確率で一番値の張る食材を指定してくんなっつーの!」

この辺りでつむじ風は、そろそろ竜巻に成長しようとしていた。踏ん張っていないと飛ばされてしまいそうなほどだ。

「そして隙間妖怪!あんた、なんで珍しいゲーム機拾ったタイミングでウチに来るわけ?しかも、それをせしめた去り際に“マグマックスかスーパーアラビアン入荷したら又来るわ”とかナニゲにレアソフトの獲得権まで主張するし!」


吹き荒れる雛嵐の中、思わずにとりが僕の肩に掴まってきた。飛ばされそうなのだろう。

「こないだ、よ〜うっ…やく手に入れたスペランカー!あれなんか、最初のエレベーター下りる前に持っていかれた!」

にとりがここで命の危険を感じたようだったが、僕はそれどころじゃなくなっていた。

「ちょ!こ!香霖堂…!!!コーリン!ヤヴァイって!飛ぶ!飛んでっちゃうよー!」

僕は最後まで吐き出さねば収まらなくなっていた、これだけは言わせてほしい、女には理解できないだろうが、漢のロマンにかかわる重大な話なのだ。

「だいたい!身長が16ドットで、落下死亡デッドライン高度14ドットって!どんだけ貧弱な主人公なんだよ!しかも、自分のウェストより細い溝に落ちて死んでるし!どうやって落ちたらいいのか僕ぁスペランカー君に聞いてみたいぐらいだよ!」


にとりの片手が僕の肩から外れた、そろそろ限界かもしれない。

「待って!お願い!コーリン!これ以上やると台風になっちゃうよー!」

その声を聞いて雛は回転を止めた。

僕もここで荒い息を整えつつ心を落ち着かせようと試みる。体中に回ったアドレナリンがそれを阻み続けたが、幻想郷を巨大竜巻で壊滅させる訳にも行くまい。ここはぐっと我慢だ。

僕の荒ぶる魂は遂に幻想郷を危機に陥れるほどになったのだ。王者の貫録と言わざるをえまい。

鍵山雛も我を忘れて回り続けていたのだろう、汗の噴き出る額にハンカチを当て、その汗をハンカチに移し取っている。

「素晴らしいわ!こんなに回れたのは何十年ぶりかしら?久々に思いっきり回れたわよ、これほど回ったのはそう…嫉妬の権化、水橋パルスィと対決した時以来ね!」

本当だろうか?僕があの嫉妬姫として幻想郷に知れ渡っている水橋パルスィと同じぐらいの厄を持っているとか?そんな、まさか?しかし、僕ほどの偉大な魂の持ち主ならそれも或いは…あるかもしれない。

鍵山雛がその説明をしてくれるだろう。

「辛い思い出っていうのは、こんなに勢いよく流れ出たりしないから、人助けで回る時はもっと、しみじみとゆっくり回るものなのよ、けどね?ドーでもいい下らない悩みや愚痴っていうものは持ち主が気楽にホイホイ放出してくるものなのよ、だからこんなに豪快なスピンがキメられるのね?」

それは…そんな筈は無いと思うのだが、僕の持つ悩みがドーでもいい馬鹿馬鹿しい物であると言いたいのであろうか?

「特に…あのゲームソフトの下り…あれはほんっとうに良かったわぁぁぁ…」
いやいや、そんな事は無い筈だ。その部分を恍惚とした表情で強調されると、僕が本当に馬鹿みたいに見えるからやめてほしい。

「あれはそうね…丁度パルスィが持っていた“チルノが引き当てたアイスの当たり棒に対する嫉妬”に相当するわね!いやぁ〜…あの時も良く回ったわ!」

それじゃあ…

まるで…

僕が…

馬鹿決定みたいじゃん!


話が下らない方向に飛んでしまった、少し本題に引き戻そう。

「あのぉ…雛さん?」

「なあに?マイ・スイートダーリン?」

ちょwちょっと待ってくれwいつのまにかスイートダーリンにされてるしw

「良かったね、香霖堂さん?結婚式の招待状は早めにちょうだいよ?」

いやいやいやいや・・・待て、お前ら、まずは落ち着け。

「雛さん、ちょっと待って下さいよ!そんないきなり!僕達は雛さんに頼みが有って来たんです」

「なによ?あたしとじゃ不満なわけ?まあいいわ、そのお頼みとやらを聞かせてちょうだいよ」

「あの…言っても怒らない?」

「聞く前から怒るか怒らないかなんて分かりはしないわ」

「じゃ、言いますよ?」

「どうぞ、なんなりと」

「お尻から出る液がほし…」

「何言い出すのかしらこの人は!婚約発表もまだなんだから、変態発言は控えてちょうだい!」

「ごめんね雛、香霖堂さんは大変態なんだけど、心根はいい人だから、ちょっとだけ我慢してあげてね?」

河童よ…それは…フォローになってないぞ!

しかも、やっぱり怒られてるし!

今更感丸出しではあるが、にとりが詳しい説明をしてくれたおかげで鍵山雛は地底行きを承諾してくれた。

ちょっとした長旅になるかも知れないが?と、僕が雛に言い掛けたら、雛とにとりは川の流れと反対方向に有る岩盤を指さした。

窪みになっていて気付かなかったが、そこは洞窟への入り口であるようだった。

黒谷ヤマメの住む場所への近道だという。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(28)地下道

太陽の畑に集まっていた妖怪達は外の世界から飛来した巨大怪鳥を撃退し、大いに勢い付いていた。

この勢いを持ってすれば人間の里襲撃も難無く大戦果を上げられると、誰もが思った。

何しろ邪魔に入った博麗の巫女こと博麗霊夢も、怪鳥に対する妖怪達の攻撃を為すすべなく見ている以外に何もできなかったのだ。

妖怪達の群衆の中で最強の名をほしいままにしている風見優香は、肩を落として力なく立ち去ろうとしている霊夢の背中を無言で見送る。

その姿は一時代の終わりを象徴しているようだった。

(おきて)(ことわり)の時代は今ここで終わったのだ、これからは正悪の区別も無くなる。一番強い者が次の神になり、ルールは全て神が決める。

まんざら知らない仲でも無い霊夢が打ちひしがれるままに立ち去って行く姿は哀れであり、何とかしてやりたい気も有った。しかし、本格的な戦いが始まれば霊夢にも手を掛けなければならないのだ、今更話し合ってもお互い後が辛くなるだけだろう。

迷いを振り切るように幽香は盃に酒を注ぎ、気勢を上げる。

「人間の機械なんざ、あの程度のもんさ!何度攻めて来たってその度に返り討ちにしてやるよ!夜になったら総攻撃行くからね!それまで大いに飲んで騒ぎな!」

妖怪達は幽香の言葉に賛同し、思い思いの盃に酒を注いで飲乾した。

遠くの空では何者かが空気を振動させて飛んでいるようだったが、あまり気に留める者も居なかった。そいつは近付いても来ないし、卵みたいな胴体にひょろ長い尻尾を付けた姿も、空飛ぶおたまじゃくしみたいに見えてサッパリ怖くなかった。

そいつは弾が届かないほどの高さをぐるぐると回り、こちらに寄って来る気配もない。恐れをなして近付いてこれないだけなのだろうと思えた。

やがて、紙が一枚ハラリと落ちてきた。

気付くとそれはそこいら中に振り撒かれている、どうやらあの蚊トンボが撒いているようだ。幽香はその一枚を拾ってみた。

日本語と中国語、英語らしき横文字、あと、漢字ともカタカナともつかぬ見た事無い文字で短い文章が書きつけられている。

向日葵(ひまわり)畑に集合している者全てに警告する、直ちにこの場を離れよ、間もなくこの場を焼夷弾で攻撃し、焼き払う。直ちに立ち去らなければ君達は炎に焼かれて死ぬ事になる」

分かる様な…分からないような内容だ。

焼き払う?ここに居る妖怪達ごとこの太陽の畑を?

これほど大勢を相手に出来るほどの奴が来るのか?人間なんぞは、例え禁じ手を使って撃ってくるとしても、こちらの視界に入るや否や妖弾の雨を撃ち込んでやればすぐに消えて無くなる。

焼夷弾というのも何の事だか分からなかった。漢字の語感と文面からして、火炎系の何かであるらしいのだが、それはお空や魔理沙の火力と比較してどうなのであろうか?彼女達だってこれだけの数を目にして“焼き払ってやる”などと馬鹿げた発言をするだろうか?

周囲を見る。他の妖怪達もこのおかしな警告に首を傾げたり、笑い飛ばしたりと、あまり脅威に感じていない。むしろ明らかに馬鹿にしている。

誰ひとりとして警告を真に受ける者もおらず、幽香自身もただのハッタリだろうと思った。

だから、暫くして白っぽい菱餅みたいな形の機械が飛んできても、精々ふざけて適当に妖弾を撃ち上げてからかう程度で、だれも身構えるとか、逃げ出すとかの真剣なリアクションを起こさなかった。

 

妖怪の川最上流部から黒谷ヤマメの住む地底世界へ通じる洞窟内

 

妖怪の川最上流部へと上り詰め、とうとう流し雛の鍵山雛と合流する事に成功した僕は、今、黒谷ヤマメが住むという地底世界へ通じる洞窟の中を進んでいた。

河童の河城にとりと流し雛の鍵山雛は、松明や提灯の用意も無しに、そのままひょいひょいと洞窟の中へ踏み入って行くので僕は慌ててその後を追った。ほんの少し歩いただけで僕の予想通り自然光は洞窟内に届いてこなくなった。

「ちょっと、ちょっと!洞窟!真っ暗じゃないですか、どうすんのこの先!」

先行するにとりは、又しても“当然でしょ?”とでも言いたげに軽く答えてきた。

「ああ、こんなとこ、一々明かり持ってくる必要も無いのよ」

またか、彼女達には多分見えるのだろう。しかし、僕はそろそろ明かりが無いと足元がおぼつかなくなってきていた。

「にとりさん、またまた、あなた達には見えるんでしょうけど、僕は無理ですよ?この暗さは」

「そうねえ…香霖堂さんだからコーリンでいいかしら?それとも霖之助さんだからリンリンがいいかしら?今、あたし達にも暗くて足元は良く見えないのよ」

「リンリンって…じゃ、どうするんですか?この先、完全に真っ暗になりますよ?」

「その事なら安心していいわリンリン、完全に真っ暗になれば、その先はまただんだん明るくなって行くわ」

「そーだよ、香霖…いや、リンリン!安心していいよ!」

ここいらで視界ゼロになり、僕達は手探りで洞窟を進んでいる。

「安心って状況でもないですけどね?僕はいやですよ?変態道具屋とか、なんか、その他にもファンシーな呼び名付けられてそのまま他界するのは、幽々子さんとこまで行った時点で戒名リンリンとかだったら爆笑されますって」

「あら?いいじゃないの、可愛くて、流行るかも知れないわよ?ファンシー系戒名」

「香霖堂さん、里で正式に決めてもらうと良いよ、“大変態道具商リンリン居士”って、なんか良くない?」

“なんかよくない?”とかギャルっぽく尻上がり口調で言われても困る。

どうこの化け物どもに言って聞かせればこの暗黒洞窟を照らし出す方法に思い致してくれるだろうかと、頭を捻っていると、目の前をすうっと緑色の光が通った。

目でそれを追うと、その光はチカチカと点滅をしながら岩の隙間に入って行った。その隙間から、又同じ光が出てきた。それを目で追って天井を見上げると、そこにも淡い緑色や青の小さな光が星空のように明滅している。

洞窟の奥の方に目をやると、ぼんやりと、その青い様な緑色な様な光が続いている。

「まさか…蛍?」

「ええ、そうよ、ここに流れる地下水脈の中では四季を通じて蛍が繁殖しているわ、その光をヒカリゴケが洞窟中に広げているの」

なるほど、これを見せてちょっと驚かせたかったわけか、最初から“蛍が居るから照明要らずだ”とか言ったら感動も半減してしまうだろう。

蛍が居るという事は、その餌になる貝も住んでいる事になる。蛍の光で水脈の中に藻類が発生し、それを餌に貝が育ち、その貝を食べて蛍が成虫になって光っているとしたら、これはちょっとすごい事なんじゃないだろうか?

そのような生態系があるとしたら、もしかしたらもっと恐ろしい物も住んでいる可能性がある。一応聞いておこう。

「ちょっと雛さん、他になんか、怖いものが住んでいたりしないでしょうね?」

「う〜ん…そうね、釣瓶妖怪が降って来るかも知れないから、それには気を付けた方がいいわね、あと…コウモリが住んでいるから時々びっくりするぐらいかしらね?」

コウモリ…コウモリにはちょっとしたトラウマが有る、紅魔館の一件もそうだが、外の世界のゲームには比較的頻繁にコウモリが出てきて、しかもそれはかなり凶暴だ。ここにもそんな奴が住んでいるかもしれない。

そして、コウモリが出て来るゲームには高確率でオバケも出て来る、このオバケは属性不明で会話すらできない凶悪な奴だ。

「あの…雛さん?」

「何よリンリン?」

「出るんじゃないですか?この洞窟?」

「出るものはもう一通り言ったわよ?」

「いや、洞窟と言えば居るじゃないですか?オバケ?」

ここで雛とにとりが顔を見合わせる。

暫く、頬を膨らませ、何かを溜めているように我慢していたが、二人は同時に噴出した。

「ちょ!香霖堂さん!オバケって!なにその表現!」

「いやぁ〜いいわ!やっぱりリンリン最高よ!この幻想的な蛍火の中でそんな下らない事を心配するなんて!やっぱりあなた、私が見込んだ通りだわ!」

なんで質問する前にこの展開を予想できなかったのか、自分のふがいなさに腹が立つ。外の世界のコウモリとオバケが、無敵のヒーローと戦うに足る実力を持っている事など、幻想郷から出た事のないこの二人の妖怪には分からないに違いない。幻想郷のコウモリとオバケ(幽霊)はいずれも、ささやかで大人しいから想像もつかないのだろう。

二人の爆笑で蛍の光は止んでしまうのだろうと思ったが、声の刺激を受けると光は却って強くなった。

これだけの数が居れば、光の中にまぎれる事によって逆に個々の蛍はその姿を大群の中に眩ませる事が出来る。小魚の魚群と同じ原理か?

光の木霊は洞窟の奥へと進んで行き、先は見えないほど深い様で蛍火はすぐに元の明るさに戻った。

それでも僕達は蛍火の中を順調に進み続け、昼過ぎであろうか?洞窟の中なので確かな事は言えないのだが、多分その頃に僕達は黒谷ヤマメが住むという場所にたどりついていた。

この辺りまで降りて来ると洞窟内の傾斜はかなり緩く、洞内を流れる地下水は小川となって絶えず下へ下へと流れ続けている。この地下水の内、いくらかはきっと岩の隙間を通って何十年掛かるのか、或いは何百年なのかは分からないが、きっと霧の湖に沸き出すに違いない。

洞内の地面は玉石混じりの砂地でかなり歩きやすい。砂も白っぽいので蛍火を反射して足元も良く見えた。

これだけ明るいと岩の表面には点々とシダすら生えている。にとりは大岩の間に出来た、ちょっとした広場みたいな所まで来ると立ち止まった。

小川は下流側が岩盤の隙間へと流れ込んでいるのでその先へ行こうとすれば岩盤を飛び越えて行くか、よじ登って行くしか無い様な場所だ。

「さて香霖堂さん、ここで待ちましょうか?ヤマメが来るのを」

「えっ!?今すぐ会えないの!?」

「うん、ヤマメの住処(すみか)はね?この洞窟全体みたいなもんだから、向こうから来てくれるのを待つしかないのよ」

「待つってどのくらい?」

「わかんない」

「そんな!じゃ、またここに泊まり!?」

「心配する必要は無いわリンリン、あれをごらんなさい」

鍵山雛は洞窟の天井を指さした。上には…釣り糸みたいなものが張ってあるのが見えた。

「良く見ないと分からないけど、この洞窟の隅々にヤマメが張りめぐらせた蜘蛛の糸が有るわ、これを伝わる私達の声に気付けば、ヤマメはきっと来るのよ」

僕はそれは当てに出来ない話だと思った。だいたい、ご隠居じゃないんだから、ヤマメがそんなにいつも蜘蛛の巣に居るとも思えない、それとも、この糸はどこでもキャッチした音声を聞き取れるほどのものなのだろうか?

「ええ〜…雛さん、ヤマメだっていつも聞いてるとは限らないだろうし、面倒臭かったら来ないかもしれませんよ?」

にとりは雛と同じくヤマメが必ず来ると確信しているようで、こう言った。

「そりゃないね、この地下洞に尋ねて来る者なんか滅多に居ないから、声に気付けばヤマメは必ず見に来るよ、いっつも暇そうにしてるらしいし」

「にとりの言うとおりだわ、ここで楽しげなガールズトークを繰り広げていれば、ヤマメは気になって絶対に見に来ます」

「そんなぁ、僕ぁガールじゃありませんよ?」

「それが却って好都合なのよリンリン、ガールズトークで盛り上がる時定番の話題と言えば“キモイねトーク”、これに協力してもらうわ」

「ええ?…キモイ話題なんか特に持っていませんよ?僕は?」

「いいのよ、あなたは何もしなくとも、ただ、キモメン代表としてここに居てくれるだけでいいわ」

またもや嫌な予感がする。キモメンってどんなのだろうか?考えなくとも、ストレートに“キモいメンズ”である事があからさまに分かり過ぎて嫌だ。

「にとり、リンリンのキモイ話題について何か知っている事は無い?」

にとりは天井を仰いで考えた。そうだろう、そうそう僕がキモイメンズである話題について思い当たる節も無いだろう、雛は僕と会ったばかりだし、これはセーフと言わざるをえまい。

しかし、にとりは勝ち誇ったような僕の横顔に向け、次のような言葉を発してきた。

「ああ!そうそう!ボンテージ!あの話題はちょっとキモかったよ〜!」

すぐに思い出さないでくれ。しかも、それは魔理沙と霊夢の想像の産物で、僕は現実には関与していないぞ。

「ボンテージ!?まさか、リンリンあなたが!?…一発目から期待を裏切らない飛ばしっぷりね、良いわ、続けてちょうだい」

「う…ん…そうそう!“紅魔館から出勤するカリスマ(ふんどし)店長のボンテージセレクション”ってキャッチフレーズで売り出す計画って言ってたわ!」

「まっ…まさか…そこまでの話が聞けるとは思わなかったわよ、紅魔館が絡んでいるとなれば……レミリアとフランドールに生き血を提供する代わりに、彼女らをモデルにしたボンテージブロマイド作成に着手していると疑わざるを得ないわね」





「うっ!わーっ!雛のツッコミも鋭いね!抜群の切れ味だよ!普通そこまで深く考えたりしないけど、考えてみれば有り得る話だからキモイよね〜!」

ここで弁解しておかねばなるまい、っていうか、僕は無実だぞw毒舌ガールズよw

「ちょっと!それは霊夢と魔理沙が勝手に作った話で!僕は実際!そんな事は!一切!していないっ!」

このままでは僕はタダの援助交際オヤジになってしまうではないか、ここで事実をはっきりさせ、話題を変えてほしい。

「いいえ、そうじゃないわリンリン、貴方、ガールズトークの真の恐ろしさを理解していないわね?ガールズトークでは噂の内容の真偽については一切問えない事になっているの」

“一切問えない事になっているの”とかいう言い訳も初めて聞いた。それじゃ、僕は俎板(まないた)の上の鯉か?話題の俎上(そじょう)に昇った時点で僕の運命は潰えたという事になるのだろうか?それはあまりに理不尽に思える。

「構わないわにとり、乗ってきたからどんどんやってちょうだい、これだけの厄とキモイ話題を内包している存在に益々興味が出てきたの、これだけ豊富なネガティブパワーなら、一生でも回り続けられるでしょうね…無尽蔵ともいえるわ…」

雛はとうとう胸の前で手を組んで天を見上げた。そこまで言われると逆に悪い気はしてこなくなるから不思議だ。洞窟の外へ出たら一切話さないでほしいが。

「あ、と、ねぇ…魔理沙から聞いたんだけど、ドージンがキモイって言ってたわ」

「何かしら?ドージンって?」

「私も何の事だかよく分かんないんだけどさあ、なんか10ページぐらいの薄い春画の本で、“混み毛”って所で開催する祭りに出品される物らしいんだ」

「春画って時点でかなりキモ目だけれども、“混み毛”って言葉の響きには底知れぬダークなオーラを感じるわ、混み毛について何か知らない?」

「う〜ん、どうも毛むくじゃらな男が集まる祭りらしいんだよ、香霖堂に有ったポスター見たけど、屈強な男が褌一丁でさあ?空に向かって何か口から噴き出してる絵だったわね、蘇民…なんとかって書いてあるみたいだったけど、掠れてて良く読めなかったわ」

「いいわね、何かの暗黒儀式の匂いがするわ、その話からは」

「で、その祭り会場がさあ?尋常じゃない地獄のような混雑ぶりだって言うのよ!集まった男どもの汗と熱気で上空に雨雲が発生する程だって言ってたわ!」

「そりゃ、さぞかし臭うでしょうね?想像するだけで気絶しそうだけどいいわ、この際最後まで聞かせて」

「でね?その混み毛会場で売られているドージンなんだけど、ある一定のお題に沿った春画を持ち寄って売り上げを競うらしいのよ」

「で、その春画はどんな内容なの?」

「なんとか…ムーンって言ったわね?あれじゃない?因幡兎をイヂメて脱がす昔話有ったじゃない?あんな感じたと思うのよ」

なんで…ドージンの事を知っているんだこの河童は!

あれは蔵の奥に有る使われていないベッドの下に厳重に隠しておいた筈なのだが?

魔理沙の奴!あんな所にまで探りを!

「じつはね?その、なんとかムーンっていうのは、まだまだ序の口なのよ!」

「なになに?まだ何かあるの?」

「うん、トーホーってお題の奴は得にすごい!」

「どんな風にすごいの?」

「う〜ん…なんて言ったかな?東方男の娘特集?」

「男の子向けの本?」

「いや…この辺りまでカオスになると変態も普通のレベルじゃないから男性用…とも言い切れないのよ」

「内容は?」

「男の子の“子”の部分が子供の子じゃなくってね?娘って字が充てられているのよ、まあ…要するに女装美少年の話ね?」

「うわ…それはちょっと複雑ね?キモイかキモくないか極めて微妙なラインだわ、見る人の立場によっても評価が真っ二つに分かれるわね」

まさか、ドージンと呼ばれる薄っぺらい本を拾い集めているだけで、ここまで言われるとは思わなかった。ここいらでそろそろ許してくれるだろうかと思ったが、河童がここでトドメを刺しに来る。

「ちょっと…現物出したら引くかも知れないかな〜と思って心配してたんだけど、思い切って見せるわね?現物?」

ここでにとりはバックパックを肩から下ろし、その中から薄い本を取り出した。

 

ちょっと・・・

 

まて・・・

 

お前ら・・・

 

何故それがここに有る!?!?!?

 

にとりと雛はその本を開き、その内容をキャ−キャー言いながら吟味し始めた。

「この題名も何か何処かの誰かを連想しそうじゃない?“茸魔女の秘密”って!」

「あ〜…雛もやっぱりそう思っちゃったか…でさあ、ここに描かれている魔法使い、ちょっと魔理沙に似てると思わない?」

「似てるっていうか、クリソツね!」

「あーっ!やっ!ぱり!雛もそう思う?で、この魔法使いがさ?“僕、魔法に失敗して茸が生えてきちゃったze”とかいうシーン!背景の商店にもなんか見覚えがあるのよ!」

「やだっ!“外の世界から落ちて来た”とか言い張って!リンリン、幻想郷内でドージンを自作!?」

「やっぱり?!雛もそう思う!?」

「ここまで証拠が揃えば犯行は火を見るより明らかねリンリン!あなた、正に幻想郷と外の世界を又に掛けた大変態と言わざるを得ないわ!いいえ!変態大王と称するべきよ!」

「久々にね〜、あたし、これ見た時にはキッツイなーと思ったわよ…魔理沙なんかね?これ見付けた時には、流石に身の危険を感じて三日ほど香霖堂に近寄れなかったって言ってたほどなのよ!」

今すぐこの世が終わってくれと、僕はこの時、本気で思っていた。

まさか、その時には本当に世界が終ろうとしているなどと露ほども思っていなかったのだ。

終わりの引き金を引くべき人物は、天井に張り巡らされている蜘蛛の糸の向こう端で、この話をじっと聞き続けていた。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(29)非想天則

 

霊夢は丘の上に座り込んで、うつらうつらとしながら太陽の畑の方を眺めていた。

もう博麗の巫女として出来る事は何もなく、遠くの空から轟音と共に人間の機械が飛来しても立ち上がる気力すら起きなかった。

白っぽいそいつは首の上に有る巨人の単眼のような部分で太陽光をギラリと反射させながら身を翻し、太陽の畑へと向きを変えた。

機械の吐き出す叫び声が地面に木霊(こだま)する、それは遠雷のように大地を震わせ、まるで悪魔の宴を開始する宣言を、この幻想郷中に響き渡らせようとしているかのようだった。

機械は矢のようなスピードで太陽の畑に迫り、何かを落として再び矢のように遠くへ去ってゆく。

炎が上がる。半里近くも離れているせいか、音は炎がかなり広がってから霊夢の座る丘に届いてくる。地震の大きな奴みたいな音だった。

もう一つ、同じ機械が飛来し、又何かを落とすと同じように火炎と轟音が沸き起こった。今度は妖怪達の集団に近い場所だったのだろう、遠目にも蜘蛛の子を散らすように逃惑う妖怪達の姿が見える。

霊夢はゆるゆると立ち上がると、炎を背にその場を立ち去った。

どこでもいいから、ここ以外の何処かへ行く為に歩き始める。

 

間欠泉地下センター 中央指令室

間欠泉地下センター中央指令室では、外の世界から飛来した戦闘機の爆撃をライブ映像で見る事が出来た。

八坂神奈子はその映像を見ていよいよ腹を括らねばなるまいと思った。

(いくさ)を始める決断を迫られている。

その横で洩矢諏訪子は、魔法の森に作らせている人員用通路開削の進捗状況について報告を受けている。

毒を恐れて天狗の工兵が積極的に動こうとせず、しかも人間の軍勢を迎え討つ為の陣地構築に人手を割かれているので、作業は遅々として進んでいないらしい。

アリスの家にかなり長期にわたって外の世界の人間が潜伏しているらしい事は、幾つかの状況証拠から確認出来ているが、そこに人工衛星と交信する為の通信機が有るのかどうかまでは分からなかった。

しかし、今は僅かな可能性にも賭けてみるしかない、外の人間との全面戦争を避ける事が出来る僅かな可能性、外の世界との通信を完全に遮断し、結界を復旧できるわずかな望みを託して通路開削は続けられていた。

神奈子はもう一つの望み、これは次善の策で出来れば出したくは無かったが、人間の軍勢を防ぐ唯一と思える手段の方に着手しよう思い、諏訪子に問いかける。

「諏訪子よ、対人間決戦兵器を出せる目途は付いたのかい?」

諏訪子は帽子を自分の机に降ろし、それに河童が持って来た報告書を読ませつつ神奈子に返事をする。

「うん、コアも搭載出来たし、パイロットもぎりぎりのタイミングで見付かったから出せるよ」

「ギリギリ過ぎて不安だねぇ?大丈夫なのかい?」

「外の世界の資料を参考にしてそれソックリに作ったから問題ない筈だけど…正直、ちょっとだけ不安だね」

「パイロット選びの方法まで真似する事ぁ無かったんじゃない?」

「あたしも疑問には思ったよ?でも、急がなきゃならなかったから資料を信じてソックリ真似るしかなかったんだよ」

「まあ…細かい事はいいよ、要は使えるかどうか、そこんとこどうなんだい?」

「今は信じるしかないよ、パイロットも丁度イメージにぴったりの奴が捕まえられたし、このタイミングで機体と引き合わせるのも、偶然とは言え資料とそっくり同じ条件だから上手く行くと思うよ?」

「パイロットと話は出来るかい?」

「今、格納庫と繋いでみるよ」

 

間欠泉地下センター最深部 対人間決戦兵器格納庫

人間との戦が始まりそうだとの噂を聞いた蛍妖怪リグル ナイトバグは、地底世界へ逃げようと思い立ち、大きな荷物を背負って飛び立とうともがいている所を鴉天狗達に捕まった。

何の容疑かも聞かされぬ内に間欠泉地下センターの最深部に連行され、スポットライトの光を受けて闇の中に浮き立つ巨大な機械の前で縄を解かれた。

薄暗い格納庫のような空間に据え付けられている巨大な顔みたいな機械、その顔…であるとすれば目の部分なのだろうか?緑色に光を反射するセンサーか何かの部分がリグルを見下ろしているようでかなり怖かった。


顔は左右に角を伸ばしていた。その角も鬼のそれを思わせ、嫌な予感は否応なくリグルの胸の中で増幅し続けていた。

リグルの短く刈り込まれた緑色のショートヘアーの間からぴょんと飛びだしている触角は細かく震え、少年のように見える小さな体は恐怖で一層縮こまっていた。

この非常時に、弱っちい蛍妖怪が何故、こんな重要そうな施設に連行されたのか?そもそもこの施設は何のために有るのか?戦の為に人手が必要なのは分かる、なら何故そう言って連れてこないのだろうか?

多分、“男手が必要だから連れてこいと言われた天狗が間違って自分を捕まえてきてしまったに違いないのだと思った。それだったらすぐに釈放されるだろう。いっつも男の子に間違えられるからそうに違いない。

その結論は、格納庫に放り出されて一人震え続けているリグルの心を支え続けてくれた。次に誰かがこの格納庫に入ってきたら事情を説明しよう、そうすればきっと釈放してくれるに違いないのだ。

足音が近付き、扉が開く、眩しい光の中に河童の技師らしき細身の女のシルエットが見える。その女は期待に目を輝かせて駆け寄ったリグルに大層残念な質問を浴びせかけてきた。

「蛍妖怪リグルナイトバグ、性別女、蟲を操る程度の能力を持ち、永夜事件に関与して博麗の巫女と交戦した経歴あり、間違い無いわね?」

リグルは訳も分からずコックリと頷く。

「貴方は幻想郷で最もこれのパイロットとして相応しい人物として選ばれた…いいえ、これは貴方にしか動かせない筈よ?外の世界の伝説通りだとすればね?」

技師は肩の前に掛かっていた薄緑色のロングヘアーを邪魔そうに後ろに払い除け、細身の眼鏡をつん!と上に上げながら勝手に説明を開始した。顔みたいな不気味な機械を見上げて。

「これは対人間汎用鬼型決戦兵器、非想天則の初号機。人間の作った物理兵器に対抗できる幻想郷唯一の切り札、貴方にはこれに乗って外の世界の兵器と戦ってもらうわ」

リグルは我が耳を疑った。決戦兵器で戦う?何故?何故それを蛍妖怪に任せる?しかも、今初めて見るこれを動かせというのか?全てが無理だとしか思えなかった。

「無理だよ…こんなので戦うなんて…」

リグルの悲痛な拒否の声も技師には全く届いていないようだった、それどころか冷酷にこう言い放つ。

「貴方はあのパイロットシートに座っているだけでいいの、それ以上の事は期待しないわ、後は全てコンピューターがやってくれます」

リグルはどうしてもこの無理難題から解放してほしかった、今は全てを差し置いて、それだけがリグルの思い全てとなってリグルの口から流れ出る。

「無理だよ!だって一回も動かした事無いんだよ!?出来るわけないよーっ!!」

ここで格納庫壁面に有る液晶モニターが灯った。

そこには中央指令室に居る八坂神奈子の姿が大写しにされ、司令室の音声も入ってきた。

「聞こえているな?リグルよ、お前も知っている事と思うが、外の世界から飛来した人間の機械が太陽の畑に火炎を放ち、焼き払っている、人間を滅ぼすつもりで集まったはぐれ妖怪どもが一発で逃げ出すほどの火炎でな」

神奈子の口調は有無を言わさぬ空気を醸し出したが、既に潰れてしまったリグルの心は、神奈子に交渉を持ちかける余裕など持っていなかった、ただ、今の思いを口から垂れ流すしか出来なかったのだ。

「何でそんな奴と戦わなきゃいけないの!?ボクには無理だよ!!」

「泣き言を言うなリグルよ、お前はこの非想天則のパイロットとして選ばれた唯一の…」

ここで別の声が割り込んできた。

「大変です!外の世界から航空機が飛来!3機…6機…9機…どんどん入って来ます!何機あるか分かりません!」

神奈子は鋭い視線でリグルを突きながら言う。

「やってくれるな、リグルよ!」

「さっきから言っているじゃないか!ボクには無理だよーっ!」

また報告が入る。

「誰かが敵方へ向かって行きます…八雲一家のようです!」

「なんだと?画面に映し出してみよ!」

画面には人の背丈ほどもありそうなスピーカーを二つ乗せた大八車が映し出された。それを引くのは八雲(やくも)(ゆかり)の式神、九尾狐の八雲らんだった。

大八車の上では何者かがマイクを握って立っている。

リグルと同じぐらいの女の子に見える。

栗色のショートヘアーの間から覗いている猫耳は恐怖の為か後ろ向きに畳まれ、縋るように細い両手でマイクを握っている、そして震える足で大八車に立ち、泣きそうな目で空を見上げていた。

リグルは思わずその名を口に出した。

(ちぇん)?あれは橙じゃない!?」


*作者注 あ、橙はまだ八雲姓を紫様からもらってなかったですね。画を描いた後に気付いた。

八雲らんの式神、橙とリグルは仲が良かったから彼女の事は良く知っている、御世辞にも強いとは言えない彼女が外の世界から押し寄せる機械達に立ち向かおうというのか?

 

太陽の畑へ向かう途上、大八車を引く八雲一家の式神達

橙は主人である八雲紫の言い付けを実行する為に、九尾狐八雲らんの引く大八車の上に立っていた。

出かける時点でこそ、この大八車に搭載された超音波破砕機を頼もしく思い、戦意も高揚していたが、目的地である太陽の畑が近付くに連れ、橙の心に灯った恐怖の火は大きくなり続け、橙の勇気をもう少しで焼きつくしそうになっていた。

太陽の畑が視界に入る頃から松脂を焦がすような嫌な匂いが漂ってくる。

空には轟々と戦闘機のエンジン音が響き渡る。

太陽の畑が近付くに連れ、敵の使う術の恐ろしさが露わになってきた。

向日葵畑の一角が×を描くように縦長に10反ほど焼け焦げている。

煙は未だにくすぶり続けていた。

そこかしこに爆風で吹き飛ばされた食器や酒瓶が散乱し、それは目で見て分かるほどに熱に溶かされて変形していた。

足を失った妖怪の上半身が黒焦げの下半身を引きずりながら這い逃げて行く。

あれほどの深手を負えば、妖怪と言えども完治に半年以上は要するであろう。

らんが橙に話しかけてきた。

「橙?怖いかい?」

「うっ!ううん…全然!」

「嘘おっしゃい、声が震えているわよ?」

「ごめんなしゃい、らんしゃま!」

とうとう泣き声になった。

「いいのよ、あたしだって怖いんだから」

「ねえ、らんしゃま?」

「なあに?橙?」

「これで本当に戦闘機を追い払えるんですか?」

「大丈夫よ、橙が怖がらずにやってくれたら、きっとうまく行くわ」

「頑張りますらんしゃま!」

「頼むわよ橙、ここでやるから、合図したら思いっきりやるのよ?」

橙は小さく頷き、空を見上げた。

曇り空に旋回する一機がこちらに向かってくる。そいつがエンジンを吹かすと、それは鳳凰の叫び声のように山々に木霊する。

らんは外の世界のノートパソコンを大八車につなぎ、システムを起動する。大八車のフェイズドアーレイレーダーが敵の方位と高度を指し示し、ドップラーレーダーは距離と速度を算出し続ける、システムは正常に動いているようだ。

レーダーの画面上に表示されている機影をクリックすると、大八車のターレットリングが自動的に回転し、スピーカーを敵戦闘機に向けた。

らんが橙に指示を送る。

「目標西北西、高度1500のF15、距離1000まで接近したら攻撃する、キルゾーン進入まであと15秒、14、13、12、11、10、9、8、7…」

橙はらんの合図を待った。

足が震えるのを我慢し、涙がこぼれ続ける目を必死に開いて敵を見続けた。白い鳥のような奴だった、それが矢のようなスピードでこっちに迫って来る、這い逃げる黒焦げの上半身が一瞬脳裏に浮かんだ。橙は迷いを断つように大きく息を吸い込む。

「…6、5、4、3、2、今!」

橙はらんの合図に合わせて有らん限りの声をマイクにぶつけた。

 

 

「うるしゃいぞー!!!!」

 

 

空気はスピ−カーから出る音圧で圧縮され、陽炎(かげろう)の塊となって敵戦闘機を襲った。キャノピーには一面にヒビが入り、ボロンコンポジットマテリアルの主翼は紙のように引きちぎられて機体の遥か後方に吹き飛ばされていった。

戦闘機のキャノピーが飛び、射出座席は放出され、その座席はパラシュートに吊り下げられながらふわりふわりと魔法の森の方へ飛んで行く。

「やりましたよらんしゃま!」

「橙!うしろ!」

直後に20mm榴弾の雨が降り、大八車は一瞬で土煙に包まれた。

土煙が風に飛ばされ、視界がクリアになると大八車が見えてくる。

射撃統制装置に繋がっていたパソコンは遠くに飛び、遠目にも大破しているのが目に見えた。スピ−カーの片方は直撃を受けたらしく、完全に弾け飛んで煙を上げている。

橙の姿が見えない、らんは大八車に駆け寄り、その上でへたり込んでいる橙の姿を見付けた。橙は機関砲弾の雨に肝を抜かれて放心し、焦点の定まらぬ目をして中々らんの呼び掛けに答えられないようだった。

「橙?橙?大丈夫?怪我は無い?」

20mm榴弾は直接橙に命中していなかったが、顔を庇う為に咄嗟に出した右手の掌は砲弾の破片に切られて赤い線が引かれている。その線から血が滲みだし、肘を伝って下にポタポタと落ちた。

「らん…らんしゃま…ヒッ!ヒック!…ううう…うわぁぁぁん!」

遂に泣き出した。だが、泣き出す所まで回復したともいえる。本当にダメなら泣く事すらなく、気が遠くなって気絶するか放心し続けて無反応な状態が続く。

「橙!橙!あなたは何なのか言ってみなさい!」

「うっ!うっ!うっ!…うわぁぁぁぁん!!」

「泣いてちゃ分からないでしょ!言ってみなさい!」

「らんしゃまの…らんしゃまの式神でう…」

「その八雲らんの主人は誰?」

(ゆかり)しゃまです…」

「あたし達は紫様になんて命じられたの?」

「外の世界の航空機を追い払えって…」

「なら、最後までやらなきゃ」

「はい…らん様」

「よし!いい子ね!ほら、手を出してみなさい」

らんは橙の掌にハンカチを巻いてやった。その手にマイクを渡す。

「もうコンピューターは使えないから手動でやるよ?できるね?」

橙は一回大きく頷いた。血で滑るマイクを握り直しながら。

 

間欠泉地下センター最深部 対人間決戦兵器格納庫

リグルは画面に映し出された八雲一家の大八車が、外の世界の戦闘機を撃墜し、その直後、機関砲弾の雨に打たれるのを眺めていた。

橙が掌から血を流して泣いている。らんは橙を元気づけると自らも大八車に上がり、スピーカーの操作ハンドルを握った。

不意に河童の技師がリグルの肩に手を置く。

「あの子はリグル君のお友達かしら?あなたなら、あの子を助けられるけど、どうする?」

リグルは未だ決意を固められないまま画面をぼーっと見ている。画面には列をなして地上目標に襲い掛かろうとしているF2支援戦闘機の群れが見える。橙の所へ向かうのか?それとも太陽の畑を完全に焼失させようとしているのか?そこまでは判別できなかったが、これが橙の所へ向かっているとしたら橙の生存は絶望的に思える。

画面が切り替わった。

70mmロケットの至近弾でひっくり返りそうな大八車に必死になってしがみついている八雲一家の式神達の様子が見て取れる。

橙は震える足で大八車の上に立ち上がる、らんがハンドルを操作し、スピーカーが上空に向けられる、橙が叫ぶ、衝撃で映像が揺れる、スピーカーが向いていた方と反対側から放たれた機関砲の掃射に橙が倒れた、再び立ち上がる、耳から金色のピアスがキラリと光って落ちた、耳も切れたのかもしれない。

ここで映像は中央指令室の八坂神奈子を映し出した。

「見ての通りだリグルよ、おまえもやってくれるな?」

リグルはただ頷くしかなかった。

技師はこの時点でようやく名乗ってくれる。

「よく決意してくれたわリグル君!あたしはこの非想天則の開発と運用を担当している河城みとり、よろしくねっ!」

みとりは急ぐから付いて来てと言い、早足にリグルを案内しながら非想天則について説明を始めた。

「この対人間汎用鬼型決戦兵器非想天則は、対地、対空攻撃能力を完備していてその発射スイッチ以外は基本的に脳波コントロールだけで操作できるから、難しい操作を覚える必要は無いの」

「ただ、貴方の言語解釈と非想天則の言語解釈が一致しないと思わぬ誤作動を起こすから気を付けて」

「例えば豆腐は禁句よ?“凍符”と解釈されたら八坂ブリザードを発動して辺り一面を凍らせてしまうわ」

「非想天則は人間のと長期戦に備えて設計されているから、コックピットの居住性は特に重視されているの」

「コックピットは戦闘室と居住スペースに大きく分かれていて、中に住む事が出来るわ、外の世界の原子力潜水艦並みの長期作戦が可能だけど、数時間に一回、電源に繋いで充電しないと行動不能になるから気を付けて、バッテリー残量の表示が出るからそれに気を付けてね」

「居住スペースは風呂トイレ別、フロ−リング、シングルベッド、ペット可、冷暖房完備、オートロックと、注目の物件の条件は全てクリア」

「戦闘室にはテレビ、エアコン、電気ポット、ガスコンロ、流し台、その他生活必要品収納スペースが備えられています、PCエンジンとドリキャスも装備されているけど、ソフトは自分で買って来てね」

「これは理論上の話なんだけど、操作に慣れさえすればガスコンロでラーメンを作り、それを食べながらでも脳波コントロールだけで敵と戦い続ける事も可能よ?この非想天則はそれほどまでに過酷な戦況を想定して作られているの」

「でも戦闘室を離れてしまうと操作を続行する事は出来ないわ、トイレに入っている最中は無防備になるから気を付けて」

リグルは、あんぐりと口を開けたまま、みとり説明を聞いた。全てが信じられず、あまり頭に入った感じはしない。ただ、住み心地は良さそうだと思う。

胴体辺り…だと思う部分に案内された。

この非想天則はあまりにも大きいからまだ全体像まではリグルにも見えていなかった。

みとりが埋め込みになっている円形ハッチのハンドルを引き出し、回すと“ズウン!”と重い音がしてロックが解かれ、ハッチは開いた。里の両替商が使っている金庫の扉を何倍かにしたような厳重な奴だった。

中はまばゆい光を放っており、リグルは思わず眩しさに一回目を閉じた。恐る恐る細目を開けるが、中々目は慣れない。

今から幻想郷の科学の粋を集めた決戦兵器の中へ踏みこむのだ、操作は自分にもできると保証され、武装は人間の物理兵器に対抗しうる強力な物、その上居住性も完備し、長期戦にも耐えうる正に動く要塞、リグルの期待は否応なく高まった。

明かりに目が慣れ、中が見えた!

「うわぁ!これが幻想郷の科学の粋!…なの?これ?」

中は六畳一間の普通の長屋みたいな作りになっていた。

確かに言われた通り、テレビとゲーム機、電気ポットとガスコンロ、そして小さな台所には薬缶を掛けられそうな大きさのガスコンロが有った。

みとりは自信にあふれた表情でリグルの肩をポンと叩き、こう言う。

「ね?凄いでしょ?冷蔵庫はあたしからのプレゼント、茶箪笥の中には技研のみんなが入れてくれたお茶と茶菓子、ラーメンが入っているわ」

46型と表示された大きなブラウン管テレビには、技研の技師らしき河童達が押し合いへしあいして映っていた、手を振ったり、応援の声を掛けてくれたりしている。

「見て、みんなも貴方を応援しているわ、貴方と非想天則は幻想郷の最後の希望、だから頑張ってちょうだいね」

みとりは卓袱台(ちゃぶだい)と座布団を指さしながらこう言う。

「あのパイロットシートに座って指示を待ってちょうだい、指示はあのモニターから音声と映像で送られてくるわ、じゃ、あたしは指令室に行ってるからね、グッドラック、リグル君!」

ハッチは再びみとりによって閉められた、絶対に逃げられなさそうな重厚な音を立てて。

リグルは泣けてきた。

色々な意味で。

みとりが司令室に行くまでちょっと間が有るだろう、お茶でも淹れようかと思う。

茶箪笥にはちゃんと急須も湯飲みも入っていた。電気ポットからコポコポと音を立てて湯を注ぎ、それを湯飲みに注ぐ。

ズズズッ!と音を立てて啜ってみると、それは悪くない味に思えた。

落ち着きを取り戻すと橙の事が気になった。

「そうだ…橙はどうしているだろうか…」

リグルの独り言に答えるかのようにテレビのブラウン管が“ヴゥン!”と鳴って灯る。

画面は二分割になっており、片方に中央指令室の河城みとり、もう片方には戦場の様子が写っていた。

「橙の事なら心配要らないわ、非想天則ゼロ号機が敵の注意をひきつけている間に退却したから」

戦場の方には青いセーラー服姿の…巨大ロボ?が写し出されている。フワフワと風船みたいな動きをしている、これが非想天則ゼロ号機であるらしい。

その手には“あたしには代わりが居るから”と書かれた札を持っている。それは見かけ通りにただの気球か何かであったらしく、敵の集中砲火ですぐに炎上した。

司令室の声がテレビから聞こえてくる、地上に非想天則初号機を出す段取りをしているらしい。

「内部電源充電97パーセント、既定値クリア」

「液体装薬充填完了」

「KIB多目的榴弾、全弾装填完了」

「八坂ミサイル発射筒、装備完了」

「拘束具1番から5番まで解除、リフト、3番シャフトへ移動します」

「リフト、3番カタパルトに固定」

「3番シャフト内、進路オールクリア、非想天則、発進準備完了」

画面が切り替わり、みとりが大写しにされた。

「リグル君、今から地上に上げるわ、頑張ってちょうだいね」

ここで画像が格納庫内に切り替わる、非想天則の外部モニターカメラの映像のようだ。みとりの号令が聞こえる。

「非想天則初号機!発進!」

床ごと打ち上げられるような感触がした。

「あつ!熱!アツ!熱いー!」

ショックでお茶が全てこぼれた。

テレビ画面は数秒間トンネルの中の暗闇と流れゆく緑色の常夜灯を映し続け、唐突に空が見えると、そこで止まり、体が宙に浮いて座布団の上に再び落ちた。どうやら地上に出たらしい。

リグルが右に目を動かすとテレビの画像もそれに連れて右に流れる、左に動かすと左に流れた。なるほど、これが脳波コントロールか。

「リグル君、機体をリフトから切り離すから、歩くことだけを考えて」

みとりの指令が飛ぶ。

「非想天則!リフトオフ!」

ガン!という金属音がして、床が少しふわりと下に降りた。動けるのかもしれない。恐る恐る右足を踏み出すイメージを描くと、床は又ふわりと動き、テレビ画面の景色も流れた。

右…左…右…左…動ける!動けるよ!

乗り心地は悪くない、熟練した籠屋の籠に乗っているみたいだ、馬車よりもずっと乗り心地は良い。

「みとりさん!動けるよ!ボク、非想天則を動かせるよ!」

「油断しないでリグル君!後ろよ!」

後ろを振り向くと、非想天則は思いもよらぬほど身軽な動きで背後に向き直った。戦闘機が2機迫って来る。さて…どう料理してやろうか?

「リグル君!にげてーっ!!」

「へ?にげ?」

直後に画面は真っ赤な炎に包まれた、画面を直視できないほどの火力だ。

間欠泉地下センターのモニターには焼夷弾二発の直撃を受け、完全に炎に包まれる非想天則の姿が写っていた。機体をモニターしている技師たちの報告が次々に飛ぶ。

「戦闘室との通信断絶!パイロットの生死は不明!」

「ミサイル発射筒二本が損傷!自動的に切り離されたようです!」

「機内温度上昇!25度から35度へ!」

「機関室内の計器が全て計測不能の表示に!」

「リグル君!リグル君聞こえる!?」

焼夷弾のナパームは機体に粘着し、炎と黒煙を上げ続けている。

赤い炎の中に非想天則の姿を見付けようと、みとりはモニターに駆け寄ったが、炎と煙が見えるだけであった。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(30)運命

魔理沙は徒歩で迷いこんで来た外の世界の兵隊をずっと付け回していた。彼らを一刻も早くアリスの家に案内してそこに匿っておきたかったが、兵隊達は魔理沙の言う事に全く耳を傾けず、外の世界の法律を持ち出しては幻想郷の行動原理や(おきて)(ことわり)を全否定しようとして手を焼いた。

「だから、最初に言っておいた筈だぜ?そんな小さなフィルター、どうせ一時間かそこいらしか持たないって」

魔理沙は言わんこっちゃないと思った。

火山ガスを突破しようとした兵隊達に一応注意はしたのだが、彼らは全く信じようとしなかった。毒に関して魔理沙が素人であると思っていたらしい。

魔法使いという職業が存在しない外の世界の基準から考えれば仕方のない事なのかもしれないが、魔法使いは常識的に毒の知識を一通り持っているものなのだ。

「防護マスクの心配なら大きなお世話だ!それよりさっきからフワフワ辺りを飛び回るのをやめてくれないか?目障りだ!」

「あたしは、あんた達みたいな野蛮人じゃないんだからそんなに長く歩けないぜ、あんた達こそもっとレディーに対する労わりの心を持った方がいいと思うぜ」

「“だぜ”って言うレディーが居るかよ!」

「まあ、細かい事は気にするな、とにかく、あんた達はアリスの家まであたしに案内させている身なんだからもっと感謝してほしいぜ」

「その民家ならGPSに座標を入れたから案内は不要だと言った筈だが?」

「ああ、そうだろうね?あんた達が火山ガスの匂いや毒茸の胞子を嗅ぎ分けられるようになったら、そのGPSとやらにお任せして、あたしは晴れてあんた達を見捨てて帰れるってもんだぜ」

人間達はここに至るまで魔理沙の言う事に全く耳を貸そうとしないばかりか、天狗達の仲間ではないかと疑っていたようだった。

兵隊達は赤い煙が出る花火を放って空飛ぶ機械に合図を送ってから真っ直ぐ西に進もうとして風穴地帯に踏み込んでしまい、そこで火山ガスを防ぐために貴重な防護マスクのフィルターを消費してしまっていた。

気温が上がり、風は生温かい。

空はどんよりと曇り、薄暗い魔法の森はいつもに増してその暗さを増し、まだ3時過ぎだというのに、もう夕暮れのように暗かった。

こんな日は茸や(かび)の胞子が盛んに飛ぶ。

人間達はここまで、魔理沙の忠告を無視しては毒黴や毒茸の群生地にズカズカと踏み込み、その度に先頭の奴が泡吹いて倒れた。

一回でギブアップするだろうと思ったが、先頭を交代して何度も同じ事を繰り返すのには参った。お陰で非常用に持って来た毒消しの残りがかなり心もとない。

仕舞には「分かっていたさ!」とか言いながら渋々忠告を聞くようになってきた。どんなツンデレだよ?と、思う。

それによくここまで死人が出なかったもんだとも思う。

森の下草を?き分け、狸が通る様な細い獣道を辿ってゆくと、やがてそれは真砂(まさずな)が敷かれた白い散歩道に変わり、木々の間にアリスの家がチラチラと見えてきた。

毒さえなければハイキングコースに打って付だと思う。

魔理沙はそのままアリスの家の庭の芝生まで進み出て、兵隊達を庭に待たせて一人で話を付けに行こうと思った。

「あんた達はここでちょっと待っていてくれ、あたしがアリスに話を付けて来るから」

 

アリス マーガトロイド自宅内

外の世界の白神山地に隠されている筈の軍用自己位置標定装置、それは余りにも厳重に隠されたが為に幻想郷の方に落ちてきてしまっていた。

標定装置を隠した極東人民共和国軍情報部は、それを見付けんが為に保守の名目で何度も特派工作員を標定装置が有る筈の場所へ送り込んでいた。

しかし、彼らは標定装置を見付けられなかったばかりでなく、それに導かれて全員が幻想郷へ落ち、妖怪達と紛争を起こした末全員食われてしまっていた。

生き残った工作員はどうやら、アリス マーガトロイドの家に匿われた蜂谷守ただ一人であるらしかった。

「厄介な奴らが来たよ」

蜂谷はアリスと共にカーテンの隙間を覗き、魔理沙と彼女が連れてきた兵隊達を見ながら呟く。

「あれは天狗よりも厄介な奴なの?」

アリスの問い掛けに対し、蜂谷は眉間に深く皺を寄せ、深刻な面持ちで答える。

「ああ、外の世界の敵兵だ、奴らは俺を殺してでも連れて行こうとするだろう」

「ここはあたしに任せておいて、上手く言いくるめて追い返すわ」

「もし君が危険になったら俺は奴らと行く」

何気なく自然に蜂谷の口から出た言葉は、アリスをいたく刺激してしまったようだ。

「ちょっと!何てこと言うのよ!あなた、約束を忘れたわけじゃないでしょうね!?」

アリスは蜂谷が当たり前のように口に出した“奴らと行く”という言葉に腹を立てているようだった。

「ねえ?確かに言ったわよね?一緒に外の世界へ行って!誰も知らない場所に隠れ住もうって、絶対行こうって…約束したじゃない…」

初めは約束を守らなかった友人を問い詰めるような口調であったが、次第に不安そうな表情に顔を曇らせて、仕舞には目に涙まで溜めはじめた。

「そんな事…冗談でも言わないでちょうだい…」

蜂谷はアリスがまさかそこまで過剰に反応するとは思っていなかったから慌てて取り繕う。

「分かっているよ、分かったから、俺はゲストルームにずっと隠れているよ、連中にお茶でも出して誤魔化せばきっとすぐに帰るさ」

蜂谷はアリスの肩をポンポンと叩いてやり、流れ出た涙を人差し指の背で拭ってやった。

「ほら、泣いてちゃ怪しまれるだろ?笑ってみな?」

アリスは笑いこそしなかったが、照れ臭そうにドアの方を向いた。

多分…大丈夫だと思う。

大丈夫だとは思ったが、本能が目を動かし、使えそうなものを自然に探し始めた。

人形作りに使っていたカービングナイフが最初に目についたが、あれは刃が薄くていけない。ボディーアーマーの隙間に差し込んで捻ったら折れてしまいそうだ。

火掻き棒も有力な候補だったが、ケブラーヘルメットとボディーアーマーで効果は半減しそうだ、第一長過ぎて目に付き、不意打ちに使えないのが良くない。

(のみ)が有った、あれが良かろう。後ろ手に隠し持てるし、鎧通しのようにボディーアーマーの隙間に刺し込む事が出来る。

 

魔理沙は兵隊達を庭に残し、玄関まで歩み出ていた。

花が増えており、窓越しに見えているカーテンもきれいに洗われて間もないようだ。

どうも人形達にやらせたのでなく、アリス自身の手で行った仕事のように思える。

人形に任せると、きっと仕上げはそこそこの所で済ませてしまうからここまで上手くは出来ない。

花の世話などは最初に受けた指示を繰り返すだけだから、花の育ち具合を見て肥料や水を加減するとかの注意も無い。

いつものようにドアをノックする。

「は〜い!」と、返事は帰ってきたが、それは思いの外ドアの近くから聞こえ、しかも予想外の早いタイミングで帰ってきた。

いつもはこんな風ではない。いつも通りなら何度もドアをノックしなければアリスは気付かないのだ。

ドアが開く。

出てきたのはアリス本人であったが、その顔は赤く、魔理沙と目が合うと視線をサッと室内へ移した。

いつもと違う様子が気にはなったが、今はそれどころではない。兵隊達を一刻も早くアリスの家へ隠し、神奈子と話が付くまで匿ってもらわねばならないのだ。思い切って話を切り出してみる。

「アリス、今日は頼みが有って来たんだ」

「何かしら?貴方の方から頼みごとに来るって、珍しいじゃない?」

「詳しい話は後だぜ、とにかくあの人間達を匿ってほしいんだ、天狗と神奈子に捕まったら外の世界へ帰せなくなる」

快諾してくれると思っていたが、アリスはこの話を即断って来た。

「ダメよそんな、あんなに大勢隠すなんて無理だわ」

「そこをなんとか頼む!あたしも一緒に居てやるから!」

魔理沙はアリスの手を取ってお願いしようと思って手を伸ばしたが、アリスそれを避けるかのように自らの手をスッと引いた。

「ごめんなさい、今、本当に駄目なの」

「何か様子が変だぜ?人に言えない事情でもあるのか?」

アリスは下を向いたまま暫く何も答えなかったが、重い口を開いてこう言った。

「天狗と人間の戦争の事は知っているわ、でも、あたしは今、魔力が極端に弱くなっているからとても守れないの」

魔理沙はいやに弱気なアリスに少し苛立ちを覚えた、さんざん苦労してここまで来て、やっとお願いしているというのに、よく分からない事情で魔理沙の願いを聞き入れようとしない。それに、魔理沙の方から頼んできた頼み事を断ったのもこれが初めてだ。

「そんなの!又魔導書を使って回復させればいいぜ!頼むから・・・」

「できないのよ!」

アリスの口から唐突に出た強い拒みの言葉は魔理沙の心に深く刺さった。彼女がこんな言い方をした事が今まであっただろうか?

重苦しい沈黙を挟んでアリスは家のドアを大きく開いた。

「少しの間、二人だけで話をしたいの」

リビングの暖炉の前に有るソファを勧められ、魔理沙はそこへおずおずと腰掛けた。人形達は全てソファの上や棚の上に並んでおり、一体も動く気配は無い。

アリスは紅茶のポットを持ってきたが、注がれた紅茶は既に冷えていた。

「人形が使えないの、今はこんなものしか出せなくって御免なさい」

アリスは向かいのソファに座り話を始めた、重く俯いたままに。

「天狗達が外から来た人間を探して捕まえようとしている事は知っているわ、天狗の新聞にも出ているし、あたしの家にも鴉天狗が様子を探りに来る事が有るのよ」

「あたしの家ではかなり前から外の世界から迷い込んだ人間を匿っていて…いいえ、これはもしかしたら私の我儘(わがまま)で引き止めているだけなのかもね

「その人が外の世界から持って来た聖書を読むのよ、あたし達魔法使いは魔性の者だから、最初は勿論その文言は耳が痛くて聞いていられなかったわ」

「でもね?何日か聞いている内にだんだん平気になって行ったのよ、それと共にどんどん魔力も弱くなって行ったわ」

「あたしはね?本当は魔女になんか、なりたかったわけじゃないのよ」

「外の世界で魔性の者と認定され、追い立てられて気が付いたら幻想郷に落ちて来ていたの、本当に魔女にでもなるしか生き延びる道は無かったわ」

「もう人間に戻るなんて無理だし、外の世界へ帰るなんて絶対に無理だと思っていたから、その事も考えないようにしていたの」

「でも、今は違うわ、あの人は私の魔力に薄々感付いていながら“一緒に外の世界へ帰ろう”って言ってくれたわ、魔力が消えて人間に戻れるように毎日聖書を読んでくれたわ、外の世界で迫害に遭ったら俺が守ってやるって!…」

アリスの口調は次第に強さを増して行き、外の世界へ帰るという部分になると、その語気からは堅い決意すら感じられるようになってきた。

外の世界から稀に人間が迷い込んでくる事はある。そして、迷いこんで来た人間は可能な限り霊夢が外へ連れ帰る。

アリスと外の世界の人間を帰す事は多分可能であろう。彼女らもそれを強く願っている。

ならば、アリス達は外の世界の兵隊と共に帰れば良くは無いだろうか?結界が極端に弱くなっている今、それは今までよりも一層容易い(たやすい)事に思えた。

そう魔理沙が提案しようと思った矢先、突然ガラス窓を破って妖弾が何発も部屋に飛び込み、室内の壁に当たって激しく弾けた。

玄関の扉が蹴破られ、勝手に兵隊達がドカドカと踏み込んで来て窓の外へ向かって激しく銃を撃ち始めた。兵隊達の銃から立ち上る硝煙と銃声が部屋に充満する。

魔理沙がお返しをしてやろうと窓から八卦炉を突きだす頃には、妖弾を撃ち込んだ鴉天狗三人は既に空高く飛び立っていた。顔にはガスマスクを装着していたように見える。

天狗が飛び去った後に、数枚の白いビラが空からヒラヒラと舞い落ちてきた。

「顔だけこっちに向けろ、武器は向けるな、仲間が死ぬぞ?」

不意に背後から聞こえた男の声に、全員恐る恐る後ろに顔を向けた。

上半身に包帯を巻いた男が兵隊の一人を捕まえて締め上げているのが見えた。捕まった兵隊の首には鑿が押しあてられ、それは既にいくらか食い込んでいるのか、白刃に沿って血が滲んでいた。

「アリス!こっちに来い!」

男の唸るような声にアリスはすくんでいるように見えた。

「こっちに来ちゃ駄目じゃないの蜂谷さん…」

アリスもこんな恐ろしい蜂谷の姿を見た事が無い、想像したことすらなかった。野獣のように牙を剥き、狼のような唸り声で言葉を発する、その目はあまりの眼光の鋭さに直視するのすら辛かった。

それは、あとほんの少しでも刺激を加えれば、突発的に誰にでも襲い掛かって来そうなほど危険に見える。

捕まっている兵隊はこうしている間も締め上げられているらしく、時々関節がグキグキと鳴り、それだけでも死に至るのではないかと心配させた。

兵隊のリーダーが口を開く。

「そいつを殺してみろ、その直後にお前は蜂の巣だ、そんな事をしても逃げる事は出来ないぞ」

「そうか?こいつを見殺しにするのか?おれは何時死んだって良かったんだが、そこのお嬢さんに助けられて偶然生き延びた身だ、別に今死んだってどうって事ぁないさ」

「生き延びれば公正な裁判を受ける権利と身の安全を保障してやると言ったらどうする?」「信用できないね、ウチんとこじゃ、死刑になる前には大抵そう言われて連れて行かれるんだ、嘘も方便ってのは万国共通らしいな」

「日本は違う」

「俺はそうは聞かされていないが?とにかく、このまま俺達を逃がせばこいつは森の中で開放する、標定装置はお前らで探せ、俺は一切関わりたくない、おい!アリス!こっちに来るんだ!」

アリスが蜂谷の方へおずおずと進み出ようとした時、魔理沙の声がした。

「あのさぁ?お取り込みの所悪いんだけど、あんた達はもう逃げも隠れも出来ないぜ?」

魔理沙はいつものように一切物怖じする事無く兵隊達をかき分けてズカズカと進み、蜂谷の顔前に天狗達が残して行ったビラを突きつけた。

そこには次のように書かれている。

 

アリス マーガトロイド宅に居る者全てに告ぐ、直ちに武器を捨て投降しなければこの家を直接攻撃する。

大人しく外の世界の特殊通信機を引き渡せば外の世界へ帰す事も検討する。投降も引き渡しも断れば、間もなく完成する除染された通路から大群を差し向け、家諸共お前達を殲滅する。

上空には常時鴉天狗達を配置している、逃げようとすれば警告なしに攻撃する。

 

兵隊達にもビラを見せた。

「ここで言い争っている場合じゃないぜ?この中に外の世界へ帰りたくないって奴が一人でも居るってんなら話は別だが、どうなんだい?居るのか?ここでグズグズ言い争っている内にチャンスをフイにしたいっていう奴は?」

誰も異論を挟む者は居なかった。

「蜂谷さんと言ったね?あんた、魔力が無くなったアリスをたった一人で守れるのかい?天狗の大群から?」

蜂谷は眼だけを動かして周囲をきょろきょろ見回した、何か考えているのであろう。

「アリスはどうなんだ?外の世界へ帰りたいんだろう?この男と?」

迷いが無いのはアリスだけであるようだ、アリスは力強く頷き、こう言う。

「蜂谷さん、あたしは貴方が誰に捕まろうと何処へ連れて行かれようと付いて行くわ」

さらに兵隊達に向き直り、威嚇とも決意表明とも取れる口調でこうも言った。

「この人が罪人になろうが捕虜になろうが、何処へでも私は付いて行きます、死刑にすると言うのなら私も死にます、だから今だけは私達と協力して天狗と戦ってちょうだい」

魔理沙は答えを聞くまでも無いと言った感じで言う。

「決まりだな、あたしも当然混ぜてもらうぜ?こんな面白い勝負は今後二度とないだろうからね?一発派手にやってやろうじゃないか」

兵隊達は蜂谷に向けていた銃を下ろした。

兵隊達に疑いの目を向けながらも、蜂谷は捕まえていた兵隊を放した。床に倒れた兵隊は苦しげに息をしてから、フラフラと立ち上がった。

アリスは作業部屋から天狗の人体模型を持ち出し、説明を始める。

「外の世界の人達はここの戦いのルールを知らないわね?私が説明するからそれを守って戦ってちょうだい」

「天狗の弱点は人間とほとんど同じなんだけど、人間と決定的に違う所は、普通の物理攻撃では天狗を完全に殺す事は出来ないの」

「完全に摺り潰すか、酸で溶かすかしない限り、完全に滅ぼす事は出来ないわ」

「天狗をはじめとする妖の者達は肉体よりも魂の比重の方がずっと重いの、だから魂が滅びない限り、体を修復して何度でも復活できるわ」

「でも、魂を攻撃されると妖の者はすぐに死ぬわ、この点では人間よりずっと弱いの」

「例えば念仏や神聖な力を持つ教典の文言を唱えながら攻撃すれば、妖怪に重傷を負わせることが可能で、しかも、そのまま放置しておけば傷口が腐って死に至るわ」

「でもこの方法は幻想郷内でタブーとされ、それは外の世界で糜爛性(びらんせい)ガスや神経ガスを使って無差別攻撃する事に匹敵するほどの罪とされているの」

「だから敵を撃つ時には何も言わないで、これを破ればその内天狗達はマスタードガスや塩素ガスを持ち出してくるでしょう、秘密にされているけど、大陸に隠された毒ガス砲弾は幻想郷にも沢山落ちて来たのよ」

「天狗の方から毒ガスを先制的に使ってくる事は、まず無いと考えていいわ」

「嘘をついたり禁を破ったりして魂が汚れる事を妖の者達は極端に恐れているの、“肉体を守る為には嘘をついたり裏切ったりする事も止む無し”と考えている人間とは決定的に違うの、この点では人間の事を下等だとすら思っているわ」

「天狗と戦う場合には相手を殺す必要は無いわ、ここ、大脳とそれに続く脊髄、ここに損傷を与えれば天狗は数日間行動不能になるわ」

「まず、手でも足でもいいから手傷を負わせて動きを鈍くすれば脳と脊髄を狙えるチャンスがあるから、残弾には気を付けながら戦って」

「鴉天狗は動きが特に早くて狙い難いけど、弱点は白狼天狗よりもずっと多いの」

「鴉天狗の肩甲骨の下あたり、広い範囲に翼を動かす為の神経組織が分布していて、鴉天狗はこの神経にプログラムされた条件反射で驚異的な速さで翼を操っているわ」

「この神経組織に傷を与えれば、鴉天狗は飛べなくなるばかりでなく、手の神経とも連携してるから戦う事自体不可能になるわ」

「白狼天狗達は道を通って攻めて来るのだけれども、風で飛んでくる毒を常に気にしながら戦う事になるから一度に前線に出てこられるのは恐らく精々30人程度の筈よ」

「毒が流れてきたら即座に道を引き返して避難しなければいけないから、最前線と後続の間はかなり離れていると見ていいわ」

「魔理沙は上空の敵が近付いてこないように、兵隊さん達は家を守って、あたしはこれで戦うわ」

アリスは壁に掛けてあった古風なレバーアクションライフルを手に取る。

かなり重いのだろう、両手で吊り下げるように持たれたそのライフルの銃身はフラフラと宙を彷徨い、見るからにアリスの手には余る物のように見えた。

フラフラと揺れる銃身を蜂谷がそっと掴み、それを軽々と持ち上げてアリスの手から取り上げると、装填レバーを少し開いて排莢口から覗いた金色の弾薬を確認して再びレバーをカチンと閉じた。

「これは俺の仕事だ、これをやる為に何年も訓練したんだから、ここで恩返しをさせてくれないか?」

その後、兵隊達と細部にわたって打ち合わせをする。砲撃の支援を得られる事、上手く行けばの話だが、ヘリコプターの援護も得られ、敵が充分遠ざかればヘリからの救助もあり得る事などを聞く事が出来た。

空はどんよりと曇り、次第にその明るさと色を失いつつあった、夜が近いのだろう。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(
31)破滅

地底世界へ向かう洞窟の中
ルアーの材料として必要な蜘蛛の糸の原液を分けてもらう為に、僕、古道具屋香霖堂の店主森近霖之助と河童の河城にとり、流し雛の鍵山雛の三人は、土蜘蛛の黒谷ヤマメを待ち続けていた。

ただ待っているだけでは、いつになったらヤマメが通りかかるか分かったものではない。そこで鍵山雛は一計を案じ、楽しげなガールズトークを繰り広げてヤマメをおびき出そうと提案した。

かくしてガールズトークは開始され、僕はその話題の中心、キモイメンズ代表として吊るし上げを食らう事になってしまう。

毒舌ガールズのトークは架空のものである筈のボンテージショップ開店計画から“混み毛”と呼ばれている暗黒儀式で販売されている“ドージン”という春画に及び、とうとう僕が隠匿していた秘蔵のドージン、“東方男の娘特集・茸魔法使いの秘密”の件まで暴露されてしまった。

そこでとうとう僕は変態道具屋から大変態に昇格したばかりであるにも拘らず、鍵山雛から新たに与えられた称号で変態大王に昇格することと相成った。

「で、香霖堂さん?新作ドージンはいつ出すの?」

流石は河童、作るとか企画するとか言う話にはすぐに飛びついてくる。

しかし、僕は無実だぞ?その“東方男の娘特集・茸魔法使いの秘密”は外の世界から落ちてきた物で、断じて僕の著作ではない。

「あら、リンリン、恥ずかしがる事は無いのよ?例え作者が変態大王であったとしても、作品の芸術性が損なわれる物ではないから思い切っておやりなさい」

いやいや、この毒舌流し雛はどうあっても僕を同人執筆の主犯に仕立て上げたいらしいが、それは事実と異なる。断じて。

「香霖堂さん…この…ペンネームね?…罪袋団とかじゃ、イマイチ パッとしないのよ?こんなのはどうかしら?“変態貴公子コーリン・ド・クリスティーヌV世”とかどうかしら?」

「あら!にとり!良い事言うじゃない!で、作者近影は純白のドレスを着たリンリンの写真を載せるのはどうかしら?」

「おおっ!そりゃ話題になるよ!作品の芸術性と作者の変態性のギャップ!これだけでも衆目を集める要素充分だね!」

「ああ…素晴らしいわ…リンリンが変態大王であるお陰で私達にはバラ色の未来が待っているのよ…」

いい加減にしてほしいと思ったが、これも黒谷ヤマメが来るまでの辛抱だ。

どうせ、「お尻から出る糸の原液をくれ」と言った時点で変態扱いされる事は目に見えているから、河童と流し雛の毒舌トークでウォーミングアップしておくのも悪くないかと思えた。
交渉は川の漁業補償を盾に、にとりがやってくれるだろうから、僕の変態扱いももう少しの辛抱だ。

ここで突然女の声が聞こえてきた。

とうとう!遂に!黒谷ヤマメが来たのか!?

「そこまでよ大変態!いいえ、あなたこそ外の世界から変態達を引き連れて幻想郷を侵略しようとしている変態大王ね!博麗神社を爆破し、霊夢を抱き枕にした所業、万死に値するわ!」

・・・一同目が点に。

僕はいつの間に春画密造に始まり、博麗神社爆破、そして霊夢本人を抱き枕にするという前衛的かつ極度に独創的な罪を犯していたのだろうか?

さっさと本題に入りたいからサッサと用件を言ってしまおうかと思った時に、鍵山雛が要らぬ事を言う。

「ちょ…ちょ…お空!まさかあなたが来るなんて!…私はそんな事知らないのよ?洞窟の外の事はこっちの二人に聞いてちょうだい!?」

止めときゃいいのに河童が火に油を注ぐような事を言う。

「そ!そ!そ!そうよ!変態はこっち!古道具屋香霖堂店主よ!」

「ちょ!雛さん!にとりさんまで!僕は無実だって言ってるじゃないですか!?」

どうやら声の主は黒谷ヤマメなんかではなく、もっと怖い他の妖怪であるらしかった。ここでお空とかいうあの妖怪の機嫌を損ねたら厄介な事になる、どうにかしなければ…

お空はどうやら僕の事を誤解してしまったらしい、ガールズトークを聞かれたのだろうか?

「ふふ〜ん、古道具屋店主とはいい隠れ蓑を見付けたわね?しかし私達には全てお見通しよ!」

次にお空以外の女の声がする。

次の声は、ちょっと子供っぽい可愛らしい声だったが、それに似合わぬ毒舌ぶりで僕にトドメを刺しに来る。

「ああ!洞窟中に張り巡らされた蜘蛛の糸を伝って来た声を聞いて全てはバレているのよ!変態道具屋香霖堂店主リンリン!いえ、こう呼ぶべきかしら?変態大王道具商コーリン・ド・クリスティーヌV世・リンリン大居士!!」

ちょwまてw僕はいつの間にそんなに多彩なタイトル保持者になったのだ!?

新しく現れた方の妖怪が土蜘蛛のヤマメであろう、糸を伝ってくる音声を聞ける特殊能力と、蜘蛛を思わせる装束からそう推測できた。

ヤマメはなんとか話せば分かってもらえそうだったが、お空の様子がちょっと気になる、登場の時点からかなりテンション高く、にとりと雛もなんだか少し怖がっている。そのお空が口を開いた。

「とにかく、特殊な趣味の春画を幻想郷中にばらまいて、幻想郷を変態趣味で侵食しようとする悪魔の計画!このれ…霊?…烏…う?……このお空が許すわけにはいかないんだよ!」

待て、ナゼ、名乗る時点で引っ掛かる?

とにかく、この“お空”と名乗る妖怪の誤解を解かねばなるまい、アワアワと口籠る僕よりも先に、にとりが話を始めてくれた。

「ち!違うのよお空!この“香霖堂さんが”ヤマメのお尻から出る糸の原液を欲しがっているから連れて来たのよ!ここに!」

ま・・・まて!何故助けようとしないw

「そうよ!リンリンは変態大王だけど、合法的な範囲で営業すると約束するわ!液は何に使うか詳しくは知らないんだけど、とにかく、液を貰いたい一心で艱難辛苦に打ち耐えてここまで来たの!他意は無いわ!」

いや・・・だから、助けろっつーの!この毒舌ガールズ!

それを聞いてお空は右手に装着されている重火器を前方に振り出し、啖呵を切る。

無理もないと思う。

「語るに落ちたわね変態大王!清純な乙女二人をたぶらかせて、そんな変態的要求を突きつけて来るなんて!筆舌に尽くしがたい変態振りね!!」

「いや!違うんですよお空さん!僕は!」

「黙らっしゃい変態大王!これを見て尚、言い訳が出来るかしら!?」

お空は重火器のハンドルを左手で握った。

それを後ろに一杯に引き、再び重々しい音を立てて前に戻すと、重火器は唸りと警告メッセージを放ち始めた。

CAUTION!!CAUTION!!ノーマルモードスタート、コンデンサー充電開始、作業者は直ちに安全離隔距離をとり、砲から速やかに離れてください、CAUTION!!CAUTION!!ノーマルモードスタート、コンデンサー充電開始…」

これはかなりまずい状況だ、“これを見て尚”と言っているところから見て、一発目から僕らを直接狙いはしないだろうが、その大仰な警告メッセージから察するに、それは狙いを付けてピンポイントを攻撃できる物とも限らない、攻撃効果が広範囲に及ぶ可能性が有る事を暗示しているように思えてならない。

砲身は唐突に桃色の閃光に包まれた、それは砲身の左右両側に沢山開いている四角い穴から噴射されているように見えた、桃色の光は花火の中に入れる材料のマグネシウムか何かが上げる炎みたいに激しく瞬き、砲口から放たれたエネルギーか砲弾かは定かでなかったが、とにかくそれは僕達の頭上を雷鳴のような音を立てて通過し、背後の岩盤を打ち砕いた。

パラパラと岩の破片が降り終わると、恐る恐る背後を振り返ってみる。

岩には大穴が開いている。

その奥は砲弾の持つエネルギーで溶かされたのだろう、火山の噴火口のようにオレンジ色の光を明滅させていた。

「どうだい?変態大王、これを見てまだ何か言おうって気になるかい?」

僕はもう、この際、適当に話を合わせて許してもらおうと思った。

こんな攻撃を何回もやられたら、多分洞窟が崩れて、それだけで僕達はお陀仏になってしまうに違いない。

「わっ!わかった!お空さん!分かったから落ち着いて!」

「ふうん、降参するのね変態大王?じゃ、まず、霊夢を枕カバーの中から解放してもらうわ、貴方の万年床へ案内しなさい」

いやいや、ちょっと待て、鴉よ、そんな事した覚えも無いし、僕は布団を敷きっ放しにしてもいない、ここはどう言って誤魔化すべきであろうか?

ここで流し雛が火に油を注ぎ、炎上させる。どうしてこいつらは話を纏めようとしないのか?ほとほと困り果てるが、もうあとの祭りだった。

「リンリンは蔵の中にベッドを隠しているわ!その下には古今東西の変態グッズが多数隠匿されているから、霊夢はきっとその中だと思うの!」

お空はそれを聞いてニヤリと微笑み、こちらに砲身を向けて要求を突きつけて来た。

「さあ、これで変態大王の企みも潰えたわね、行きましょうか霊夢の居る所に」

話がややこしくなってしまった、これで蔵の中に霊夢が居なかったらいよいよまずい事になる。

「ちょっと!雛さん!そのベッドは今は使ってないし!ドージン以外の物は隠していないし!そもそも霊夢を抱き枕にするとか知らないし!」

この展開をお空は待っていたのであろうか?してやったりという表情で調子付いた。

「またもや馬脚を現したわね変態大王!あなた、どこまで往生際が悪いの?こうなったら仕方無いわね!ハードモード飛び越してルナティック行くよー!」

お空は左手のハンドルを一杯に捻り、スロットルをハードモードを飛び越してルナティック表示に合わせた。再び警告音が鳴り響き、今度は照準器らしき部分から黄色い警告文が前面の空間に投影された。

CAUTION!!CAUTION!!ルナティックモード起動、爆発の危険があるので直ちに安全プラグを挿入し、全ての電源を遮断してください、CAUTION!!CAUTION!!コンデンサーの充電容量を超える恐れがあります、直ちに作業員は屋外に避難してください、CAUTION!!CAUTION!!コンデンサー破裂30秒前、緊急時には砲発射にてエネルギーを放出すれば爆発しない可能性が有ります、CAUTION!!CAUTION!!コンデンサー破裂まで25秒、CAUTION!!CAUTION!!避難できる作業員は直ちに避難してください、CAUTION!!CAUTION!!コンデンサー破裂15秒前、カウントダウン、10、9、8、7・・・」

こんな武器が有るだろうか!?

爆発するからすぐに逃げろって!?これはとても完成した武器とは思えない!きっと研究用の発射実験装置か何かを何かの間違えで持ってきてしまったに違いない!

お空は慌てふためいた表情で砲身を上の方に向け直す、さっきの警告では発射すれば爆発しない可能性もあると言っていた、お空はそれに賭けるつもりであるらしい。

「へ…変態大王!これを見!」

お空の右腕は根元からまばゆい光を放ち、右腕に装着していた装具の角という角からも桃色のプラズマ光が発生した。

あたかも雷がお空の右腕に直撃したかのような、音と云うよりはむしろ衝撃が走り、砲は砲身炸裂した。


悲しき発射実験治具は理論上の限界に挑戦せんが為に、己の限界をはるかに超える出力を出せるように作られていた。

伝導性のある金属砲弾を電磁誘導の力を用いて発射するが故に、その砲身自体が伝導性を持つレールガンは、構造上一定の出力を超えると砲身自体がプラズマ化して崩壊する運命にある。

その限界がどこにあるのかは開発者にもきっと分からなかったのであろう、悲しき実験治具はその限界を今初めて超え、お空の右腕に有る制御の足諸共四分五裂してこの世から消え去った。

お空の左足がオレンジ色に光る、左側の分解の足は、右腕に装着されていた制御の足によって掛けられたブレーキを失い暴走を始めた。

核分裂反応がもうすぐ始まり、お空はきっともうすぐ燃えて無くなってしまうに違いない。ここに居る全ての者を巻き添えにして。

「熱いっ!熱いよ!左足が熱いよ!誰か!誰か助けてー!!」

お空の悲鳴を聞き、何とかできないかと前に進み出ようとしたが、にとりが止めた。

「香霖堂さん!岩の後ろに隠れて!炉心融解が始まったら放射線が出るよ!」

「何!?放射線って何!?」

「詳しい話は後!放射線を浴びたらもう、体を作り直せなくなるんだ!妖怪にもそれが出来なくなるのよ!」

僕達は慌てて岩の間に隠れた。

「ヤマメ!なにやってんの!貴方も来なくちゃ!」

訳が分からないといった表情でヤマメはキョトンとしていたが、にとりに強引に大岩の後ろに引っ張って来られた。ヤマメはどうして助けてやらないのかと云わんばかりに僕達に噛みついてきた。

「ちょっと!何で助けてやらないのよ!苦しんでるじゃない!」

「待ってヤマメ!お空の左足には核分裂を起こす為の分解の足が付いているわ!あれが暴走したら放射線が出てもう手遅れなのよ!」

「手遅れってどういう事よ!?だいたい、放射線がどうしたっていうのよ!?」

「放射線は体の設計図になっている遺伝子を全て壊してしまうわ!浴びたら死ぬのを待つしかないのよ!」

「何よ河童!じゃ、お空も助からないし、あたし達はここから出られないし、どうしたらいいのよ!」

「それは…どうしたらいいか…」

「ねえ、にとり?河童はお空が行ってた間欠泉地下センターにもいっぱい居たでしょ?技研にも居たでしょ?あの人たちに頼んでお空を助けてもらってよ!」

「それが出来ないのよ!ここから出たらあたし達もじきに放射線で滅びてしまうわ!」

「どうすればいいのよ!ねえ!?お願い!原液でもなんでも上げるから、お空を助けてよ!助けてくれたら何でもするから!」

周囲の温度が急激に上がり始めた。

お空の叫び声も聞こえてくる。

「服が!服が燃えるよ!何とかして!ヤマメ!頼むから誰か呼んできて!技研の!アーッ!」

蛍火が弱くなる。

蛍が洞窟の奥に逃げ始めたのだ、逃げ遅れた蛍が羽を広げたまま僕達の上にも次から次へとヒラヒラ落ちて来る。

次第に明かりを失う洞窟の中にお空の足が放っているであろうオレンジ色の光だけが影を作っていた。

お空は水の中に入ったのであろう、川の水が沸騰する音が聞こえる。

その泡音は余りにも強すぎて、罪人を煮殺す為の地獄の釜のように周囲の空気を震わせた。

湯気を通して向こう側の岩盤にお空のものらしき影が写っている。

左足を砕いて切り離そうとしているのだろうか?

その影は大きな岩を振り上げては何度も下に叩きつけていたが、その動きも少しずつ鈍く、緩慢になって来た。

その様子をじっと見ていた鍵山雛がスッと立ち上がる。

「私に任せてちょうだい、その放射線とやらを全て吸い取ってみせるわ」

にとりは目を丸くして雛の意見を却下しようとした。

「待ってよ!そんな事したら、あなたが!」

「私は厄を吸い取る為に居る流し雛、これは私にしか出来ない事なの、だから私に任せてちょうだい」

「だって!あなた!依り代にする人形を持ってないじゃない!核分裂を全部吸収できる人形なんて!」

ここでにとりは何かに気付いたようだ。

「そんな…あなた…まさか自分を…?」

鍵山雛は無言で僕の前に進み出ると、僕が腰に刺してきた剣を引き抜いた。

剣は、堅く差し込まれていた筈だが、雛が手を掛けると何の抵抗も無くスルリと鞘から抜け出る。淡い黄金色の刀身はお空の放つオレンジ色の光を反射してギラリと光った。

雛はその刀身を確認すると、砂地に両膝を付き、両手で剣を頭上に高々と掲げて剣に対して深く一礼をした。本当にこの剣の正体を知っているかのように。

「リンリン…いえ、霖之助さん、この剣を借ります」

岩の陰から出ようとする雛の手を掴み、にとりが引き止めた。

「だめだよそんな事したら!あたし達が助かっても雛だけが死んじゃうじゃない!」

雛はその手を力強く振りほどき、振り向きもせずお空の方へ向かう。

「邪魔しないでちょうだい、これはあたしの仕事なの」

最後を覚悟したのだろうか、雛は次のように僕達に告げて岩陰から出て行ってしまった。

「にとり、それに霖之助さん、あたしはあなた達に会えて本当に良かったわ、転生する事のない妖怪だからあの世ではもう会えないけれど、もし私の魂がどこかに残るとしたら、いつまでもあなた達の心が安らかであるように祈り続けているわ」

お空の影が写っていた岩盤に雛の影が進み出て来た。

その影は何も言わずに迷いなく自分の腹を剣で突き刺した。

剣が体を貫通すると、ガラスが割れるような乾いた音が洞窟内に響き渡る。

「香霖堂さん放して!雛が!雛が死んじゃうよーっ!」

「待って!今出たらにとりさんまで!」

この声が届いたのだろうか?雛がこちらに叫び返してきた。

「来てはダメ!…お願い!…来てはダメよ!…お願いだから…見ないで…」

水が沸騰する激しい泡音の向こうに石膏のかけらでも水に投げ込むようなドボンドボンという水音が聞こえる。

それに連れて雛の陰も小さくなっていった。

にとりはまだ諦めきれないようだった。

「なんで助からないの?なんで雛だけが助からないの?雛はね?異世界から流れて来た悲しい思い出や誰も救う事が出来ない人達の願いを浄化して天に還していただけなんだよ?それが何で?なんでよりにもよってあの子だけが最後までひどい目に会って滅びて行かなきゃならないの?あの子はさぁ、深い山の中でずーっと一人ぼっちだったんだよ?厄が移るって嫌がられて誰も来ない所にずーっと一人で居たんだよ?それでも人の為に辛さや悲しさを引き受けて一人で浄化してたんだよ?誰も雛を助けようとしなかったのに…」

最後には砂を撒くようなザーッという音がして洞窟が真っ暗になった。

沸騰する音も水音も聞こえなくなった。

誰の声もしない。

あまりの静寂と暗黒に、僕は自身が死んだのではないかと錯覚したほどだ。

失敗したのだろうか?いや、核分裂とやらは止まったようだ。

僕達だけはどうやら助かったらしい。

暗闇の中、にとりのすすり泣きだけが聞こえてくる。

全て終わってしまったのだ。

下から緑色の小さな光が浮かび上がって来た。

蛍?死んだはずの?

それは洞窟の奥から帰ってきたものではなく、明らかに先ほど蛍の死体がヒラヒラと落ちて行ったあたりから次々と洞内に飛び立つ。

それは、あたかも鍵山雛の魂が蛍火に送られて天に昇って行く姿のように見えた。

洞窟の明るさが元に戻る。

僕達は恐る恐る岩陰から出てみた。

白い景色が見える。

ここで、またもや僕が死んだからこのような死者の世界が見えたのだと勘違いした。

周囲の岩といい、砂といい、生きている者と流れる水以外の全てが白い結晶のようになっていた。砂を手にしてみると、それは水晶の粒のような透明感が有った。

しかし、ここが死者の世界でない証拠に、白砂の上には倒れているお空の姿を見付ける事が出来た。

剣は真っ赤に錆びて砂の上に突き刺さっている。

それを掴んで引き抜こうとしたら、握りの部分の赤錆がガサガサと音を立てて落ちた。無理に抜こうとすればそれは途中で折れてしまいそうに中まで腐食は進んでいるようだった。完全にただの鉄屑になってしまったに違いない。

「お空?お空?お空―っ!」

ヤマメがお空に駆け寄ってその体を抱き起こしてみた。

服に燃えた痕は無いし、制御の足と分裂の足も、完全な形に回復しており、作られたばかりの新品のように艶やかな光を放っていた。

「あ〜…ヤマメ?あたし達死んだの?」

お空も僕と同じ感想を抱いたようだ。

「何言ってるんだいお空、助かったんだよ!鍵山雛が浄化して助けてくれたんだよ!」

お空はフラフラと立ち上がったが、健康上の異常は何もないようだった。

僕達は暫く、茫然と砂に突き刺さった剣を見下ろしていた。

「帰ろう、お空、間欠泉地下センターに戻らなきゃね」

僕達はヤマメの言葉でようやく金縛りが解けたようにその場を立ち去る事が出来た。

ヤマメは僕から甕を受け取って、原液を入れて送り返すと言ってくれた。

「約束だから」と言ってそうしてくれた。

多分、お空を雛が助けたからだろう。

何だかそれどころではない気がしたが、僕はとりあえず甕を渡してその場を立ち去る。

赤く錆びた、かつては天の叢雲の剣であったその、鍵山雛の墓標に一礼してから僕達はその場を後にした。

立ち去り難い様子のにとりの手を引いて。


目次に戻る


東方ルアー開発秘話(32)再開

 

燃え盛るナパームの炎に包まれ、非想天則の戦闘室温度は上昇を続け、それでもリグルナイトバグは茫然と外部を映し出すテレビモニターを眺める事以外何もできなかった。

「自分はここで死ぬ」という不吉な言葉だけがグルグルと頭の中を回り続けるだけで、事態は刻一刻と破局へ向かって滑り落ちて行った。

リグルは思う、我が身の不運を。

 

大体、なんで僕がこれに乗っているんだよ?

アレか?そうだ!これはどっかで見た事が有る!

確か…博麗神社の例大祭で河童が上映した映画…エヴァンなんとかの真似だ!

ああ…ならなんで本当に男の子を乗せないんだよ?ちゃんと再現しないからこの有様じゃん!僕のせいじゃないよ?

くそっ!それもこれも、男性キャラを描かない ピ z●● ピ のせいだ!

考えてもみなよ?僕以外に誰か?居る?

雲山?香霖さん?どっちも全くイメージに合わないじゃん!

大体、この“僕”っていう一人称も最初は嫌々始めたんだ!

なんか?妙にコアなファンが沢山付きはじめたから?

彼女達にアピールする為にこの線でやってみようと思ったら、なに?タカラヅカって?

外の世界に有るジャンルらしいんだけど、よく分かんないし!

しかもだんだん等身が増えて来て?なに?八頭身?しかもルーミアとかと変なカップリングをされて、“それ以外は不許可!”とか理不尽に切れられるし!

もう、“あれ、リグルなの?どうなの?”って話ですよ!

ああ…僕はもっと人の心に安らぎを与えるキャラになりたかったよ…

変な性癖とかも持っていない、おしとやかで誰にでも好かれるような…

あー!でもダメか! ピ z●● ピ の奴、そんなまともなキャラ、ぜんっぜん出して来ないじゃん!

なんか?いつも?ダークな運命を背負っている?みたいな?

僕はね?ああ、もう“僕”って言う必要も無いのか?

(頬を染めつつ)あたしはね?もっとほのぼのした日常が好きなのよ、決戦兵器とかの無い。

そう…阿久!稗田阿求(ひえだのあきゅう)いいよね!

一日の始まりは温かいお豆腐の味噌汁から?みたいな?家庭的正統派!

ああ…死ぬ前に食べたかったなあ…“豆腐”の入ったお味噌汁…

 

ふっと、画面に青い表示が現れた。

なに!?まだ壊れてなかったの?この機械!?

表示は“凍符八坂ブリザード発動”と出ている!

しまった!やっちゃったの!?

 

間欠泉地下センター中央指令室

八坂神奈子と洩矢諏訪子は地下センター中央指令室のモニターで敵の焼夷弾の直撃を受けて炎上する非想天則を見ていた。

神奈子はもうだめかと諦めの表情を顔に浮かべ、河童達も力なく作業の手を止めていた。誰もが終わったと思っていたのだ。

しかし、諏訪子だけは違った。

ニヤケ笑いさえ口元に浮かべ、してやったりという表情だ。

「諏訪子よ?なにがおかしいんだい?」

神奈子には諏訪子の余裕の意味するところが分からなかった。

「勝ったよ…この勝負!」

諏訪子のその言葉に、神奈子は少し諏訪子にも無理をさせすぎたかと心配した。

「そう…でもないんじゃないかい?燃えちまってるように見えるけどねぇ?」

「外の世界の資料によれば、決戦兵器っていう物は限界まで追い込まれると秘めたる力を出す物なんだ!」

「なんだい?その秘めたる力って?」

「コアだよ!非想天則のコアが目覚めて自立起動を始めるんだ!まあ、見ててよ!」

 

非想天則戦闘室内

リグルは46型ブラウン管テレビモニターに映し出される“凍符八坂ブリザード発動”の表示眺めるだけで、やはり何もできずにいた。

新たに画面上には非想天則のシルエットらしき青い表示が現れる。鬼の伊吹萃香をモデルにしたようなデザインだと思った。そのスカート部分が上に開き、左下に囲いで“15禁”という表示も現れた。

そのスカートの裏から、白い矢印で何かが噴き出されているような表示が点滅する。

何だかよく分からないが、どうやら非想天則の現在の状態を示しているように思える。

外の映像は、赤い炎から一転して真っ白になった。霜が付いたのだろう、びっしりと外部モニターカメラのレンズにこびり付いた氷の結晶が見えた。

ここで背後の(ふすま)がガタガタと揺れ始める。

中から声もする、鬼の…萃香?のような声だが、果たしてそうだろうか?

ガタガタガタガタ・・・

「ちょ!おま!何やってんだよさっきから!」

ガタガタガタガタ・・・

「ちょ!おま!これ!手が出ないぞこれ―!」

ガタガタガタガタ・・・

「もー!さっきからやられてばっかりじゃないか!もー!」

ガタガタガタガタ・・・

「なんか15禁とか!おま!まさか!なんか恥ずかしい事させてるんじゃないだろうなー!」

ガタガタガタガタ・・・

「おま!ちょ!見てないで空けろ!(ふすま)―!」

ガタガタガタガタ・・・

助けが来たのかもしれない!

リグルは思い切って襖の戸を引いてみる。

「萃香?萃香なのー!?」

襖は開かれた。

リグルは何か、見てはいけない物を見てしまった気がした。

「萃香?…さん?なに?その赤いビー玉みたいな服?」

「服じゃない!コアだ!」

襖の中に仕舞われていた萃香は赤いビー玉みたいな物を頭からスッポリと被っており、それから頭と足だけを出していた。手を出す為の穴は見当たらない。

「見てないでこれ!取れー!」

リグルは恐る恐る萃香の言うコアとかいうビー玉を外してやった。

「代われ!お前コアやれ!」

そう言うと、萃香はリグルにビー玉を被せて自分は卓袱台(ちゃぶだい)と座布団のパイロットシートに座ってしまった

外の映像にはもう炎は写っていない。代わりに霜が降りたように一面が白くなっていた。

「武器は!?何か武器付いてないのかこれ!?」

モニター画面が2画面状態に切り替わり、片方に間欠泉地下センター中央指令室に居る河城みとりの姿が写し出された。

「リグル君大丈夫!?・・あれ?リグル君は?」

「あいつ!やられてばっかだからビー玉被せて後ろに置いた!」

「そ…そう…ま、良いわ…(コアって何か意味あったのかしら?)」

「ハァ?呟いてないで、武器出せ早くー!敵来るぞー!」

「萃香、スカートの中を探ってみて、中にKIB多目的榴弾の装填入力スイッチが入っているからそれを取り出して!」

「え?スカートって?自分の?」

「そうよ、萃香の」

萃香が半信半疑で自分のスカートの中に手を入れてみると、確かに腰のあたりに布袋が有った。取り出してみると、そこにはKIB多目的榴弾装填入力スイッチと、確かに書かれていた。

「それを急いで食べて!一粒!」

「なんで!?」

「非想天則は脳波コントロールで動くから、あなたが腰に着けているキビ団子を食べる事によって非想天則も同じ動作をとり、防弾スカートの裏にある砲弾を発射口に装填するの!早く!」

「もー!屁して臭くなったらどーすんだこれー!」

萃香は言われるままにキビ団子を一粒口に入れた。

「次にお酒を飲んで!瓢箪(ひょうたん)の!」

「今か!?」

「急いで!」

「もー!やけ酒だー!」

言われるがままに酒を飲むと、画面の状態表示が“砲弾装填・液体装薬充填・発射準備完了”に変わっていた。

「敵が来るわ、高度2千、距離3万から接近中、左を見て」

萃香が左を向くイメージを浮かべるとモニターの映像も左に流れ、夕暮れ間近の暗い空に目標自体はよく見えなかったが、赤い小さな囲みが二つ画面に表示され、それはこちらへ迫っているようだった。

距離2万、1万5千、1万…かなりのスピードで迫って来る。

「目標を見て、近接信管が効く距離になったら、表示が囲みから赤の塗潰しに変わるわ、そうしたらすぐに卓袱台の下にあるアヒルを握って!」

「何!?コレ!?コレなんだよー!」

「いいからやって!」

表示はみとりが言った通りに赤い塗潰しに変わり、“Lock on”の表示が近い方と思える赤四角に付いた。

「今よ!萃香!」

「ヤケクソだゴルァー!」

萃香は卓袱台の下に有った、よく温泉とかに浮いていがちなゴムのアヒルの玩具を思いっきり握った。

アヒルは「ぴちゅう〜」と間抜けな音をたてたが、機体に衝撃が走り、目標の直近で何かが爆発する煙が上がった。

目標は地面へ向かって落ち始めた。パイロットが落下傘で脱出する姿も見える。もう一機は回避行動をとり、遠ざかって行こうとしていた。

「遠くの敵は八坂ミサイルで撃墜できるわ!押し入れの中に有ったゴルフバッグを背負って!急いで!」

 

黄昏時、博麗神社境内

八雲紫(やくもゆかり)は外の世界の軍隊が公せず密かに実行していた軍事作戦、大蛇(おろち)作戦(さくせん)のスクープ記事を急いでデッチ上げ、外の世界の出版社にばらまいてから防衛省に苦労して潜入した。 

そして、そこで得たGPS衛星のデータを持って幻想郷に戻って来ていた。

幸い、非想天則が暴れてくれているおかげで人間達は手詰まりになり、空中機動部隊を乗せたヘリを出せずにいた。

魔法の森に有るアリスの家で天狗が誰かと小競り合いをしていたが、天狗からは何の情報も得られなかったばかりか、“家に向かえば敵と見做す”と言われたので家の中を見には行かなかった、今はそれどころではない。

霊夢の発する弾幕も見えなかったし、ここで無駄な時間を過ごしている暇も無い。

紫は霊夢を探し続けた。博麗神社から捜索を始めて思い当たる場所すべてに行ってみたが、見付けられずにとうとうまた博麗神社に戻って来てしまった。

すっかり日は暮れ、紫の頬を一粒の雨が濡らす。

紫は日傘を広げ、博麗神社に霊夢の姿を探す。

博麗神社は見る影もなく瓦礫の山となって夕闇に沈んでいた。一目でここが戦場になった事が分かるほどに、それはひどい有様だった。

闇の中に思い出も沈んで行く。紫が他の意見を押し退けてまで、強く推挙した霊夢が博麗の巫女になって以来見守り続けてきた神社は今、主を失い闇の中に力尽きて横たわる。

聞けば、霊夢は最後に太陽の畑で目撃された時には哀れなほど落ち込み、肩を落としながら立ち去ったというではないか。

紫は万一の事を想定する程霊夢を心配した。

次第に激しくなり始めた雨に煙る博麗神社の鳥居の下に人影が見える、紫は息を殺して近付いてみた。

霊夢だ。

そのまま少し様子を見る。

耳を澄ますと、雨音に掠れた霊夢の声が聞こえてきた。

「連れて行きなさいよ!ここ以外の世界だったらどこでもいいわ!あたしを誰も知らないどこか遠くへ連れて行って!」

泣いているのだろうか?寒さの為だろうか?その声は震え、雨に濡れるままに鳥居を見上げるその姿は、枯れ木のように細く霞んで見えた。

「ここの連中は皆無責任だわ!博麗大結界を弱くて小さな女の子に押しつけて!自分達は好き放題暴れているだけじゃない!」

「もう、この世界に博麗の巫女を必要とする者なんて誰もいないの!」

「もうここに居たくないわ!連れて行きなさい!外の世界でも地獄でも思いのままに!」

霊夢はじっと鳥居を見上げ続けていたが、やがて砂袋でも投げ落すような音を立てて参道に崩れ落ちた。

「無視するわけ?…あなたも他の連中と同じね…いいわよ、あなたが連れて行かないって言うんなら…自分の力で行くわ…」

霊夢は鳥居に手をつきながらヨロヨロと立ち上がり、そこに刺さっていた砲弾の破片を引き抜いた。

ガラスのように黒光りするそれを握ると掌から血が滲みだし、雨と混ざって滴り落ちた。

さすがにこれはマズイと思い、紫は霊夢のもとへ慌てて駆けつけた。

「霊夢!!」

霊夢は肩を落としたまま何も言わなかった。

「霊夢!!」

ここでやっと紫に反身を向ける。

「紫?今頃何しに来たのよ?幻想郷はご覧の通り、結界を失ってしまったわ、あなたの指名した博麗の巫女も何の役にも立たなかったわよ」

「何を言い出すんだ霊夢!お前は結界を守る博麗の巫女!まだ役目は終わっていないぞ!」

「何を今更、あたしがその博麗の巫女とやらをやっている間、あなたはどこへ行っていたの?もう終わりだわ、結界は無くなったし、もう誰も博麗の巫女なんか必要としないわ」

霊夢は握っていた鉄の破片を振り上げた。

紫は傘を放り出し、その手首を握り止めた。

「放してよ!みんな勝手だわ!結界を人間の女の子一人に押しつけておいて!自分達は好きなように暴れているだけじゃない!あたしの働きなんか、何の意味も無かったわ!人間の兵器にも!耳を貸そうとしない妖怪達にも!何の力も持たなかったわ!あたしなんか何の役にも立たないし、誰にも必要とされていないのよ!」

紫は霊夢の手首を力いっぱい握って破片を取り落とさせた後、胸倉を掴んで手を高く振り上げた。

身を強張らせて顔をそむける霊夢の顔を見てハッと気付く。今必要なのはこれではない。

紫は霊夢の冷えた体を抱きしめ、その体温が移るまで少しそのままでいた。

「いいさ、この世界中の全員がお前を必要としなくなっても、私にはお前が必要だ、だから今は、あたしの為にここに残ってくれない?」

紫はずっと秘密にしておくはずだった博麗の巫女選抜の話をしてやる事にした。

「いいかい霊夢?みんな勘違いしてるけど、博麗の巫女には強い奴は選ばれないんだ」

「なんで?強くなければ妖怪に勝てないじゃない?」

「まあ、聞きなよ、どんな強い奴でも全ての敵と永久に戦い続ける事は出来やしないさ」

「でも、弱かったら負けてしまうわ」

「そうだね、全く勝てなかったらそりゃ、駄目さ、負けない程度の実力を持ち、それ以上は望まない、あたしはそういう者を選んで博麗の巫女に推してきた、今までずっとだ」

「あたしより強い候補はいっぱい居たって事?」

「ああ、他の候補は全員霊夢より強かった」

「じゃ!何故よりにもよってあたしを選んだのよ!?」

「そこだよ、他の候補は全員博麗の巫女になる為の特訓を何年も続けていたような娘だった、強くなって他の候補の上に立つ事しか考えず、下の方、足元に目が行かない者ばかりだったんだ」

「どういう事よ?」

「あんた、博麗の巫女になる詮議を受けに行く道すがらで妖怪に邪魔をされなかったかい?」

「なんで知っているの!?あいつのお陰で刻限に少し遅れたわ、あの時はもう終わったかと思ったわよ!」

「退治したから遅れたのかい?」

「いいえ、なんか寂しげな人形の妖怪が“遊んでくれなきゃ通さない”ってしつこく纏わりついてきたから相手してやったわよ」

「だからあんたを選んだんだよ、他の撰者は全員反対したけど、あたしが押し切った」

「まだ分からないわ、弱っちい妖怪一匹倒せなかったうえに、刻限に遅れた娘を何故強く推すのか?」

「他の候補者はあの妖怪…まあ、正体はあたしが作った式神だったんだけど、他の連中はそれを一撃で撃ち殺して振り向きもせず先へ行ってしまった」

「紫の仕込みだったの!?」

「そうさ、“敵を倒して勝つ”それに捕らわれて一番大事な物を失った者達に博麗大結界を任せるわけにはいかなかったんだ」

「一番大切な物って何?」

「一言で言い表す言葉は無いさ、地上には存在しないのかもね?幻想郷の神よりももっと上位の神ならそれを知っているのかもしれないけど、どこかには有るものさ」

「私にはそれが有るの?」

「それは分からないよ、でも失ってはいないと保証は出来る、あんたはソコソコに弱いし、ソコソコにドジで、貧乏でその上脳天気だよ」

「なによそれ?何一つ良い事無いみたいじゃないのよ」

「でも、だからあんたは負けた者達に優しくできる、困っていれば周りに居る者達が助けようとあんたに手を差し伸べてくる、敵対していた相手と友達になれる、それは勝利よりも何倍も強い力を霊夢、あんたに与えているんだよ」

「信じられないわ?本当に?」

「ああ、この幻想郷はその存在そのものが幻、神と妖怪、人間が一緒に住み、優劣の決着を付けなくとも生きていけるという幻想によって成り立っている。それを守っているのが博麗大結界さ、博麗の巫女が力の信奉者になってしまったらこの結界の存在自体が無意味な物になる、聖典や物理兵器の力で(あやかし)れ、見切人間増長ないろう世界

「紫はまた結界を張り直せると思う?」

「ああ、出来るさ、また一つずつ心を拾い集めて行くんだ、そうすれば必ず結界を張り直す事が出来る、やってくれるね?」

「ええ…でも…」

「でも…なんだい?」

「放してくれなきゃ、そろそろ暑くなってきたわ」

紫は夢中になるあまり、ずっと霊夢を抱きしめたまま話し続けていたようだった。

紫は慌てた様子で顔を赤らめ、少しばつが悪そうに向こうを向き、霊夢に結界を張り直す為の秘策を伝えた。

「行ってくるわ!」

「ああ、全ては出来ると信じる事から始まる、しっかりやるんだよ!」

空から絶え間なく降り注ぐ雨は、もう霊夢の心に沁み込んで行く事は無くなった。

霊夢は紫から伝えられた秘策を胸に空へ向かう。

 

まず天界へ赴き、有頂天の比那名居天子に会い、非想の剣の持つ気質を集める力で星空を取り戻せ。

 

次に地底へ赴き、地霊殿の古明地こいしの持つ無意識を操る力を借りよ。

 

霧の湖に有る孤島に建つ紅魔館で吸血鬼フランドールスカーレットを仲間に加えよ。

 

最後に密度を操る鬼、伊吹萃香を仲間に加え、守矢神社の神、八坂神奈子のもとへ行け。

 

この間、博麗の巫女自身は一回も戦ってはならない。必ず全員、自発的に仲間に加えさせよ。

 

霊夢は妖怪の山を辿って上空へ登り、その頂に掛かる一際厚い雲の中を突き抜けると満天の星空へ出た。足元にはどこまでも雲海が広がり、その先に目指す天界が見えた。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(33)天空

 

雲の上にあたかも地上が広がるように見えるその場所、それが天界である。

天界の全容を知る者は少なく、やはり、その全容を言い表す言葉や概念は地上に存在しないらしかった。

霊夢も紫から天界の事を聞かされる事が有るが、その内容は「どうも〜らしい」といった断言を避ける言い方で表現された。

霊夢が以前訪れたこの天界も、実は天界のごく一部であり、それは有頂天と呼ばれているらしいのだが、それ以上の事は何も知らない。

霊夢は比那名居天子(ひなないてんし)の住む総領屋敷へ向かい、そこに天子が居ないかと尋ねた。対応に出て来た竜宮の使いは「総領娘様は、総領様の言い付けで中庭の池で釣りをしております」と言いながら霊夢を屋敷の中に案内した。

いつ来ても不思議に思うのだが、この家には壁という物が無い。

いや、一部の部屋、トイレや物置的な部分であると思うのだが、そういった壁のある部屋は散見されはするのであるが、なんとういか、それは必要以上に省略され過ぎている気がするのだ。

第一に、寝室に壁が無い。これが理解できない。もっと理解できなかったのが温泉みたいに浴室にも壁が無い。“浴室”というよりは露天風呂である。

屋敷があまりにも広すぎるからコストダウンの為なのであろうか?

で、あれば王宮のような屋根や大理石の床や柱の方に掛ける費用を少し削って壁に回してはどうかと思うのだが、どうなのだろうか?全ての欲を捨てたという天人の考える事は、やはり俗塵の尺度では測りかねるものが有る。

天子は、やはり、無駄に大きい中庭の庭園に有る、無駄に大きい池に掛かる桟橋のあずま屋で釣り糸を垂れていた。

その背中は毎日美食に有りつき、特に仕事らしい仕事もしていない筈なのに、異様にスリムな体型を維持できている所が正直妬ましく思う。

その頭にはトレードマークの桃をあしらった帽子を斜めにちょこんと乗せ、天界では珍しい白いブラウスの洋服姿で折り畳みいすに腰掛けていた。

池の水質はやはり、、無駄に良過ぎるらしく、釣りをするのが難しすぎるほどに澄み渡っており、この池が無駄に深い事が一目で分かる、その中に多種多様な魚が泳ぎ回っているが、それは天子の垂れる釣り糸の先に付いている無駄に栄養価の高い餌のおかげか、無駄に太っているように見えた。

第一、彼女の釣り自体が無駄な事なのだ。釣り針の先はクネッと内側に曲げられており、滅多に魚が針掛かりしないように細工されている。

天子(てんこ)?」

霊夢がその背中に呼び掛けてみると、比那名居天子は何やら退屈そうに緩慢な動作で霊夢の方に振り向いた。

「いつも言ってるじゃないのも〜、“てんこ”じゃなくって、“てんし”でしょ?もう、めんどくさいから“てんこ”でもいいけどさ」

「あの…一つ、聞いてもいいかしら?前から疑問に思ってたんだけど」

「なによ?」

「あの…なんで、お風呂場に壁が無いのかしら?」

天子は何をいまさらといった感じに眠たげな目を細め、やや面倒臭そうに答えた。

「ああ、地上の家は壁とかいっぱいあったよね確か、天人はさあ、もう性欲とかも捨てちゃったから、別に恥ずかしくも無いのよ、あるでしょ?地上にも“〜じゃないから恥ずかしくないもん”とか言う格言、あの境地よ」

「それじゃ、一部の部屋に有る壁は何?トイレは理解できるけど…」

霊夢がその件に触れると、天子は焦りの表情を顔に浮かべた。

「ちょ!霊夢!天界にも触れてはならない事があるのよ!ちょっと耳を貸して!」

天子の話によれば、完全に捨ててはいるものの、暇潰しにいろいろ有るのだという、分かる様な分からないような事を言った。

しかも、既に失ったモノを敢えて呼び覚ます為に、その内容は極度に趣味性を追求されたモノに変容しており、ちょっと公にするのはマズイ内容になっているとのことだが、霊夢には正直よく分からなかった。

「そう…そうなの、じゃ、その事にはあえて触れずに置くわね」

霊夢は本題に入ろうと、少し真剣な顔で天子に頼む。

「あたしと地上に来てほしいの、幻想郷の結界が極端に弱くなって、あなたの助けが必要なのよ」

天子はそれを聞くと大層残念そうな顔をして霊夢に泣きついてきた。

「あ``−っ!それ言わないで!あたしだって今、必死に我慢してるのよ!地上でなんか、面白そうな騒ぎが起こっているっていうのに!あ・た・し・だ・け!なんでこんな退屈な天界に居なきゃいけないのよー!!」

「なら来てよ天子!何で来れないのよ!?」

「お父様にきつく止められているの!」

「きつく?」

「そうよ?きつく!」

「どれぐらいきつく?」

「それはもう…すっごくきつくよ…」

霊夢はここでたじろいだ。天子の様子が少し変なのだ、何故か…恍惚とした表情に変わったのだ。

「はい」

霊夢に縄を渡してきた。

「どうすんのよこれ?」

「皆まで言わせないで、あたしの意志で行ったんじゃない事にすればいいのよ」

「縛るの!?」

天子は期待に頬を染めながらコクンと頷いた。

 

要石が池の底から白泡を湧きあがらせ、水を蹴立てて現れる。

霊夢はその上に飛び乗った。

次いで亀甲状に縄を掛けられた天子を引いてそこに乗らせた。

「あ〜、霊夢、抜いて抜いて剣?」

「非想の剣って天人にしか使えないんじゃないの!?」

「ああ、近くに有れば別に触る必要ないのよ、岩に突き立ててそれ」

霊夢は言われるがままに非想の剣(ひそうのつるぎ)を鞘から抜き、多分、いつもそこに刺し込んでいるであろう部分に立てた。材質自体は銅で有る様なのだが、その非想の剣はオレンジ色の光を放ち、要石と一体化する。

「霊夢、なにやってんの、リアリズム、リアリズム」

「へ?なんの?」

「もー!攻め立てられてないと、攫われたように見えないじゃん!引っ張って!腰のあたりの縄!」

「もー!しょうがないわねー!」

霊夢は天子の腰のあたりに出ている縄の端を引いた。

「もっと!もっとよ!リアリズム!リアリズムをあたしにちょうだい!」

「もー!なんなのよ!リアリズム関係ないじゃないの!さっさと行くわよ!」

しょうがないから仕舞には腰のあたりを片足で押し付けながら縄をギューギュー締め付けると、要石は地響きを立てながらようやく浮き上がった。

「あ〜れ〜!霊夢が!霊夢があたしを極めてマニアックな縛り方で縛り上げて地上に連れて行くわ!あ〜〜れ〜〜!たーすーけーてーwww」

「ちょ!幸せそうな顔しながら人聞きの悪い事言わないでちょうだい!」

霊夢と天子が要石で飛び立つのを見た竜宮の使いが慌てて庭に出てきた。

「総領娘様―!ちょっと!どこへ行く気ですかー!」

「ああ!衣玖?あたし、霊夢に無理やり地上に攫われて行くから!お父様にはそう言っといてー!」

「ちょ!総領様はそんな事お許しになるわけありませんって!」

「お父様は許さなくってもこの身は霊夢に捕らわれ、否応なしに地上へと向かうわ!あ〜れ〜!たーすーけーてーwww」

「まってくださいよ!無理やりって!霊夢はその非想の剣を使えないから言い訳になりませんてー!」

「いいのよー!要は対面さえどうにかなれば!お土産にアブトレックスの電池買って来てあげるわねー!」

「ちょ!それ!ばらしたらいけませんてー!」

「あ〜wwwれ〜www」

要石は屋敷を離れ、星空へと高く舞い上がった。

やがて衣玖という竜宮の使いの声も届いてこなくなる。

要石は雲海に滑り込み、あたかも波を蹴立てるように雲を突き抜け、地上を目指した。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(34)本心

 

地上は雨と霧に煙り、霊夢達の居る妖怪の山頂上からも下界はよく見えなかった。ただ、非想天則と敵航空機の交わす砲爆撃の光だけが明滅し、時折大地を震わせる航空機の咆哮や爆弾の炸裂する爆発音が聞こえた。

この天候のお陰で非想天則は助かっているようだが、今からこの雨を止ませなければならない。

 

「縄…解かなくていいのかしら?」

「なに勿体ない事言ってるの?折角の野外プレ…いえいえ、リアリズムが台無しじゃない?」

天界から比那名居天子(ひなないてんし)誘拐に偽装して連れ出す事に成功した霊夢は、要石に乗ったまま天子を亀甲縛りにしている縄の端を持ち、一応念のために訊いてみたが答えは予想通りの物だった。

「で…この雨を止ませてほしいんだけど、縛られたままで出来るの?」

「あ―、そんなの簡単簡単、あたしが近くに居て、あたしの意思を感知すればその剣は力を発揮するわ、まず剣を要石から引き抜いてみて?」

言われるままに引き抜いてみた。

非想の剣(ひそうのつるぎ)は両刃で、それほど長くは無かったが銅でできている為か結構重かった。

「それを真っ直ぐ天に向け、叫ぶのよ」

「なんて叫べばいいのよ?」

「えっと…そうねぇ…ムーンプリ●ムパワー!メイクアーップ!かしら?」

「なんで今ちょっと迷ったのよ?何で迷うのよ?」

「いいからいいら、言われた通りにしてみなよ?」

言われた通りに非想の剣を真っ直ぐ天に向ける。

剣はオレンジ色に輝き、何か静電気が集まって来るような感触があった。

天子が促す。

「さあ、お叫びなさい、力の限り」

天空から霊夢に向かって気質が降り集まるのが感じ取れた。これが非想の剣の力か。

雨の気質というものは冷たいだけのものかと思っていたが、その中には慈しむ心や悲しむ心も入っているようだった。

霊夢は言われた通りにやってみようと思う、この様子なら天子は冗談を言っているとも思えなかった。

 

「ムーンプリ●ムパワー!メイクアーップ!」

 

その声は天から霊夢のもとに降り集まる雨の気質を遡り、紫色の稲妻となって天を突く。

雷鳴は霊夢の言葉そのものだった。

幻想郷中に“ムーンプリ●ムパワー!メイクアーップ!”の言葉が轟く。

そして天子は満足そうにそれを見上げこう言った。

 

「やっぱ、あたしだけが恥ずかしい思いをするのはずるいよね?なに?今時セ―▼―ム―ンってw霊夢自重w」

 

「なによ!恥ずかしいなら、あんたこそ変な小芝居しなきゃいいじゃない!」

 

雲が消え、晴れ渡る空に銀河が横たわり煌々と月も輝く。

山の麓に霧の湖がみえ、それは月と星の輝きを湖面に反射して輝いていた。

霊夢は非想の剣を再び要石に立て、妖怪の山の山肌を駆け下る。天子の縄をかなり強めに引き締めながら。

 

地底世界は火炎と暗闇の世界であった。

昔は地獄の一部であったとも聞き及ぶ。

暗い洞窟の中に溶岩が煮える淵が点在し、それがこの世界の太陽の役割をしているようだった。オレンジ色の輝きの間に見える屋敷が地霊殿だ。

光源が作り出す炎の色でどんな色をしているのかはハッキリしない、それは地獄の中に一点だけ存在する救いの為の駆け込み寺のようにも、訪れた者を引寄せて二度と帰れないようにする為の罠のようにも見えた。

玄関には門番だろうか?黒猫が一匹座っている。

その猫は霊夢達の乗る要石が近付くと、叫ぶように高く一回鳴いて、赤い髪を結った黒服の少女の姿に変わった。

「地上から来たならお断りだよ、ここで帰ってくれないか?」

その黒猫は以前ここに来た時にも居た。この地霊殿の主、古明地(こめいじ)さとりのペットである火焔猫燐(かえんびょうりん)だ。

「お燐、今日は古明地こいしに用が有って来たの、頼むから会わせてくれないかしら」

お燐は困った様子で霊夢にこう返事をする。

「さとり様の言い付けなのよ、地上から誰が来ても屋敷に入れちゃ駄目だって」

多分、地上で起こっている異変と関わり合いになりたくないのだろう、しかし、そうも言っていられない、いつもならペットぐらい弾幕で追っ払うのだが、今回は紫から一回も戦わないように言われているのでそれも出来ない。

「そこを何とかお願い、あたしは今日は戦いに来たんじゃないし、訳有って戦うわけにもいかないのよ」

お燐は上目がちに霊夢をじーっと見詰てから口を開いた。その黒目がちな瞳が疑わしげに天子をの方を見る。

「ふうん…じゃ、そこに捕まってる天人はどうやって縄に縛ったのかしら?随分巧みな縛り方だけど?」

ここで天子が口を開く、正直、ややこしくなるからやめてほしい。

「いいでしょ?これ?あなたのそのファッションも何か良いわね!何かその…サディスティックな空気を醸し出しているわ、燃えるような赤毛に黒いゴスロリのドレス、そしてエナメルの靴!あぁ〜踏まれてみたいわぁぁぁ…」

やはりお燐は天子の言葉にあからさまな警戒の表情を浮かべた。

「まっ!ちょっと!なに!?違うわよ!勘違いしないで!SMとか、そんな目で見るの止めてちょうだい!」

霊夢が慌ててフォローする。

「ち!違うわ!これはそんな趣味の為に縛ったんじゃないの!天界を抜けだす策略の為に仕方なくやったんだから!貴方こそ誤解するの止めてよ!」

ここでドアの向こうから不意に声が聞こえてきた。

幼い声に大人びた口調が似合わない、そんな聞いた事がある声がドアの向こうからしてくる。

それは古明地さとりの声だった。

「分かったわ、貴方達が何のために来たのか、どうして天人が縛られているのか、意識の上に上がっている本心だけは読みとれたから、入ってもいいわよ」

重々しい鉄の扉が開かれると、そこにラベンダー色をしたショートヘアーの、小さな少女が立っていた。彼女がこの地霊殿の主、古明地さとりだ。

さとりは人の心を読む能力を持っている。だから霊夢と天子が単に頼み事をする為にこの地霊殿に来たのだと、口で説明する前に気付いたのであろう。

霊夢達は居間に通され、広いテーブルの椅子に腰かけるよう、無言で促された。

さとりはいつも、こっちが何か言おうとする前に勝手に話を始める。

慣れるまでは気味が悪く、話しづらくて仕方ないが、慣れれば話が早いから却って好都合にも思える。

「妹の能力を借りたいっていうのね?」

やはり、さとりは勝手に話を始めた、いつも通りに。

「そうよ、その能力で失われつつある結界を張り直したいの、お願い」

さとりは話す時は表情一つ変えない事が多い。心を読む事に集中して、まるでこちらの口から発する言葉は無視して話ているような印象すら受ける。

「正確には結界を張った後に、こいしの力で外から攻めて来た人間達の記憶を無効にする細工をしたい…という事かしら?」

「その通りよ、こいしの能力を使えば、幻想郷の中で起こった事を夢の一部だと思い込ませる事が出来るわ」

さとりには全てが分かっている筈だから、まさか断られる心配は無いと思った。

「それは確かに見えるわ、あなたの計画が紫から伝えられたものである事も全て、でもこの話、簡単に受ける訳にはゆかないわ」

「どうしてよ?困っているんだから助けてよ」

「そうね、困っていたから助けてあげた、何事もそれだけで済むのなら罪は無いわね」

霊夢にもさとりが言いたい事が良く分からない。

本来口で説明するべき部分を殆ど省いて会話するから、はたで聞いている天子には全く内容が分からないだろう。天子は縛られた上半身をテーブルに乗せ、ぽかぁ〜んとしているばかりであった。

霊夢に意味が通じていないと気付いたのだろう、さとりは補足説明をした。

「本当の悲劇を引き起こす重罪人達というのは意識の上に悪意を持たないものなの、それを全て潜在意識下に埋没させて、意識上に残ったありったけの善意で、悪魔でも思い付かないような恐ろしい事をするわ」

「私がそんな恐ろしい事をするとでも思っているの!?」

「ええ、思っているわ、貴方は地上で一度は支配的な地位を手に入れた博麗の巫女、その神聖な地位を奪還する為なら多少の事は善行として容認される、そうじゃなくて?」

霊夢はそんな事考えた事も無かった…が、それが全く無いのかと言われるとその自信が無い。どう言ったら良いのか全く思い付かなかった。否定してもその保証は目に見える形にも、さとりの持つ第三の目で見える意識にも出来ない。

無意識を見る事が出来るのは、まさしくこの古明地さとりの妹、古明地こいしの持つ第三の目だけなのだ。

「地上で大きな罪を犯した為に裁きを受ける者の心を、何度か読まされた事があるわ、閻魔様に頼まれてね?でも、ある限度を超えた罪人っていうのは意識下に罪を犯したとか悪い事をしてやろうとかいう悪意を全く持たなくなるのよ、私は閻魔様に彼らの心が一点の曇りも無い清らかなものであると言わざるを得なかったわ」

さとりは霊夢を疑いの視線で鋭く突きながら断言する。

「貴方がこの騒動を利用して野心を起こさないという補償、それが無い限り妹に会わせる訳にはいかないの」

諦めざるを得ないのか?

結界を再び張るというその計画が、野心と関わりを持たないと保証できなければ破綻する。

希望を失い掛け、涙に曇りそうになる霊夢の心の底から様々な思いが自然に湧き起こって来る。それは走馬灯のようにイメージの環となって霊夢の眼前を流れ始めた。

 

もう、博麗神社でのんびりお茶を飲む事も、香霖堂に冷やかしに行く事も出来なくなる。

人間の里で屋台の親父と下着の値段を巡って禅問答を繰り広げる事も出来なくなる。

天狗の宴会に参加して外の世界から落ちて来た化石ギャグで盛り上がる事も出来なくなる。

時々お賽銭箱の中身をチェックして、小さな音を立てて揺れる小銭の音を楽しむ事も出来なくなる。

魔理沙が香霖堂で見付けて来たコアな春画を見てキャーキャー言う事も出来なくなる。

たまに博麗神社を勝手にお茶会の場に借りに来る吸血鬼と、そのメイドに小言を言う事も出来なくなる。

梅干しの種を密かに取っておいて、後でそれを割って食べる密かな楽しみも無くなる。

博麗神社例大祭に集まる大勢の笑顔にももう二度と会え・・・

 

「あ〜、もういいわ、この娘、潜在意識下にも悪意とか持ってなかったよ?こんなに能天気な人材って、最近見なくなったよね〜、運命が決する時に考える事が“梅干しの種”って、今時居ないよ?本当に?」

誰も座っていない椅子から声がした。

誰も座っていない筈なのに、よく見ると、それは人が座れる程度にいつの間にか後ろに引かれていた。その椅子の上にすうっと人影が現れる。

「ああ、ごめん、驚いた?ちょっとだけ無意識をいじって、この椅子に誰も座っていないと思わせていたのよ」

浮き出た人影は銀髪のロングヘアーに黒い帽子をちょこんと乗せた少女、古明路こいしその人であった。

さとりは心配そうにこいしを見て言う。

「霊夢に悪意が無いのは分かったけど…あなた、本当に彼女に協力する気ある?」

「お姉さまは私の心を読めないから疑うけど、あたしだってやるときゃ、やるんだよ?まあ、協力っていうか、なんか楽しそうじゃない?異変解決って、あたしもやってみたかったのよこれー」

さとりは、尚も心配な様子ではあったが、こいしの地上行きを渋々承諾した。

「まあいいわ、お燐、こいしが無茶をしないように付いて行ってあげて」

 

かくして要石は再び4人に増えた協力者を乗せて飛び立つ。

天子のたっての願いで、縄を引き締める係はお燐に交代した。

石は暗い洞窟を進み、やがて洞窟の出口に星空が見えてくる。

次に向かうのは霧の湖に浮かぶ紅魔館だ。

そこに居る吸血鬼達が素直に協力してくれるかどうか、かなり心もとなく思える。

彼女らはこの騒動を利用して、きっと自分達も暴れようと考えているに違いないのだ。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(35)支配

 

博麗の巫女、博麗霊夢に結界修復の秘策を託した八雲紫は、密かに紅魔館に来ていた。

ここだけは霊夢の力だけでは何とかなりそうに思えなかったから、紫は先回りして紅魔館の主人である吸血鬼、レミリアスカーレットに話を付けておこうと思ったのだ。

そのレミリアは、今、八雲紫を片足で踏みつけながら勝利の宣言をしようとしている。

「八雲紫、幻想郷最古の妖怪にして最強と言われたあなたが、吸血鬼の屋敷で踏みつけられている気分、どうかしら?」

紫は話を付けに行こうと思ったのだが、ここの吸血鬼達には最初から話をしようなどという気は無かったらしい。

メイド長の十六夜咲夜(いざよいさくや)レミリア、そしてレミリアの妹、フランドールスカーレットから一度に攻撃を受け、紅魔館の赤い石の床に倒れていた。

「フフン、紫、貴方にいつか押しつけられた契約、あれを白紙撤回してもらうわよ?貴方自身の口からね?そうすればあたし達は、晴れて再びここで最強の名乗りを上げる事が出来るわ、さあ!早く!」

レミリアは紫の髪の毛を帽子の上から鷲掴みにして要求を突きつけて来る、ここで屈したら吸血鬼達は再び幻想郷の支配者になろうとして強そうな者を手当たり次第に倒して回るだろう。

そして、ここで地位を確立したら再び外の世界へ反攻に転ずるに決まっているのだ。彼女らが外の世界を諦めているようには見えない。

「さあ!さあ!早く契約を撤回なさい!悪魔は契約を破る能力を持っていないのよ!」

紫は目をつぶったまま黙り続けていた。

レミリアは諦めたのだろうか?紫の頭を乱暴に放した。

「いいわ、契約はそのままで、そのままでも他の連中が従わざるを得ないようにすればいいのよ、咲夜!注射針と真空ポンプ持って来なさい!この女の血を全部抜き取るのよ!枯れるまでね!」

背後で咲夜が地下室のドアを閉める音がする。

レミリアは紫を見下ろし、少し残念そうに言い放つ。

「ああ、残念だわ、貴方が私に忠誠を誓ってくれたらこんな事をする必要もなかったのに、妖怪の血なんか吸っても栄養にも何にもならないけど、貴方ほどの強い妖怪なら話は別だわ、貴方を滅ぼして、その血を私が吸ったと知れ渡ったら、他の妖怪達はあたしに八雲紫の力が宿ったと思い込んで向こうの方から配下にしてくれと頼んでくるかもね?」

レミリアは紫が観念して契約を撤回しはしないかと思っているようだ。

更に勿体ぶったように話を続ける。

「あなたは紅魔館の門前にカラカラに干からびた死体を晒したくは無いでしょう?いいえ、貴方はそれぐらいで死にはしなかったわね、再び水分を吸収して血が戻ったらすぐにまた抜いてやるわ、永遠にそうして紅魔館の門前で干からびた姿を晒し続けるのよ?貴方にはそんな運命、耐えられるかしら?」

お得意の脅迫で従わせようとしているのだろう。

紫はそれも仕方が無いかと諦めかけた。自分が晒し者になっても、霊夢達が吸血鬼と話を付けてくれるだろう、上手く行く当てなどないが、その希望だけを支えにして今は自分が犠牲になろうと思ったのだ。

レミリアの妹、フランドールは、倒れた紫の事など気にしてもいないようだった。

雲が薄くなり、月光に照らしだされる屋敷の外が気になって仕方が無いらしく、あちこちの天窓を覗いて回っている。

「ねえ?お姉ちゃん?もういいでしょ?早くしないと外の世界の人間が逃げちゃうかもしれないよ、早く行こうよ人間狩りに」

レミリアは駄々っ子に言い聞かせるようないつもの口調でフランドールをたしなめる。

「いいこと?フラン?あんたには分からないでしょうけど、物事には順序ってものがあるの、誰が一番かハッキリさせる、それが先よ」

「そんなもん、いいじゃん、適当に灰にして瓶の中にでも詰めときゃ暫く動かないって」

「大人の話が難しくて分からないってんなら、あんたはあっちでチルノと遊んでなさい、話が済んだら呼んであげるから、いいわね!」

フランドールはブツブツ言いながら子供のようにふてくされて自室の重い鉄のドアを開いた。もう鍵は掛けられていない。

地下室入り口のドアが開いた。

真空ポンプが到着したのだろう。レミリアは紫を見下ろしながら咲夜に声を掛けた。

「咲夜、やりなさい」

・・・・・・・・・

「どうしたのよ、さあ、この女の血を全部抜きとるのよ」

・・・・・・・・・・・・

「しょうがないわね、お貸しなさい、私が自分でやるわ」

・・・・・・・・・・・・・

「お嬢様」

「どうしたのよ咲夜?」

「これは…これはあんまりです、どうか考え直してください」

「あたしだってこんな野蛮な手段に頼るなんて落ちぶれたと思うわよ、でも、結界が消えつつある今、悠長に運命が変わるのを待っている暇は無いの、さあ、道具を渡しなさい」

ここで思わぬ声が聞こえた。

「いいえ、結界なら張り直せるわ!」

全員が声のした方を見た、フランドールは鉄の扉を開き、チルノと顔をのぞかせた、紫も床から反身を起こし、その方向を見る。

 

霊夢!?

 

霊夢は他に三人連れてこの紅魔館の地下室に乗り込んできた。

「今日は戦いに来たんじゃないわ!お願いに来たの!フランドールの持つ“全ての物を破壊できる能力”、それを貸してほしいの!」

レミリアには意味が分からないようだった。破壊できる能力で結界を張り直すなど、聞いた事もない。それに、ここへ霊夢が入る事を許した咲夜も許し難いと思った。

「咲夜!あなた!裏切ってそっちに付こうって気!?」

咲夜はかしこまって、主人に顛末を報告する口調でレミリアに説明する。

「このお屋敷と吸血鬼という種族を守る為に、時に過酷な手段に頼らざるを得ない事情は私にもわかります、しかし、このような事をしてまで生き延びる理由があるのでしょうか?」

「咲夜、あたしだってこんな下衆な手を使いたいわけじゃないのよ?でも、今は(ことわり)(おきて)が通用するような時じゃないわ、分かるわね?外の人間は手段を選ぶような奴らじゃないわ、彼らと存続を賭けて戦うのよ?」

「でも、お嬢様はいつもおっしゃっておりました、外の世界から一度は追い出されたけど、いつか自分の流儀で外の世界も変えて見せるって」

ここでフランドールが口を挟んできた。

「何言ってんの咲夜!あたしたちは追い出されたりしてないわ!こっちに別荘が出来たからって!」

「フラン!」

「だって!追い出されたって!まるであたし達が負けたみたいじゃん!お姉ちゃんも言ってたでしょ!“フラン?幻想郷に素敵な別荘を建てたから行ってみない?”って!だから折角滅ぼしかけた都市をそのままにして!」

「フラン!」

「なんで止めるのよ!あたし達は最強の吸血鬼でしょ!?負けるなんて考えられ!」

「ちょっと!お黙りフラン!あんたがダダこねるから騙して連れて来たのよ!」

「お姉ちゃん…」

「いい事フラン?殺したり滅ぼしたりして得た従属はその場限りのもの、相手が転生する度に何度でも永遠に殺したり滅ぼし続けたりしなければ効き目が無くなるの」

「いいじゃん、何度でも殺してやれば」

「それは無理よ、この宇宙が出来てからそれに成功した者は一人もいないわ」

「じゃ、あたし達がそれになればいいじゃん!魂を乗せる為の舟を全部滅ぼせば!転生もしなくなるよ!」

「貴方は!四百九十五年間も何を見て来たの?火星の連中を見たでしょ?戦いの為に体の形を変えて!戦いを続けて!遂に魂を乗せる船がたった一つになって!その舟は体を維持する為に必要な栄養を貰う他の舟まで滅ぼしちゃったから!最後どうなった?」

「霧みたいに薄くなって見えなくなっちゃった」

「あんた、そういう風に他の物に変わっちゃいたい?」

「それは…残したい奴だけ残して後は殺せばいいじゃん」

「生き残った奴も転生を繰り返すうちに反抗してくるよ?いつかは?あんた、滅ぼす?そこに居るチルノも?」

フランドールはふくれっ面でチルノの方を見た。

大抵の者が怖がって近付こうともしないフランドールの部屋に、自ら進んで遊びに来てくれるチルノを殺し、その魂が復活しないように滅ぼすなど考えられない。

「じゃ、どうすればいいのよ?いつかは負けて滅ぼされるよ、あたしたちも?」

「あんたにはまだ難しい話かもしれないけど、戦う運命を持つ者は必ずその裏側に戦わずに済む運命を隠し持っているものよ、周りに居る者たちの運命を全て戦わずに済む運命に変えればあたし達はいつまでも安泰だわ」

「そんな事言って、いっつもお姉ちゃん口だけじゃん」

「難しいからあんたにはまだ分かんないの、こうしている間にもここに居る連中は全員運命を変えられているわ、あたしと戦えないようになる運命にね?」

「な〜んか、騙されているような気がするな〜」

「いいから、霊夢、貴方のプランを聞かせてちょうだい、それに賭けてみるわ」

 

レミリアとフランドールは黙って紫の肩を担ぎあげ、要石に乗せた。

レミリアは自らの翼を広げ、夜空に飛び立つ。

フランドールはお燐から天子を縛っている縄を受け取ると、喜々としてそれを引っ張って遊んだ。

古明地こいしはチルノと“アイスは冬に食すべきか否か”の禅問答を延々と繰り広げている。

この要石も賑やかになり、ちょっと狭くなってきた。

霊夢は気を付けて非想の剣に手を掛け、号令を発する。

「萃香を拾ったら神奈子の所へ行くわよ!みんな、落ちないように気を付けてね!」

要石は再び地響きを立てて空に浮きあがる。

行く手には炎の中で戦い続ける非想天則の姿が見えた
目次に戻る


東方ルアー開発秘話(36)希望

 

非想天則は敵の投下する爆弾や誘導弾を時折受け、かなりのダメージを受けていた上に内部電源が切れかけていた。そろそろ充電をしないと行動不能になる。

しかし、山陰に隠れては不意に対戦者誘導弾を放ってくる対戦車ヘリに手を焼いて、長い事時間休む暇もなかった。

間欠泉地下センターではその他に、非想天則の上をぐるぐると飛びまわる無人偵察機の監視にも気をもんでいた。

あれはきっと非想天則が充電をしようとする兆候を見て、それを人間達に伝えてしまうに違いないのだ。

この非想天則の開発と運用を任されている河城みとりは、危険を冒してでも非想天則に充電ケーブルを繋がざるを得ない状況に追い込まれていた。

非想天則を操る鬼の伊吹萃香にテレビモニターを通して話しかける。

「萃香?萃香?まだ動ける?」

萃香もかなり疲れてきたようで、答え方に元気が無い。

「まだいけると思うよ、でもキビ団子ももう無くなっちまった、また武器を上げてくれない?」

「もうミサイルも全部使ってしまったから手で持つ機関砲しかないわ、機関砲と一緒に充電ケーブルも上げるから、悪いけど、テレビの下に有る犬の首輪を付けてくれないかしら?」

「使えるんなら何でもいいよ、早くして、何だか敵の攻撃が急に止んで、罠を張っている気配がするんだよ」

「分かったわ、11番シャフトで目の前に武器とケーブルを上げるから、急いでやってちょうだい」

そのやり取りを後ろで見ていた八坂神奈子と洩矢諏訪子は上空を煩く飛びまわる無人偵察機の方をしきりに気にしていた。

「諏訪子よ、あいつ、何を探っているんだろうねぇ?」

「弱点を探っているんだろうけど…補給のタイミングを見極めようとしているのかも?」

「ふうん…なら、サッサと充電ケーブルを繋いで武器を構えれば、少なくとも敵は簡単に近付いてこれない…と、思うがどうかねぇ?」

「そりゃ、試してみないと分からないさ、敵がどんな手を隠しているか、全然分からないからやれるだけの事を今の内にしておくしかないよ?」

非想天則に充電ケーブルが繋がれる様子がモニターに映る。首の部分に掛けた環が締まると、ケーブルから充電が始まった事を伝えるメッセージが画面に表示された。

地熱発電のタービンがフル回転する音がここまで響いてくる。

不意に、慌てた河童の技師が中央指令室に掛け込んできた。

「お空が!お空が帰って来ました!」

河童の技師は荒い息を整えようと膝に手をついてゼーゼーと荒い呼吸を続けていた。

多分、回線の混雑で電話が通じなかったのだろう。

「確かか!?お空は無事か!?」

「お空は無事ですが!分解の足に入っていた筈の燃料棒が無くなっています!」

苦しそうな息を継いで、河童は話を続けた。

「何故燃料棒が無くなったのか詳しくは分かりません、ただ、付きそって来た土蜘蛛妖怪がそれに付いて何か知っているようです!」

「土蜘蛛妖怪の所まで案内せい、諏訪子!ここは任せたぞ!」

神奈子は河童の技師に長い通路を案内され、医務室を素通りし、エレベーターで最下層へ向かう。

幾つかの厳重な扉を河童の指紋認証で通過し、お空が収容されている実験室の前室扉を開けた。

扉を開けるなり、見慣れない小豆色の服を着た妖怪が立っているのに気付いた。

「お前がお空を連れて来てくれた土蜘蛛妖怪か?」

「そうだよ、あたしが地底洞窟に住む黒谷ヤマメ!あんたに意見してやろうと思ってここまで来た!」

神奈子は妙にいきり立っている土蜘蛛妖怪に、正直面喰った、一体この土蜘蛛とお空の間に何が有ったのだろうか?

「そうか…まずはお空を連れて来てくれてありがとうと礼を言わせてもらうよ、で、意見っていうのは何なんだい?」

「あんた達!お空によくもあんな危ない物を付けてくれたね!」

「危ないって、どんな事が有ったんだい?」

「とぼけるな!足だよ!お空の足が熱で溶けて死にそうになった!洞窟の中に中に居た全員を巻き添えにしてね!」

「まさか!そんな事が有ったらお空は今頃灰になっているはず!」

「流し雛の鍵山雛が浄化して助けた!自分の体を犠牲にして!雛は塵になって滅びた!永遠にね!」

神奈子には俄かに信じられなかった。

しかし、お空が自分の力だけで分解の足を開いてウラン燃料棒を取り出せるとも思えない。

「そう…だったのか…事実を確かめ、それか」

不意に雷鳴のような轟音が会話を遮った。この間欠泉地下センター最下層部まで雷鳴が聞こえる事など有り得ない筈なのだが?

不意に実験室のモニターが灯る。

映っていたのは河城みとりだった。

「大変です!地熱発電のタービンがやられました!陣地破壊用の1トン爆弾です!もう一発来ます!!」

今度は地震のような地響きまでした。

発電が止まったのであろう、頭上の照明が消え、小さな常夜灯に切り替わった。

「神奈子様!」

奥の部屋からお空が飛び出してきた。

すぐに出来るとは思わないが、お空に発電を再開してもらわなければならない。

「お空!すぐに発電の準備を!」

「お断りだね!」

土蜘蛛のヤマメがお空の前に立ちはだかり、神奈子を遮る。

「お空は雛の犠牲で折角生き延びたんだ!やるんだったら他の誰か!あんたがやればいいさ!」

神奈子を睨みつけ、飛び掛らんばかりのヤマメの肩にお空が手を置いた。

「いいのよヤマメ、ここはあたしにやらせてちょうだい、外の様子を見たでしょ?私はあれを終わらせたいの」

ヤマメはお空の方に向き直り、今度はお空にかみついてきた、まるで我が事のように。

「何言ってるんだい!雛が自分を塵に変えてまで守った貴方を行かせる訳ないでしょ!次はあたしにやらせなさいよ!」

お空はヤマメを押し退け、神奈子の前に進み出る。

「これは私にしか出来ない事です、すぐに準備して下さい」

神奈子は命じるのでなく、お空に頼む。

「頼んだよ、申し訳なく思うが、今はこれ以外に手段が無いんだ」

そして、ヤマメに対して一礼し、こう言い残して実験室を後にした。

「この償いは必ずする、神の約束だ」

神奈子は実験室を出た所で先ほどの技師に声を掛けられた。

「白狼天狗を控えさせています、口封じは?」

「ならぬ、客人としてもてなし、帰りたい時に帰してやれ」

「発電開始を急がせますが、2時間はかかるかと」

「出来るだけ早く頼む」

中央指令室に帰って来た神奈子を待ち受けていたのは、両腕を失い、そこから濛々と黒煙を立ち上らせる非想天則の映像だった。

「神奈子―もうおしまいだよ―太陽の畑にヘリコプターが歩兵を下ろし始めたんだ」

諏訪子は帽子の目を白黒させ、自身の目からは涙をぽろぽろと流している。

「泣くな諏訪子よ、まだ何か手は有る」

「だって、発電はすぐに出来ないんでしょ!?敵の通信は妨害出来ないし、星から来る電波はそのまま!もう何もできないよ!」

「ほんとうに駄目な時は…天照大神(あまてらすおおみかみ)に報告して全てを無に還してもらうさ」

「そんなのやだよ!地上に残った妖や神の最後の砦、それが幻想郷じゃないか!それを失ったら地上も遠からず魂の下りてこない虚ろな場所に戻ってしまうよ!」

「戦い続ける内に進化の筋道を遡り…また元へと還るのか…」

神奈子の口から、不吉なので言及を避けて来た最悪のシナリオが零れ落ちてくる。

火星ではそのような事が有ったのだ。

人々は最強、最高、最速を求めて激しく争い、時に大きな戦争をし、仕舞には戦争の能率を最高の物にする為に自らは戦わずとも敵を選んで殺してくれる病原体を何種類も発明した。

当然、対抗勢力は同様の病原体をそれ以上の種類生産し、人々はそれに滅ぼされない為に自らの遺伝子を病原体に組み込み、互いを侵食しあって滅びた。

「諏訪子よ、これは摂理にして上位神の意思なのかもしれない、物質世界の全てを無に還して魂の世界へ帰って来いというメッセージなのかもしれない」

「神奈子?もしだよ?もしかしたら、お空に八咫烏(やたがらす)の力を無断で与えた事を正直に報告すれば許してもらえないかな?助けてもらえないかな?」

「無断で八咫烏の力を使った事ぐらい上位神は既にお見通しさ、それより、あたし達は多分試されていたんだよ、物質世界と魂の世界を繋ぎとめる事が出来るのかどうか」

「それにはもう…失敗しているね」

「ああ、残念だけど、私達も物質世界を去らねばならない時が来たようだ」

河童の一人が何かに気付いた。

「非想天則からコアとパイロットが…天人の要石に収容されてこちらへ向かっています!」

「なに?映し出してみよ!」

映像には確かに天子と霊夢、そして八雲紫をはじめとする妖怪や吸血鬼達が押し合いへし合いしながら要石に乗って向かってくる様子が映っていた。

河童が思わぬ報告を入れて来る。

「彼女らが結界を張り直し、外の人間を全て帰したいから協力してほしいと言って来ているのですが…」

神奈子は少しの間困ったような顔をして考え込んでいたが、今の状況で彼女らを追い返す理由もないか…と思った。

「ねえ、神奈子、最後にあれに賭けてみようよ?」

諏訪子も同じ考えであるようだった。

霊夢一行は司令室にドヤドヤと入って来るなり、勝手に準備を始めた。細かい過去のわだかまりに付いて、どうこう言っている時間は一秒も無かったのだ。

紫は「コンピューターと観測機器を借りる」と言ったので、好きに使わせる事にし、みとりに手伝わせた。

紫は隙間を開いて彼女の式神、八雲らんを呼び寄せ、コンピューターの前に座らせると、音声入力で数学の様々な定義に付いてコンピューターと問答をし始めた。どうやらこれを使えるように調整しているらしい。

古明地こいしは外の世界の新聞や雑誌の切り抜きを並べて、なにやら一人でぶつぶつと台詞の練習みたいな事を始めた。どの記事にも「自衛隊、白神山中で火山ガスを吸い込み大量遭難か?」とか、「火山ガス漂う白神山地で極秘実弾演習!混乱して友軍相撃発生か!?」等という見出しがデカデカと出ている。

天人は火焔猫に縄を解かせようとして身をよじっている。どうやらトイレに行きたいらしいが、縄が食い込んで解くのも切るのも難しそうだ。

吸血鬼姉妹はテーブルセットと紅茶を所望し、それが来ると勝手にティータイムを始めた。

萃香はリグルに被さっているコアを外している。チルノがそれを見て「あたいもコアやりたい!」と言うのでそのコアはチルノに被せられた。チルノは楽しそうにピョンピョン跳び跳ねる。

何が何だか神奈子にはさっぱり分からなかった。

「霊夢よ?」

「なに?」

「今から何が起こるんだい?」

「そりゃ、決まっているわ、結界を張り直すのよ」

「どうやって?」

霊夢の計画はこうだった。

 

まず、幻想郷のどこかに落ちている特別な種類の通信機と交信を続けている人工衛星の正確な位置を地下センターのコンピューターに入力し、それが地上から目視できる正確な時刻を計算する。

 

人工衛星が見える位置と時刻が正確に分かったらそこへ望遠鏡を向け、フランドールを待機させる。

 

人工衛星が目視できたらフランドールの“全ての物を破壊できる能力”でこれを破壊する。

 

人工衛星が破壊された直後から古明地こいしの姿を萃香の持つ“密度を操る能力”を利用して幻想郷中に投影する。

 

古明地こいしは“無意識を操る能力”で紫が書いたガセネタの記事を外の世界の人間達の潜在意識下に植え付ける。

 

全てが上手く行けば、外の世界の人間達は、火山ガスの影響で悪い夢を見たと思い込み、装備品ごと外の世界へ落ちて行くと言うのだ。

古明地こいしは皆に気取られないよう、火焔猫燐をそっと傍に呼び寄せ、耳打ちをした。

「お燐、あの記事だけじゃ、ちょっとインパクト足りないのよ、それでね?ちょっと火山を一つ、吹かせてもらいたいんだけど?」

「は?火山なんかないじゃないですか、火山性ガスの噴き出し口は有るけど…」

「それなのよ、ガスは有るけど、それは見える場所じゃないから印象薄い、それでね?ちょっとだけ、今は休んでるあの火山をやってもらいたいのよ」

「あれって…今、紅魔館が建ってるじゃないですか!」

「しーっ!声大きいお燐!いいのよ、ちょっとぐらい、これぐらいインパクトないと効果は保障できないよ?」

「し、知りませんよ?あたいは?どうなっても?」

「いいのよ、いいのよ、どうせあそこの連中は妖怪とか時を止められる人間とかだから死にやしないって!」

「ばれませんか?あたいがやったって?」

「ばれないばれない、偶然だと思い込むようにあたしが細工してあげるから」

「じゃ…じゃあ…いってきますよ?」

「うん、思いっきりおやりなさい」

お燐は忍び足で間欠泉地下センターを後にした。


目次に戻る


東方ルアー開発秘話(37)別離

 

八雲紫は、式神の八雲らんに軍用GPSシステムの要となっている静止衛星“北斗星1号”の位置情報が記された防衛省の内部文書を手渡した。

らんは、そのデータを間欠泉地下センターのコンピューターに入力する。

この衛星は極東人民軍にハッキングされた上、事実上乗っ取られてしまった物だ。

これを破壊すれば取りあえず幻想郷との交信が途絶え、結界だけは復旧する事が出来るだろう。

らんはコンピューターに問う。

「コンピューターよ、この衛星を地上から観測可能な時刻と地上から衛星が見える位置を求めよ」

コンピューターは即座に“明石天文台標準時20時51分12秒に北緯35度40分、東経139度40分、高度220kmの位置でで3秒間観測可能”と答えを出してきた。

すかさず諏訪子の指示で技術研究所の屋上に、予備も含めて3基の望遠鏡がセットされ、フランドールとレミリアは諏訪子に案内されて技術研究所へ向かった。

時間はあといくらもない、祈るような気持ちで全員が彼女らを見送った。

 

魔法の森 アリス マーガトロイド自宅

アリスマーガトロイド宅への天狗達の攻撃は密かに続けられていた。

ここに静止衛星北斗星1号と交信をしている通信機が有るか、或いは通信機の在り処を知っている者が居るか、或いはそのどちらも無いかは天狗達にも確かな事は分からなかった。

そんな事情で天狗達は家の中に居る人間達を皆殺しにも出来ず攻めあぐねており、一進一退の戦況が続いていた。

家の中は89式小銃の吐き出す硝煙と真鍮の撃ち空薬莢が舞い踊り、短連射のが刻む銃声で満ち満ちていた。兵隊のリーダーが通信を試みるが、それは度々戦闘の騒音で中断を余儀なくされるほどだった。

「再度送れ!銃の音で聞こえなかった!ああ、そうか!なら家の南50mに敵の突破口が有る!そこをやってくれ!」

外の世界の兵隊が無線機でそのように伝えると、確かにその辺りに機関砲弾の雨が降り注ぎ、突入してこようとした天狗達は慌てて引き返した。

激しく咳き込むような銃撃の合間に兵隊のリーダーが通信を入れ続けている。

「剣ゼロ!弾薬が少なくなって来た!急いで落としてくれ!手榴弾は入れるな!敵に使われる!」

後ろからも声がする。

「魔理沙の所が苦戦しているから照明弾を!」

「わかった!Σ9より火力支援要請!家の西200mに照明弾!三発頼む!」

すぐに家の西で砲弾がはじけ、落下傘に吊られた照明弾が空中に居る鴉天狗の陰を浮き上がらせる。銃撃が沸き起こり、魔理沙の放つ電光が闇を切り裂いた。

「剣ゼロ!聞こえなかった!再度送れ!…了解!分かった!弾薬を受け取ったらピックアップの準備をする!民間人が二名いるから彼らが先だ!最初の一機は災害救助用のロープを下ろしてくれ!」

兵隊のリーダーが重要な連絡を受けたようだった、早速それを全員に伝えて回る。

「救助のヘリが来るぞ!弾薬を受け取ったら周囲の敵を火力制圧し、ロープで脱出だ!」

これを聞いた兵隊達は口々に歓声を上げた。

兵隊達に水を配って回っていたアリスの耳にもそれは届いた。

急いで蜂谷の所へ飛んで行き、それを伝える。

「蜂谷さん!助けが来るって!」

「俺も聞いた!アリス、大詰めだから気を抜くなよ?ここでやられたら泣くに泣けないからな!」

「分かってるわよ蜂谷さん!もう窓から顔を出しちゃ駄目よ?」

「何言ってるんだ、俺が戦わない訳に行かないだろう?」

そう言いながら蜂谷はライフルのローディングゲートに銃弾を差し込む。

対戦車ヘリが周囲をしつこく機銃掃射した後に、ガタン!という大きな音がした。

庭に落下傘が付いた木箱が落ちている。兵隊達が使う銃の箱型弾倉が入っているに違いない。蜂谷は窓から体を乗り出し、それを取りに行こうとした。

 

間欠泉地下センター中央指令室

中央指令室のモニターには軌道上の静止衛星が観測できるようになるまでの所要時間が表示され、それは刻一刻と短く刻まれて計画実行の時が間近に迫っている事を伝え続けていた。

衛星が太陽の光を反射してほんの三秒間、夜空に星として現れる場所に望遠鏡が向けられ、その映像はモニターで監視する事が出来た。まだその時ではなく、望遠鏡の映像には小さな星が点々と映っているだけだ。

紫はマイクを通じて現場の様子を窺う。

「フランドールはもう待機しているのかい?」

向こうからマイクを通してレミリアの声が流れて来た。

「ええ、望遠鏡を覗きながら待機しているわ、あとどれぐらいかしら?」

「あと2分とちょっとだよ」

「確かに衛星があの子の目に見えれば、きっと捻り潰してくれるから、タイミングを教えてくださる?」

「分かっているさ、らんにカウントダウンさせる」

 

守矢技術研究所屋上

レミリアはフランドールの方を見た。妹は一心不乱に望遠鏡を覗き、右掌を上に向けて閉じたり開いたりして時を待っていた。

「ねえ紫?」

「なんだい?レミリア?」

「さっきはすまない事をしたわね、あたしはね、あの子を守りたい一心で周りが良く見えていなかったようだわ」

「ああ、分かるよ、霊夢が来て話を付ければきっと分かってくれると思っていたさ」

「ねえ、紫、あの・・」

「時間が来たようです」

声は紫から八雲らんの声に変わった。らんの声はスピーカーでフランドールにも聞こえるようになっている。

「衛星観測まであと30秒、準備をお願いします」

フランドールが望遠鏡を覗きながら、ぐっと肩に力を入れた。

「あと15秒、カウントダウンを開始します」

「観測まであと10秒、9、8、7、6、5、4、3、2、1、今!」

望遠鏡には金色に輝く大きな星が突然映った。

望遠鏡を覗きながら掌を上に向けていたフランドールが腕に力を込めると幾筋かの血管が浮き上がり、掌の上に銀色のガスタンクらしき部品の影が、ぼうっと浮き上がった。

フランドールがそれを思いっきり握り潰す、バシュッ!という音がすると同時に星は一瞬で砕け散った。そのうちの幾つかの破片がオレンジ色の流れ星となって夜空に消えてゆく。静止衛星北斗星1号は破壊されて機能を失った。

「やったよ!フラン!成功だよ!」

守矢技術研究所と間欠泉地下センターは喝采に包まれた。

お空が発電を開始したのであろう、技研の明かりの内、スイッチが入れっぱなしになっていた幾つかが灯った。これで携帯電話や軍用デジタル無線も全て妨害され、幻想郷と外の世界は隔絶された。

古明地こいしの姿が大きく夜空に投影される。

こいしが語り掛けると、その周囲に紫が書いた捏造記事が幾つも浮かび上がった。

 

魔法の森上空 救助ヘリ一番機 初雁1機内

「Σ9!Σ9!感明送れ!そちらの声は入って来ない!再送する、Σ9!初雁1はあと5分で目標に到着する!」

救助ヘリの一番機副操縦手は突然どことも無線が通じなくなった事に焦りを隠せなかった。計画通りならこのまま五分後に男女二人の民間人を吊り上げ、安全なようであれば更に四人の隊員を吊り上げる予定で有ったのだが、敵前でそれが予定通りに進む筈もない。

どうしても現場の危険度を確認しておきたかったがそれも出来ない、小さな無線機しか持たない分隊との交信は一旦諦め、再び中隊司令部に無線交信を試みる。

「剣1!初雁はあと5分で目標に到着するが現場と連絡が取れない!Σ9の状況を知らせてほしい!送れ!」

無線からは何も聞こえてこなかった。

寮機と連絡を取ろうと試みたが、それも全く通じなかった。

「Σ9!Σ9!初雁1は予定通りにロープを下ろす!再送する!初雁は予定通りにロープを下ろす!」

通じている当ては無かったがそう言っておくしかなかった。周囲を対戦車ヘリに守られた救助ヘリ6機は天狗達が放つ妖弾と銃口炎が散発的に瞬くアリスの家に機首を向け飛び続けた。その横を観測ヘリが追い越して行く。

あの観測ヘリが各種センサーで地上を偵察し、救助実行なら緑色の発煙弾を、中断なら赤色の発煙弾を落とす手はずになっている。

 

アリスマーガトロイド自宅

蜂谷はアリスが止める間もなく窓から身を乗り出し、落ちて来た箱に駆け寄ると、箱に掛かっているパラシュートコードを鷲掴みにしてアリスの方に走って来た。

兵隊達の銃火がそれを援護する為に全て家の南側に集中した。

アリスが窓から手を伸ばして箱を受け取ろうとした瞬間、捨て身で家の北側から壁沿いに回り込んできた鴉天狗の手がパラシュートコードの幾本かを掴んだ。 

鴉天狗が片手でそれを思いっきり引くと、蜂谷は簡単に倒れる。

蜂谷が立ち上がり、ライフルを振り上げると、鴉天狗の刀が蜂谷の右腕を一閃する。

直後に鴉天狗の後を追って来た魔理沙が電光を放ち、鴉天狗は箱を諦めて空へ飛び立った。

蜂谷は動脈を切られ、深手を負ったようだった、左手で止血をしながら窓の下で動けなくなっている。

即座に飛び出て来た兵隊達が蜂谷を取り囲み、庭に向かって激しく銃撃を始めた。激しい連射の銃声が止んだ直後に兵隊は腰に着けている弾嚢から予備の弾倉を抜き出し、銃に叩きこむと再び銃撃を続行する。

投げ捨てられた空の弾倉が家の壁に当たり、その金属音でアリスはショックから解放されて正気に戻った。兵隊が大声で叫ぶ。

「アリス!?大丈夫か!?」

「ぇ…ええ!大丈夫よ!」

「救助のヘリが来た!箱の中から弾倉を出して、どんどん配れ!」

「魔理沙!魔理沙!ヘリが来たから鴉天狗の注意を引いてくれ!」

それを聞いてか、家の中に居た兵隊達は扉を蹴破り、窓に置いて視界を遮っていた箪笥や机を倒して全員外に躍り出て来た。庭に大きな円陣を作り、その外へ向かって銃を乱射し続ける。

アリスは夢中になってありったけの弾倉を次々に兵隊に配って回った。

「銃身が焼けるのを気にするな!有るだけ撃て!この二人だけは絶対に上げるぞ!」

観測ヘリが上空を通過する、緑色の火を上げて燃える発煙筒のような物を落として行った。

「アリス!先に吊り上げるから中心で待て!」

兵隊達はアリスを一番先に上げようとしているらしい。

「ダメよ!蜂谷さんを先にして!」

「いいのか!?」

「お願い!」

「分かった!付き沿ってやってくれ!二番目が君だ!」

そこで兵隊のリーダーの銃が最後の弾を撃ち出したらしい。

「付け剣!」

リーダーの号令で兵隊達は腰に下げていたナイフみたいな短剣を銃身の先に刺し込む、黒鉄色の剣先が緑色の光を反射した。

上空高くに居たヘリが次第に近づいてくる。地面の芝が舞い上がり、草木は髪の毛のように降下地点を中心に放射状になびいた。

ヘリに搭載されている機銃も盛んに周囲を威嚇射撃しているようだ、上から真鍮の撃ち空薬莢がバラバラと降り続けている。

機影を見上げるアリスの目にロープで降りて来る救助隊員の姿が見えた。ヘリの巻き起こす風に髪の毛が乱れ、それを横に払いながら空を見上げ続ける。

紺色の空を背景に黒々としたシルエットにしか見えない筈の物だが、それは今のアリスの目に神々しい輝きを放つ天使のように見えた。

これで一人ぼっちの生活から救い出される、たとえ外の世界に無理解や迫害が待っていようとも、もう一人ではない。

寒風吹きすさぶあの夜、博麗神社の鳥居の下で震えていた小さな自分は、長い長い孤独と諦めの日々からもうすぐ解放されようとしている。

下りて来た兵隊は蜂谷に吊り上げ装具を手早く取り付けながら、アリスに向かってせかすように話し掛けて来た。

「怪我は!?」

「この人は手首に深手を負って止血が必要です!」

「今すぐ処置している余裕は無い!自分で止血を続けられるか!?」

蜂谷の意識はまだハッキリしているらしく、すぐに答えた。

「大丈夫!この娘を先に上げたいが、強情で聞かない、俺が終わったらすぐに頼む!」

「任せろ!必ず吊り上げる!」

下りて来た兵隊が上に合図を送ると、ロープは巻き上げられ、兵隊と蜂谷を同時に吊り上げ始めた。

不意に周囲を見たこと有る少女が取り囲んだ。

銀色のロングヘアーに黒い帽子をかぶり、胸の辺りには無意識を見る為の第三の目を持っている。この世に一人しかいない筈の古明地こいしが、幽霊みたいに薄い影ではあるが、周囲一面を取り囲んでこちらに向かって何か話かけている。

アリスに古明地こいしの声は聞こえなかった。

しかし、その声は外の世界の人間達には聞こえているようだった。

こいしの姿に気付いた人間は、その話に暫くぼーっと聞き入っていた。

こいしの背後には沢山の灰色をした紙切れが渦巻いている。

新聞か何かの切り抜きであるようだった。

その一枚一枚の文面も滝のように目の前を流れ始めた。

人間達の影が薄くなって行く。

その影は、みるみる薄くなり、人間達は一人、また一人と見えなくなっていった。

まさかと思って上を見上げてみた。

ヘリコプターはまだ見える!

「早く!早くあたしも連れて行って!」

アリスは降りかかる撃ち空薬莢が顔に当たるのも構わずに空へ向かって手を伸ばし、ヘリに叫んだ。

遠くで大きな爆発音がする。

霧の湖の方向だ。

その方向で何かが赤々と燃えているらしく、空も紅く染まっていた。

ヘリの方を慌てて見る、それはもう、アリスの目にもぼんやりとしか映らないほどに影が薄くなり、大きな地響きが一回すると、すうっと消えて無くなった。

アリスの足元に撃ち空薬莢が一つ落ちて来て、小さくチリンと鳴る。

ヘリの音も銃声も兵隊の声も聞こえなくなった。

天狗の攻撃も止む。

「嘘よ…嘘でしょ?」

古明地こいしが何かを知っているのではないかと思って周囲を見廻したが、もうその姿を見付ける事は出来なかった。

幻覚を見ているに違いないと思って何度も目を閉じては開いてみた。

きっと次に目を開けば兵隊や救助ヘリが見える筈だと思って何度も試した。

「なんで…なんで…なんであたしだけ置いて行くのよ…」

アリスは先ほどまでヘリが居た空を見上げ続けていた。

もしかしたらまた帰って来るのではないかと思った。

夜風が目に染みて目が痛くなったが、(まばた)我慢開き続る。

眼窩に溜まった涙が溢れて流れ落ちると、アリスは声を上げて泣いた。

目次に戻る


東方ルアー開発秘話(最終話)帰結

 

アリス自宅、外の世界の軍隊が全て外の世界へ落ちて行った後

魔理沙は天狗達の攻撃に備えてしばらく周囲を飛び回ってみたが、霧の湖に浮かぶ小島が噴火してから天狗達は全く攻めて来なくなった。

炎に染まる夜空は魔理沙の横顔も紅く染め上げている。

家に降りてみた。

家の中は激しい戦闘の後で荒れ放題になっている。

ガラスというガラス全てが割れ、机や箪笥等の家具はバリケードにされた上で最後に引き倒され、めちゃくちゃに乱れるままになっている。使えそうな物がないか見回してみたが、それらは妖弾を受けすぎて全てガラクタに成り果てていた。

人形達は全て床に放り出されて散らばっている。

その幾つかは何度か踏まれてしまったのか、見る影もなく泥と煤に汚れていた。

魔理沙は人形達の埃を払ってやり、ボロボロになったソファの上に元通り座らせてみた。

火が点いては消しを繰り返し、黒く焦げたそのソファの上では、まるで戦の恐怖に怯えて肩を寄せ合う人形達が、魔理沙に命乞いをしているように見えて却って辛かった。

リビングから玄関ドアの方を見る。

破られたドアの向こうに小さな人影が見えた、紅い夜空を背景に影絵のように浮き立つその後ろ姿にそっと近付いてみる。

アリスは声を上げて泣いていた。ただ、悲しみを体の外へ吐き出すために泣き続けている。

魔理沙に何とかしてやりたい気持ちはあったが、今何をしたところでそれは全て余計な事にしか思えなかった。

何をどうしたところで外の世界へ落ちて行ったと思えるアリスの大切な人を連れ戻す事は出来ないし、それをするべきでもない。

今はただ泣きたいだけ泣かせておいた方がいいに決まっている。その方がすっきりするからだ。

魔理沙はアリスの泣き声が小さくなるのを長いこと待ってからその背中に恐る恐る声をかけてみた。

「アリス?」

答えは返ってこない。

その代り、アリスは空を見上げるのをやめて顔をそ向け気味に地面に視線を落とした。

多分泣き顔を見られたくなかったのだろう。

無理もない。自らを守る魔力も住む家も失った今、どんなに悲しくても人に弱みを見せるわけにはいかなくなってしまったのだ。

おそらく、アリスが初めて魔法使いになる決意をしたであろう時と同じ、孤独で無力で小さな存在に戻ってしまったと感じているに違いないと思えた。

そう思って魔理沙はアリスの前に歩み出てその手を取り、こう提案してみた。

「アリス、魔力が戻るまでの間でいいからさ、うちに来てくれないかな?」

アリスはまだ顔を落としたままこちらを見ようとしない。

「博麗神社がさぁ、爆破されて瓦礫になったじゃん?だから神社の建て替えの寄付を集めに行かなきゃならないんだよ」

アリスは未だこっちを見なかったが、その代り乱れた髪の毛を片手で整えるような仕草を見せた。何か考えているのかもしれない。

「まあ、霊夢とは腐れ縁だしさあ、しょうがないから助けてやろうかなーと思うんだけど、どうかな?」

アリスはまだ魔理沙の方を見なかったが、再び紅く燃える夜空を見上げた。もうひと押しだろうか?

「霊夢もきっと落ち込んでると思うんだよ、だからさあ、あたしが寄付を集めている間、家の仕事をしてくれると!すっ…ごく!助かるんだけどな〜?」

横顔が少しこちらに向き、唇が少し開いたように見える。

「大変な時に迷惑かと思うけど、どうかな?」

ここでようやくアリスは手の甲で涙をぬぐい、口を開いた。

「仕方がないわね…行ってあげるわよ」

「よし!決まりだな!地下のワイン蔵に物を片付けて鍵かけたらすぐに行こうぜ、(ほうき)に乗っていけばすぐだぜ!」

「も…もう、勝手に決めて相変わらず強引ね?お尻が痛いけど、しょうがないからあなたの家まで我慢して乗ってあげるわよ!」

紅く燃える空の色が映り込んでよく判別できないのだが、作り笑いを浮かべるアリスの顔もきっと赤く火照っていることだろう。やっといつものアリスに戻ってくれたようで魔理沙も一安心した。

「ほら、見なよアリス、紅い空がきれいだぜ?」

紅い夜空を背景にした二人の影絵はぴたりと寄り添う。

 

洩矢技術研究所屋上

衛星破壊成功に沸き立つ洩矢技術研究所屋上には、今回の作戦の功労者である吸血鬼、スカーレット姉妹に喝采を送る者達が集まり、ごった返していた。

しかし、当のスカーレット姉妹は炎を上げて燃え盛る湖の孤島を、死んだ魚のような眼をして茫然と眺め続けるしかなかった。

技研に居る者達はスカーレット姉妹が何処に住んでいるのか、おそらく知らないのであろう。レミリアとフランドールが死んだ魚のような眼をしている理由に気付かないのも無理はない。きっと成功の余韻に浸っているようにでも見えているのだろう。

烏天狗の新聞屋が集まってきた。

「フランドールさん!写真撮ります!こっちに視線をください!」

「レミリアさん!作戦実行の直前まで立案者の八雲紫さんと戦っていたって本当ですか!?」

「フランドールさん!やっぱり今回が今までで一番遠くの物を破壊したんでしょうか?」

「レミリアさん!姉として妹さんの活躍をどのように思われますか!?」

「やっぱりこれもレミリアさんが仕組んだ運命だったんですか!?一言お願いします!!」

天狗の記者達は姉妹が何処に住んでいるのか知っているはずなのだが、今はそれどころではないようだ。新聞の一面を飾るに相応しい「外の世界の人間との戦に勝利」の記事が何をさし置いても一番に欲しいらしく、二番目の「紅魔館炎上」はそれに比して取るに足らない事のようであるようだった。

フランドールはレミリアの袖をつまみながら重い口を開く。

「お姉ちゃん…燃えてるよ?ねえ、お屋敷燃えてるよ?」

レミリアは依然として燃える紅魔館を茫然と見続けていたが、呟くように妹の問いかけに答える。

「いいことフラン?吸血鬼たるもの、危機に直面してもシャンとしていなきゃだめ、見るのよ、そして目に焼き付けなさい、今はただの不幸だけれども、これを乗り越えることによって私達はより強くなる運命を手に入れることが出来るわ」

「うん…あたし、がんばるよ」

「その意気よフラン、私達は最強の吸血鬼一族スカーレット家、どんな過酷な運命も乗り越えて幸運に変えてみせるわ」

噴火が下火になると、湖の上を滑るように進む要石が目に入った。

燃える紅魔館の前まで来るとそこで止まり、要石は周囲から霧を集め始めた。

紫色の稲妻が要石から発せられ、天を突く。

 

プ●ルンプルン!ふぁみふぁみファー!!!

 

雷鳴は霊夢の声そのものであった。

燃え盛る紅魔館の上に厚い雲が掛かり、土砂降りの雨が降る。

火は見る見るうちに下火になり、消えてゆこうとしていた。

青い閃光がチカチカと屋敷周辺で明滅している。どうやらチルノも消火に協力しているようだった。

レミリアは、せっかく消火してくれたのに、“こんなこと言っちゃ悪いかな?”と思ったから言わないでいたが、フランドールがストレートに感想を口にしてしまった。

「霊夢さあ…今時…おじゃ魔女●レミはないよね…」

天狗の記者達も思わず同調し、口々にこう呟く。

「ですよねぇ…」

 

妖怪の山奥地、妖怪の川源流

地底世界へと降りてゆく洞窟に土蜘蛛妖怪の黒谷ヤマメを訪ねた僕達、古道具屋店主の森近霖之助と河童の河城にとりは、そこで地獄鴉のお空とひと悶着起こして危うく全員死にかけた。

しかし、危ういところで鍵山雛が自らの体を犠牲にして危機を救ってくれたお陰で僕達は山を降りることができる。

夜の渓谷踏破は危険なのでその日は洞窟の入り口で夜を明かし、朝を待って洞窟を出た。

にとりは鍵山雛が滅びてしまった事にかなりのショックを受けたようで、朝が来ても元気がなく、山を下る間も終始うつむき、足元ばかりを見て歩いた。

川筋には鍵山雛との思い出の場所が点々とあるのであろう、にとりはそれと思える場所に度々立ち止まり、しばらくじっとしてからその場で手を合わせて無言で再び歩き始めるということを繰り返していた。

山の傾斜がきつい内は曇り空は視線の高さに有ったが、渓谷を下って行くに従い、それは見上げないと確認できないようになってきた。

天狗の使う材木切り出し用の林道に差し掛かり、杉や檜の暗い森を通過して河原に出る辺りでやっとにとりが口を開く。

「あの日もここを通ったんだよ、香霖堂さんと初めて会った春のあの日」

にとりは気分が晴れてきた為なのか、その逆に沈みゆく気分を無理にでも持ち上げる為なのかは定かでないが、一人でぽつり、ぽつりと話を続ける。

「あの日はね?たまたま上の方で魚が獲れなかったんだよ、だからこの道を下って河原を歩いて湖に向かって行ったんだ」

「草を掻き分けてもうすぐで湖に出るところで皆の姿を見つけてさあ」

「そのままどっか他の場所に行ってもよかったんだけど、あの時は一人で寂しかったのかもね?」

「あの時あそこで皆と会わなければ、楽しい日々も無かったんだろうね?」

「だって楽しいじゃない?新しい物を作るって?大変な事ばかりだけど、だから没頭できるっていうかさ?」

「でも、あの時、あの場所で皆と会わずに素通りしていれば雛は今も元気だったんだろうね?」

「あ、香霖堂さんがいけないっていう意味じゃないのよ?たまたま不運が重なってこういう事になっちゃったけどさ、でも…本当にどうすればよかったんだろうね?あたしにもわかんないや」

前を歩くにとりは少し早足になり上を向く。また涙が出てきたのかもしれない。

うす曇りの日光に照らされる河原には色とりどりの初夏の花が咲いていた。以前誰かが住んでいたと思われる場所に紫陽花(あじさい)の花が有る。それを取り掛かりにして僕がにとりに話し掛けようとすると、唐突に前方に雷が落ちた。

近くだったので大岩を叩き割るような音がして耳が痛い。僕とにとりは立ち止まってびっくりした顔を見合わせると、無言で雷が落ちた場所へ急いだ。それは本当にすぐ近くだったのだ。

砂州に砂が掘れたような跡が見える、まるで隕石でも落ちたかのような深い穴だ。

あそこに雷が落ちたに違いない、その周囲には何か人工的なものが点々と落ちていた。

まず目に付いたのが、ズタズタになった麦わら帽子。

天辺に目のような物が付いているから、守矢神社の神、洩矢諏訪子の物であるように思えるのだが、目らしき部分は死んだように曇っていた。

次に目立ったのは、やはりズタズタになった注連縄(しめなわ)

これも守矢神社の神、八坂神奈子が身に着けていた物に酷似していたが、これがここに、よりにもよってこんな状態で落ちているとは考えにくい。

前を小走りに走っていたにとりが急に足を速め、雷が落ち落ちたと思えるその場所に立ち止まり、立ち尽くしている。

僕も急いでそこへ行ってみた。

落雷地点と思えるすり鉢状の穴の中には点々と赤い液体が飛び散った跡があり、その中心に見た事がある紅いドレスを着た人物が立ち尽くしているのが見えた。

急いでそこへ駆けつけた僕も信じられない物を見てしまった気がしてその場に立ち尽くす。

「死んで…いやいや、ここではなかったはずですよ?ねえ?にとりさん?」

「雛?ねえ、あなた、雛でしょ?流し雛の鍵山雛でしょ?」

にとりの呼び掛けに対し、白い砂になって滅びたはずの、どう見ても鍵山雛と思える人物は、ぼうっとした感じではあるが、僕が初めて彼女を見掛けた時と同じように澄んだ声でにとりの問い掛けに対して答えた。

「あらぁ、にとりじゃない、どうしたの?そんなに驚いた顔をして?」

 

どう見ても、何を訊いても鍵山雛としか思えないその人物は、にとりに送られて山へ帰って行った。数日分の記憶が飛んでいるらしく、鍵山雛としか思えない人物に僕と会った記憶は残っていなかった。

どうやら僕達が洞窟の中に居る間に地上では大変な事があったらしいので、僕はにとりと雛を見送った後、博麗神社に足を運んでみた。

博麗神社の石段を登りきると、そこには以前、博麗神社であった物が瓦礫の山となって堆く(うずたかく)積もっていた。

霊夢がそれを見下ろして佇んでいるのが見える。

とりあえず何が有ったのか訊いてみよう。

「霊夢さん?これ、どうしたの?」

霊夢は努めて平静を保とうと努力しているようだったが、その顔は終始俯き気味であり、僕の方に振り向いた時にこそ、その視線を上げたが、話を始める時には再び地面へと視線を落とした。

「ああ、霖之助さん、ひどい有様でしょ?外の世界の人間達と戦になってこんな有様になったのよ」

山奥では時折遠くで花火が上がっている程度の認識しか持っていなかったが、どうやらこれは大事件であったらしい。

「で、霊夢さん、外の世界の軍勢は?」

「それなら紫が考えた(はかりごと)でまた外の世界に落ちて行って、もうこっちには一人も残っていないわ」

「誰か怪我したり死んだりはしなかったの?」

「それは今紫が調べているわ、天狗の軍隊はずいぶん大勢怪我したみたいだけど、その中に死んだ者がいるかどうかは分からないわ、人間の死体は見つかっていないから、多分死んでいないんじゃないかと思うけど」

「神社、どうするの?これから?」

「分からないわ、今回の異変を解決することで精いっぱいだったから、神社をどうするかなんて考えてもいなくて…」

霊夢は神社の境内に散らばった瓦礫を焦点の定まらぬ目で見まわしながら、本当に途方に暮れている感じだった。

「猫…居たでしょ?あの子もどこかへ行ってしまったわ、生きていればいいんだけど、この有様じゃ絶望的よね?」

「外の世界から猫が乗ってきた箱の中に手紙が有ったでしょ?“何一つ良い事がなかったこの子に何か一つでもいい事が有りますように”って書いてあった?」

「名前すら付けてあげられなくって、結局何もいい事が無い内に行ってしまったのね」

「もう涙も流れなくなってしまったわ、あたしも戦で荒んで(すさんで)しまったのかしら?戦はもう終わってしまったのにね?」

上空を魔理沙の箒が一回通過し、僕達の姿に気付いたのか、すぐに引き返してきた。

「霊夢!ここに居たのか?ずいぶん探したぜ?」

「あら、魔理沙も無事だったのね?あたしもさっき地下センターから帰ってきたところよ?」

「神社…直さなきゃな、あたしは家の仕事を全部アリスにやってもらう事にしたから、神社の建て直しを手伝うぜ?」

霊夢は深く溜息をつき、空を仰いだ。

「手伝うって…これをどうしたら元に戻せるのか、考えるだけでも気が遠くなりそうだわ、魔理沙、何かいい知恵はない?そこから頼むわ」

魔理沙にも何も思い付かないようだった、魔理沙も答えを見つけられないまま暫く視線を瓦礫の上に彷徨わせていたが、ある一点に何かを見つけた様子でそれを指差しながら霊夢に提案する。

「神社といえば賽銭だろ?ほら、あれ見てみなよ?賽銭箱は無事みたいだぜ?」

霊夢は賽銭箱というフレーズに反応し、ぴん!と視線を魔理沙の指差す方向に向けた。

意外なほどの勢いで霊夢は振り向き、きっぱりとこう言った。

「そうよね、いつまでもクヨクヨしていられないわ、またお賽銭集めて、神社をコツコツ元に戻して行かなくちゃね!」

霊夢はやっと笑顔を取り戻した。僕と魔理沙が瓦礫を賽銭箱の上からどけ、霊夢がその箱を持ち上げてみた。

「重いわ!何か入ってるみたい!」

「だろ?早速いいことあったぜ、中を見てみなよ?」

「そうよね?きっと心清らかな人が入れてくれたんだわ、変異が早く解決されますようにって!」

霊夢は期待に満ちた目で中を覗く、何かを見付けたようだ。

「光ったわ!金色よ!小判かしら!?」

「さあさあ、開けてみるといいぜ、すっごくいいものが入っているから!」

せかされて霊夢が賽銭箱の蓋をとる。

霊夢は驚愕の表情を浮かべたあと、箱の中に顔を突っ込んで中身を凝視した。

 

にゃ〜ん

 

猫の声がする。

賽銭箱から顔を上げ、こちらを向いた霊夢の目からボロボロと涙が流れ始めた。

再び賽銭箱の中をしげしげと眺めて言う。

「おさいせん…あなた、こんな所で生き延びていたの?おさいせん!おさいせーん!」

霊夢が賽銭箱の中から猫を抱きあげた。最後に見た時より少し大きくなってはいたが、確かにあの珍しい色をした外の世界の子猫である。

そして、この猫の名前は、この時点で呆気なく“おさいせん”に決まった。

「魔理沙!知っていたんなら早く言いなさいよ!もー!」

霊夢は涙と鼻水をズビズビ啜りながら魔理沙に抗議したが、顔は笑っていた。

「あたしも、賽銭箱が無事かどうかわからなかったから、その事はとりあえず伏せておいただけだぜ」

どうやら、魔理沙は戦が始まる前に猫をお賽銭箱に隠していたらしい。

 

その夜、外の世界の軍勢に勝利した祝いをしようとか、この日を戦勝記念日にしようとか、周囲は大層盛り上がったが、「それは外の世界の悪い習慣だから、ちょっと待って」と霊夢に止められ、八雲紫がそれを受けてこの日を「この異変の為に犠牲になった全ての者を追悼する日」にしようと提案し、そのように決まったようだった。

 

神社はその後、各方面からの寄付と守矢神社からの援助で復旧工事が進んでいる。

博麗神社に届いた材木や瓦には八坂神奈子、洩矢諏訪子寄進と有ったので、彼女らも生存してはいるらしいのだが、その姿を見たという話は聞かない。

神社の仕事をしている東風谷早苗によれば、神社の奥で静養しているという事なのだが、定かな事は分からない。

天狗の軍隊は外の世界の脅威が無くなってから、予備役として組織だけが残され実質的に解散した。地下センターや技術研究所では依然研究や発電が続けられていたが、もう兵器などの開発は止まっているようだった。精々外の世界村で公開される新しいアトラクションでその活動内容を見られる程度になった。

人間の里の好景気とインフレも騒動が終わると急に下火になって元の生活に戻ったようだ。軍関連の特需が景気を引っ張っていただけで、どうやらあれは泡沫(うたかた)のものであったらしい。

 

吸血鬼姉妹はまだ壊れずに残っていた博麗神社の蔵の地下収納にちゃっかりと住み込み、そこでチルノと何かの練習に励んでいるらしい。

どうも天狗達が忘年会の余興に開いていた漫才大会を今年から拡大し、全幻想郷から参加者を募って独立した大イベントとして開催しようという構想が閻魔様の提案で実現するらしいのだ。

幻想郷に笑いと活気を取り戻すために大々的にそれをやるというのだ。

吸血鬼姉妹はどうやらそれに出ようとしているらしい。

 

人間との戦で最初の負傷者となった白狼天狗の犬走椛は八意永琳(やごころえいりん)の治療により一命を取り留め、腹に大きな穴が空いているものの、元気だという。

彼女は烏天狗の射命丸文(しゃめいまるあや)とコンビを組んでやはり漫才大会に出ようと画策しているらしい。しかし、ネタの山場が「ほら、心にぽっかり穴が開いたようだよー」というボケに対し「それ、実際穴開いてるだけだし!」という突っ込みであるようだから、果たして予選を突破できるかどうか?第一、年末までに傷口は塞がってしまうであろうに。

 

天狗で思い出したが、射命丸の発行する“文々。新聞(ぶんぶんまるしんぶん)”に気になる記事が出ていた。

「魔理沙ご懐妊!?アリスは男だった!?」

という大見出しで号外が出て、これは幻想郷中に大量にばら撒かれたから香霖堂でもすぐに入手できた。

なんでも、人間達と天狗の戦いの戦場になって荒れ果てたアリスの家は、現在再建中であり、その間アリスは魔理沙の家に住んでいるという。

アリスはこれを“新婚生活”と呼んで大層エンジョイしているらしく、毎日張り切って魔理沙の食事や身の回りの世話全てをしているのだという。

心なしか、最近魔理沙の体つきがふっくらして来た事を周囲の人は怪しみ、アリスが魔理沙を妊娠させたのではないかと実しやかに囁かれているというのだ。

 

再建中のアリスの家であるが、これはパチュリーが寝る間も惜しんで陣頭指揮に立ち、再建に当たっているのでもうじき完成するのではないかとのことだ。

パチュリーはどうやらアリスと魔理沙の新婚生活を一刻も早く終わらせようと躍起になってアリスの家再建に心血を注いでいるらしい。

なんでも、アリスは時々その建築現場を見にゆき、パチュリーがそこかしこに掛けた呪いを解きに行くのが日課になっているらしい。この事から考えて、アリスの魔力はもうパチュリーに比肩するほどに回復していると推測できる。

 

一方の紅魔館は中々再建が進んでいないらしい。

石造りの部分が多いから損傷自体は思ったほどではないのだが、何しろ主人の吸血鬼姉妹が別の事に熱中している上にパチュリーはアリスの家再建に躍起になっている。

メイド長の十六夜咲夜と妖精達は被害を受けなかった地下図書館に住みながらコツコツと紅魔館再建を続けているというのだが、完成はいつになるやら。

 

鬼の伊吹(いぶき)萃香(すいか)は地下センター勤務の任を解かれ、今では博麗神社再建の仕事を続けている。

鬼の怪力は建築を大いに助け、集まった寄付と相まって思いのほか早期に博麗神社は復旧しそうだとのことだ。

 

地霊殿の古明地こいしは悪い遊びを覚えてしまったようで、火炎猫を時々縛っては姉のさとりに小言を言われているらしい。

姉の古明地さとりは、妹が地上で不良と交流をもってしまい、微妙な性癖が付きつつあることを危惧して「ああ、妹の心は以前にも増して読みにくくなってしまったわ、心は以前よりも開かれているようなんだけど」とぼやく毎日だという。

 

不良天人こと比那名居天子(ひなないてんし)は有頂天に戻ってから、やはり謹慎を言いつけられたと聞く。しかし、帰り際に香霖堂で大量の電池を買って行ったから、屋敷から出なくとも当分退屈しないのではないかと思う。

どうやら、放蕩繋がりで古明地こいしとも意気投合したらしく、時折壁のある部屋に入って様々探求する事もあると聞いた。

 

河童の河城にとりは、鍵山雛のところに以前よりも足しげく通いながらも時折ルアーを香霖堂に納品しに来てくれる。霊夢の見たところによると、どうやら鍵山雛には復活を境に神格が付いたのではないだろうかとの事だった。
今後、何かの切っ掛けで祭り上げられるような事があり、その存在を広く知られるような事になれば大きな力を持つ可能性もあるという。

土蜘蛛の黒谷ヤマメは義理堅く蜘蛛の糸の原液を甕に入れて送ってきてくれた。甕には「変な事に使ったら命は無いと思えby黒谷ヤマメ」と書かれていた。

変な事に使えったって、こんな固まりやすい液体、どうやって使えというのだろうか?まあ、ルアーの表面を保護する艶やかで強靭な皮膜を作るのには大いに役立っているからそれでよい。変な使用法については追って考える事にしよう。

 

変な事で思い出した。

今回の騒動でドージンが全て失われてしまった。

魔理沙が“借りて”行ったドージンは、アリスによって処分されてしまったと聞く。

また拾い集めなければならないが、昨今は色々とリバイバルして過去の作品が返り咲く事も多く、幻想郷に落ちてくるドージンもめっきり減ってしまったようだ。

しかも、僕が見付けるよりも早く誰かが見付けて里の古本屋に売ってしまっているようである。以前はジャンル不明のコアなドージンなど値が付かなかったのだが。

こうなったら、せめて“茸魔法使いの秘密”だけでも復刻すべく、筆を取らねばならないかと真剣に考え始める。

朝の日差しが次第に窓の外へと移動して行き、どうやら香霖堂の屋根を真っすぐ上から照らし始めたようだ。朝は終わり、もうすぐ昼になろうとしている。

夏の日に照らしだされる外の明るさと、店内の日影が織りなすコントラストを楽しめる季節が再び廻って来たのだ。

僕は窓の外に見える入道雲を見て、ジリジリと唸り始めた蝉の鳴き声を耳にしながら古道具の整理に着手する。

どうしても名前も用途も見出す事が出来ない不思議な機械を前にして、はて、これは何処に分類したものかと思案し始める。

これはどうやら外国のものであるらしいのだが、機械が内包している言葉の断片も全て聞いたことない外国語である上、夜空に小さな雷を放っているような妙なイメージが浮かんできて、この機械の持っている記憶の断片を解釈する事自体が僕には無理なようであるらしかった。

「これ…何に使うんだろう…?」

僕の呟きに、答えてか答えないでか、不意に何も無いはずの空間から声がしてきた。こういう時には決まってあの人が来るに決まっている。

「ここだったのかい!探しても見つからないわけだよ!珍しいもの拾ったら!まず!この紫姉さんに報告しなっていつも言ってるだろう?

隙間妖怪の八雲紫か。

しかし、珍しい物の存在は出来る限りこの隙間妖怪に知られたくないと思う。

なぜなら彼女は、往々にしてそれらを有無を言わせず持って行ってしまうからだ。

「そんなー、紫さん、これだって商品なんだから、ただで持って行かれちゃ困りますよ?

そう僕が空間に反論すると、その空間にファスナーでも開くかのように暗紫色の隙間が開いた。中から…紫さん???が?出て?きた?

「あの…あなた、紫さん?でしたよね?」

その妖怪は、空間に隙間を開いて現れたことから推測して確かに八雲紫であると断言したいのであるが…何故か服装はフル装備で八坂神奈子の姿になっている。

紫は自分が妙な格好をしている事をすっかり忘れていたようで、僕の質問であわてて自分の着衣に目をやり、ちょっと早口に説明を始める。

「こ!これはコスプレさ!外の世界でコミケが有るから、サークルの仲間と衣装合わせをしていたところさ!

「え!?紫さん!?混み毛に出るの!?

「ああ、出るさ、今年の夏コミは過去に人気が有った同人誌の復刻を沢山出す予定でね」

そう言いながら紫が何冊も取り出したドージン見本誌の中には、“東方男の娘特集・茸魔法使いの秘密”も有った。どうやら罪袋団はこの八雲紫のサークルであるらしい。

「ドージンの事は分かりましたけど、でも、その格好どうしたんですか?」

「ああ、これかい?神奈子の復活が早くなるようにね、ちょいと宣伝してやってるのさ、一人でも多くの人が心の中にこの姿を置く事によって、神奈子の力が回復してくるんだよ」

なるほど、形はどうあれ、それがたとえ暗黒儀式の中であったとしても、八坂神奈子の事を多くの人が思う事によってその信仰が回復して行くわけか。

これはちょっといい話なんじゃないかと思い始めたが、紫はやはり僕が隠し持っていた謎の機械に再び関心を振り向けてきた。

「それ、もらってくよ、ここに有っちゃいけないものだからね」

「そんなぁ…これは今まで一回も見たことない激レアなものですよ?それタダでもってかれちゃ…」

「しょうがないねえ…この復刻盤同人と新作あげるから、ブツブツ言わないでおよこし!

そう言うと紫は乱暴に機械を隙間に放り込み、自分もその中へ飛び込んで隙間を閉じてしまった。

再び店内に蝉の唸り声が流れ込んでくる。

僕は仕方なく新作ドージンを開いてみた。

小説に分類されるものであるらしい、作中にはどう見てもアリスマーガトロイドとしか思えない人物が度々出てきた。

幻想郷に落ちた男が妖怪に食わせそうになって深手を負い、アリスの家に匿われて、苦労の末再び外の世界へ帰るというストーリーであった。

著者名は蜂谷守とあった。

罪袋団らしからぬ健全な内容だと思い、僕は再び茸魔法使いの秘密を手にした。

どうせこの時間は客も来ない、昼になれば客でない方の常連が来る事だろう、それまでドージンでも読みながら過ごそうかと思う。

僕が座敷に寝ころび、ドージンに目を通している内に気が遠くなって居眠りしてしまったのだろう、次に気付いた時にはこのような声が聞こえてきて起きるに起きられなくなった。

「やだっ!ちょ!霖之助さん!またコアな春画を!

「ああ、流石は変態大王道具商コーリン・ド・クリスティーヌ・リンリン大居士だぜ」

 

くそう、河童の奴、魔理沙にもあの事をばらしたのか。

 

僕は完全に起きるタイミングを逸し、腋巫女と毒茸魔法使いの毒舌ガールズトークと、窓から差し込み始めた夏の夕日に焙られつつ、汗だくでこの場を切り抜ける言い訳を考え続けていた。

 あとがき
目次に戻る